
杭州景点 望湖楼、「天堂生活」より
『蘇東坡100選』
『蘇東坡 上』 『下』
本を読む楽しみのひとつに、時空を超えた「人との出会い」がある。作品は自ずと著者の人となりを明らかにする。膨大な資料を用い、愛情を込めて書かれた伝記は、実際にその人と会って知るよりはるかに多くのことを教えてくれる。
中国で誰の詩が一番好きかと聞かれたら、李白と答える。だが、一番好きな詩人は誰かと聞かれたら、蘇東坡の名を挙げたい。詩そのものだけでなく、人柄も生き方も含め、蘇東坡には人を惹きつけるものがある。伝記『蘇東坡』の著者、林語堂は渡米したとき、蘇東坡の作品をたずさえていた。「外国にいる間、彼とともにありたいと願った」と序に記している。そう、まさにそういう気持ちにさせられる人なのだ。
世渡りは下手だったが、正義感は人一倍強かった。成績優秀で科挙に合格し、官僚になったものの、権力闘争に巻き込まれ地方に飛ばされる。黙っていればよいものを、本音を詩に託して詠ってしまい、死刑に処せられかける。ようやく都に戻って出世したもつかの間、再び政敵によって僻地へと追いやられる。地方で知事をしていた頃は治水工事を行い、水道設備を整え、公立病院をつくり、貧しさゆえの嬰児殺しをなくそうと奮闘した。どの地方に赴いても、蘇東坡はそこに住む人々に心を砕いていた。
波乱の生涯だった。だが、逆境であってもユーモアを忘れず、日々の暮らしをしっかり楽しんでいた。どんなにつらくても、貧しくても、楽しみや可笑しみを見いだせる人だった。医者のいない地方に行かされても、都では医者のせいで大勢死んでいるのだから、と笑ってみせる。しかも相当な食いしん坊だったようで、自分で料理もし、レシピまで詩にしている。中華料理の「東坡肉」(トンポーロウ)は、彼の詩から名をとったものだとか。残年飯に飽く、と蘇東坡は晩年に詠っているが、最後に追われた海南島では食べ物に事欠くこともあったという。それでも地元の人々と親しく交わり、生きる喜びを持ち続けた。つらさをあからさまに表現するのを潔しとしなかったというよりも、自然と明るい面に目が向けられていたのだろう。人生をいとおしむ道家思想の影響も受けていたが、生来の気質も大きく関わっていたように思う。
とはいえ、老いた身で、風土のまったく異なる土地を転々とする苦しみはいかばかりであったろう。ついに赦しが出て大陸に戻ったとき、蘇東坡はすでに65歳。翌年、北を目指して旅する途中で病に倒れ、帰らぬ人となった。
黒雲翻墨未遮山 黒雲 墨を翻して 未だ山を遮(さえぎ)らず
白雨跳珠乱入船 白雨 珠(たま)を跳(おど)らせ 乱れて船に入る
巻地風来忽吹散 地を巻き風来たって 忽(たちま)ち吹き散ず
望湖楼下水如天 望湖楼下 水 天の如し
目に浮かぶは墨絵の世界。最終行、一瞬にして青が冴えわたる。書画にも長けた蘇東坡ならではの作品だ。
この本はずっと手元に置いておこう。私も彼とともにありたいと思う。




























