洟をたらした神
胸の辺りにごつごつした大きな塊が居座ってどいてくれない。日がたつにつれ、角がだんだんとんがってきて胸のあちこちに傷をつける。できることなら掴み出してどこかへ放り投げてしまいたい。そんないたたまれない気分から私を救ってくれたのがこの本だった。
本書に収められている十六の短編は、どれも「その時々の自分らおよび近隣の思い出せる貧乏百姓たちの生活の真実だ」と作者は語る。
狐におそわれたと思ってあきらめていた雌鳥が、だれにもわからないように命を育み、十一羽のひよこを連れて戻ってくるという感動的な結末の『春』。二銭のヨーヨーを買ってもらえず、家を飛び出していった幼い息子ノボルを心配する母親の心の揺れを描いた表題作『洟をたらした神』。赤ん坊を亡くした悲しみがせつせつと綴られている鎮魂ともいうべき『梨花』。
飾り気のない言葉と農夫の手を思わせるようなごつごつした文章は、何度読み返しても同じ迫力で読むものを圧倒する。不思議なのは、打ち捨てられたような貧しい暮らしを描いているのに、暗さがまったく感じられないことだ。
最後の一篇『私は百姓女』が、この疑問に答えるように次の文章で結ばれていた。
「この空の下で、この雲の変化する風景の中で、朽ち果てる今日まで私はあまり迷いもなかった。それは、さんらんたる王者の椅子の豪華さに誇り高くもたれるよりも、地辺でなし終えた安らぎだけを、畑に、雲に、擦り切れた野良着の袖口から突き出たかたい皺だらけの自分の黒い手に、衒いなくしかと感じているからかもしれない」
人生をあるがままに受け止め、決して目をそらさない作者の潔さが、私の心に居座っていた塊をいつのまにか溶かしてくれていた。
吉野せいは一八九九年(明治三十二年)、福島県小名浜で生まれた。高等小学校を卒業後、検定で資格を取り、一九一六年(大正五年)から二年ほど小学校に勤める。その間に山村暮鳥を知り、懇切な指導と深い感化を受ける。大正十年に福島県いわき市郊外の菊竹山腹の小作開拓農民吉野義也(詩人・三野混沌)と結婚。その後六人の子どもを育てながら厳しい環境のなかで梨と穀物作りを続けた。一九七五年に第六回大宅壮一ノンフィクション賞、第十五回田村俊子賞を受賞。一九七七年、七十八歳でその生涯を閉じている。






























