内戦を生き抜いたひとりの女性の物語――"A Golden Age"を読んで
バングラデシュ――この国の名前だけは、かなり小さな頃から頭に刻みこまれていた。食事を残すときまって母に 「バングラデシュの子供たちを見なさい! お腹いっぱい食べたくても食べられないっていうのに、あんたはこんなに残して」と叱られたのだ。おかげで「バングラデシュ」イコールどこにあるのか知らないけれど貧しくてかわいそうな国というイメージだけはおさな心に抱いていた。
けれどこの国がもともとは隣国インドの向こうにあるパキスタンの一部で、インドをはさんで飛び地領土となって「東パキスタン」と呼ばれていたこと、母語を禁止されるなど西パキスタン優位の圧政から脱却しようと1971年に独立宣言をしたこと、それと同時に西パキスタン軍によってナチス・ドイツ並みの残虐な侵略を受けたことは知らなかった。突然、戦車軍がダッカの街に攻めこんできて、一般市民を無差別に銃撃し、家々を文字通りなぎ倒していった。軍はダッカだけでなくバングラデシュ全土を蹂躙し、国中に戒厳令がしかれ、軍の略奪や暴行、独立派への拷問が続いた。約10ヶ月にわたる悲惨な内戦ののち1971年12月、バングラデシュは正式に独立国家として認められた。
これが"A Golden Age"の舞台となる時代背景だ。この作品はイギリスで「英連邦作家賞(Commonwealth Writers' Prize)」の2008年「最優秀処女長編賞(Best First Book)」に選ばれた。著者は独立後のバングラデシュのダッカに生まれ、現在イギリスに暮らす新進女性作家。肉親の独立戦争時の体験に着想を得て書きあげたという本書は、随所に登場する実在の人物名や史実とあいまって、ノンフィクションに劣らぬ生々しいリアリズムにあふれている。
主人公レハナは未亡人。十代後半の息子と娘とともにダッカに暮らす平凡な主婦で、亡夫の残した土地に建てた貸家の家賃収入で生活している。反政府集会やデモ行進が行われ、独立気運が最高潮に達したダッカに西パキスタンの鎮圧軍が侵入し、バングラデシュ独立戦争が始まる。もともと政治にほとんど関心がなかったレハナにたいして、息子は反政府ゲリラに加わると言いだし、娘も反政府ビラ作りを手伝いだすなど、親子のあいだには国への思いをめぐってすれ違いが生まれてくる。
子どもたちを安全な巣のなかで守りたいと痛切に願いつつも、レハナは息子のゲリラ入りを認め、遠方の難民キャンプで働きたいという娘の意志を尊重し、涙をこらえて送りだす。また、息子に懇願されて、所有する貸家をゲリラの潜伏拠点に提供し、負傷したゲリラ指揮官の看護を引き受ける。こうしていやおうなしに戦争に巻きこまれていくなかで、レハナはゲリラ指揮官を愛するようになる。やがて戦争が終結に近づいたある夜、息子を追う軍の一行がレハナ宅に乱入し、彼女は身を切られるような選択を迫られる。
やがてバングラデシュは独立の朝を迎える。
平凡に暮らしていた女性が戦争によってさまざまな選択を強いられるなかで、迷いながらも変化と成長を遂げていく姿には、同じ女性として強く惹きつけられた。いっぽう、鎮圧軍の襲撃、拷問など独立闘争の苛酷な局面には戦慄すると同時に、主人公らの運命を案じて次々にページを繰らずにはいられなかった。
この作品には、バングラデシュ独立戦争の勃発直前から終結にいたるまで、主人公一家が悲惨な状況を乗りこえて国の独立を迎えるまでの過程が描かれている。背景となる戦争の推移がラジオ報道の形で淡々と客観的に語られ、物語にリアリティを加える。
In the evening Rehana and the children heard the announcement on the radio:
I, Major Zia, provisional Commander-in-Chief of the Bangladesh Liberation Army, hereby proclaim, on behalf of our great national leader Sheikh Mujibur Rahman, the independence of Bangladesh. I also declare we have already formed a sovereign, legal government under Sheikh Mujibur Rahman. I appeal to all nations to mobilize public opinion in their respective countries against the brutal genocide in Bangladesh.
