『思索の淵にて—詩と哲学のデュオ』
「触発」という言葉を覚えたのはいつだろう。高校か大学あたりかと思う。それより前にそうと知らずこの言葉を体験した記憶がある。小学二年生の図工の時間に教師が本を読み聞かせてくれた。山火事が起きて動物たちが必死に避難を始める。大混乱の中、子どもが母親を求めて泣き叫ぶ・・・。こわかった。読み終えると教師はいった。「心に残った場面を絵に描いてね」と。物語を絵で表現すること、生まれて初めての作業に私は夢中になった。気づくと、山を燃やしつくす火で画用紙を埋めていた。あんな迫力のある絵が描けたのはあのときだけだ。つづいて小学六年生の音楽鑑賞の時間。教師の指示がいつもと少しちがっていた。「音楽をかけるから、イメージをふくらませてお話を作りましょう」音の連なりを緊張して聞くうちに一人では思いもつかないストーリーが飛び出した。特別な授業になった。「インスパイアされた」などといったら笑われそうな、幼い日のささやかな出来事だ。
「一篇一篇(の詩)に触発される思い」を二十八の文章にしたのが『思索の淵にて』だ。茨木のり子*は、このように詩を書く。
聴く力
ひとのこころの湖水
その深浅に
立ちどまり耳澄ます
ということがない
風の音に驚いたり
鳥の声に惚(ほう)けたり
ひとり耳そばだてる
そんなしぐさからも遠ざかるばかり
小鳥の会話がわかったせいで
古い樹木の難儀を救い
きれいな娘の病気まで直した民話
「聴耳頭巾」を持っていた うからやから
その末裔(すえ)は我がことのみに無我夢中
舌ばかりほの赤くくるくると空転し
どう言いくるめようか
どう圧倒してやろうか
だが
どうして言葉たり得よう
他のものを じっと
受けとめる力がなければ
中学・高校の教科書の「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」などの作品でまず出会うことが多いだろうか。茨木のり子は「凛とした詩人」という形容が誰よりも似合う。
詩人と向き合うのは哲学者の長谷川宏**。博士課程まで修めたのち大学で教鞭を取る機会をすてて、野に出た人だ。ヘーゲルやサルトルについての著作をものする一方で私塾を経営し、三十年来子どもたちとつきあっている。それゆえか、「落ちこぼれ」と題された詩では自身ばかりでなく自分の教え子たちを重ねあわせて読んだりする。詩人が「落ちこぼれ、華々しい意志であれ」と語りかければ、「この穏やかさは落ちこぼれが恵んでくれたものだと思うと、目の前の子に感謝したくなる」と反応する。二人には十四歳の年齢差があり、戦中戦後が青春期だった詩人と、学生運動に若い情熱をぶつけた哲学者とでは歩んできた時代はずいぶんちがう。育まれてきた土壌が異なる。かたや社会から解放された戦後日本の個の時代、かたや個がばらばらとなって孤にむかう現代日本の時代。哲学者は詩人が紡いだ言葉のどこにどう触発されて思索を広げたのか。共鳴したり反発したりすれちがったりしている両者のデュオは面白い。
茨木のり子はこの本が上梓される直前に逝ってしまった。まえがきにあたる「はじめに」の一文で、「最近おもうのは、八十年ばかり生きるのに、きれいなタペストリーを織った人と、なしくずしの人生を送った人と、大差はないのでは?ということである。とは言うもののどんな仕事であれ、若き日の憶いが高齢になるまでひとすじ、つながっている人のほうが、どちらかと言えば好ましい」と記している。こんな文章を読むと、ああ茨木のり子だとうれしくなる。そして、「自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ」の詩句と出会ったときと同じくらいにあわてて背筋をのばしている。
彼女ほど潔くきびしく生きることは難しい。だが、詩人はひとり恰好よく駆け抜けていったわけではない。「上等の笑いを求めて詩集をひらくということがあってもいい筈だ」とユーモアをたたえた言葉を教えてくれ、人に伝える思いのつよさで勇気づけてくれる。だから、私たちがつまずいたときにはその詩で背中を押してもらい、また歩き出せたらよしとしよう。哲学者のように、詩に触発されながら自分の言葉をぽろぽろとこぼしてみるのも楽しいかもしれない。詩人はきっと耳を傾けてくれる。
* 茨木のり子(いばらぎ のりこ)1926年〜2006年
**長谷川宏(はせがわ ひろし)1940年〜






