いっぽう、襲撃された街の惨状や友の死、拷問の実態が語られる場面は、著者の慟哭がきこえるような激しくたたみかけるようなテンポの文体で描かれ、読んでいて胸がしめつけられた。
And then they(パキスタン軍) had gone into the Hindu neighbourhoods on jeeps because their tanks were too wide for the narrow lanes, and mounted on their jeeps they had fired through shutters and doorway and shirts and hearts.
著者は作品執筆にあたって祖国を訪れ、独立戦争の体験者の声をじかにきき、「これを記録に残さなければいけない」という強い使命感を持ったという。本作品は、いわば小説の形を借りて、独立戦争におけるパキスタン軍の残虐行為を世に訴える告発の書でもある。本書を読み、この悲惨な史実を知っていなければいけないと強く感じた。事実は変えられないにしても無関心でいてはいけない。それは彼らの行為を許したことになる。
この地域の紛争というと、例えばベトナム戦争については、本国で出版され反響を呼び、つい最近日本でも翻訳出版された「トゥイーの日記」がある。また映画でもたびたび題材となっているため日本人の認識が高いように思われるが、バングラデシュ独立戦争の内実を掘り下げて描いた作品は小説・映画のジャンルを問わず、これまであまり発表されてこなかったように思う。同じアジアに生きる人間として、この国の誕生をめぐる悲劇を知らずにいることは許されないはずだ。
"TIME"誌の10月20日号に"Dhaka's Ghosts"と題されたエッセーが掲載されていたので一部を抜粋して要約した。
「ナチスのユダヤ人虐殺やルワンダの悲劇が国際的に裁かれ、カンボジアでも虐殺の首謀者らがようやく法の裁きを受けようとしているいっぽう、バングラデシュ独立戦争の惨劇は国際社会から忘れられ、犠牲者の数もいまだ明らかになっていない」。
*『TIME』ウェブサイト:http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1843844,00.htmlより
物語に流れるもう一つのテーマは、レハナの女性としての目覚めである。20歳にもならないうちに、親の勧めで親子ほど年の離れた男性に嫁ぎ、未亡人となってからは子育てに専心してきたレハナ。彼女は息子をかばって大怪我をしたゲリラ指揮官の少佐を看護する。当初ぎこちなかった2人は少しずつ会話を重ねるようになり、やがてレハナのなかにそれまでなかった感情、夫や子どもへの家族的な愛とは異なる愛情が生まれる。
本書のなかで2人の交流場面はページ数こそ少ないものの、そこだけひそやかで濃密な空気が流れる。
一部を抜粋してみた。少佐が聴いているレコードの女性歌手の印象的な歌声にレハナは妙に惹きつけられるが、この歌が好きかときかれ、とっさに好きではないと答えてしまう。それを受けての会話だ。
'What do you like?'
'What sort of a question is that?'
'Simple. If you don't like this, what do you like?'
'You mean, what music do I like?'
'No, I mean, what do you like?'
'Anything?'
'Anything.'
How could she reply? No one had ever asked her that question.
2人のあいだに甘美な会話はほとんどないが、少佐のことばはレハナの心の奥底に響き、彼女のなかに新たな感覚を呼び起こしていく。
本作品の魅力は、家族と祖国を思う人々のひたむきな姿と独立闘争の実態がリアリティ豊かに語られるいっぽうで、主人公がひとつの愛を知り、それを糧にして成長していく過程が、上品な筆づかいで深く細やかに描かれている点にあると思う。そして、新しい国が生まれる朝でしめくくられる終幕は、バングラデシュの地に降る土砂降りのスコールが上がった後の青空のように清々しい読後感をもたらしてくれる。この本に出会えてよかったと心から思う。
*"A Golden age"は出版社にて翻訳出版検討中






















