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『偉大なアイディアの生まれた場所 シンキング・プレイス』

藤岡啓介、上松さち、村松静枝共訳
清流出版(2011年1月)

宣伝をさせてもらいます。2006年に『世界でいちばん面白い英米文学講義』(草思社)を翻訳したのですが、今度はその著者のエリオット・エンゲルさんが序文を寄せている『偉大なアイディアの生まれた場所 シンキング・プレイス』が本になります。なかなか企画が通らず訳書がなかった上松さちさん、村松静枝さんとの共訳です。ぼくの書いた「訳者あとがき」をご覧ください。面白い本ですよ。みなさんが「あとがき」書くのに役立つかな藤岡啓介記

ぼくが軍港めぐりをしたというと、なんだ、お前さんは右翼だったのか?と言われそうですが、
稲村ガ崎町会の主催する催しに右翼も左翼もないな。きれいだった。さわやかだった。
お目当ての空母ジョージ・ワシントンは演習帰りに台湾の方に行っているとかで御留守。
町会でのお付き合い、会費千円でホテルのビュッフェまでいただきました、 参加者60名、
皆さん仲良し、2011年、いいお天気でありますように。

『偉大なアイディアの生まれた場所 シンキング・プレイス』 訳者あとがき より

翻訳をするなら楽しくしたい、翻訳者のだれもがそう願うものですが、願いがかなえられる本はめったにありません。この本は、共訳者の三人が声を合わせて「有難う、フレミングさん、楽しく訳せました!」と叫んだ本です。もちろん、むずかしいところがありました。ディケンズ、スティーヴンソン、ヘミングウェイなど「超」のつく有名人物で、その人たちの伝記や作品が手元にあっても、エッこんな話があるの? おや、この引用は難しい、どう理解するべきか、などと喜んだり困ったり、しかもそれが『子鹿物語』のローリングズや『ピーターラビット』のビアトリクス・ポターになると、絵本や映画、TVで作品にはなじんでいても、伝記的なことがらについてはまったくといっていいほど無知です。著者が深く尊敬し敬意をこめて語っている奴隷出身の大教育者ブッカー・T・ワシントンになると、残念ながら参考文献もなく、適切な訳語・訳文を導くのに苦心しました。

困ったときは、E‐メールで直接著者に教えを請うべきです。乱暴でしたが、Fleming-San! Ohayou Gozaimasu と日本語で挨拶しました。それから質問の数々をメールしました。すっかり仲良しになりました。キャロラインさんは作家です。ジャックさんは医者です。そしてこれは本書の中でも触れられているのですが、ご夫妻でミュージカル『イマジネーション! 南太平洋のスティーヴンソン』を書いています。質問はすばらしいコメント付きで返ってきました。関連してジャックさんが自作ミュージカルに書いた詩も送ってくれました。

ロバさんは評判悪いな
頑固でいじっぱりだ
でもさ、お耳の長い、気まぐれもののロバさんだよ
可愛いよ、いっしょに遊ぼうよ

といったコミカルな調子の長い詩です。もちろん、スティーヴンソンといっしょに南フランスのセヴェンヌ山脈を旅した食いしん坊のモデスティンをうたったものです。キプリングに宛てたディケンズのジョークたっぷりの手紙の解読もしてもらいました。そうそう、ディケンズ夫人キャサリンの家庭料理のレシピも言葉を加えて説明してもらいました。時間ができたら「日本語の文字の不思議」を教えてほしい、との要望もありました。

スティーヴンソンの章で、彼が随筆集『若き人々のために』に書いた、

ギリシアの昔から「神が愛したもう者は若くして死す」という言葉がある。「若さ」が尊いことをいう格言だが、ここでいう「若さ」は年齢が若いという「若さ」ではなく、瑞々しい「若さ」の溢れる精神のことである。

という、一節が引用されていました。

ちょうどこの部分を訳しているときです。翻訳仲間のTさんが病に倒れた、という報せがありました。それも不治の難病であるといいます。暗然とした思いの中で、彼女に訳し上げたスティーヴンソンの章を送りました。お見舞いでした。「スティーヴンソンのいう『精神の瑞々しさ』なら、(今のわたしでも)願って、労して、天から受け取ることができるでしょう。どうぞ見守っていてください。よい言葉を有難う」と、メールが返ってきました。スティーヴンソンと同じようにベッドを出ることなくクッションを背に当て、あのしなやかな細い指先でキーを打ったことでしょう。

訳了した今思い返すと、本書の与える格別の感慨はスティーヴンソンの章だけではありません。フレミング夫妻は喜びに満ちた抑えきれない情熱をこめて、天才たちと彼らの創造・創作・発明・思索の場を語っています。私たち翻訳者も、いつかその情熱にうたれ、身を正しながら翻訳しました。

「読後感」という言葉があるなら「訳後感」もあっていいでしょう。訳者のひとり上松さちはこう語っています。

5か月になる娘です。本書の翻訳中に妊娠がわかり、不安だらけでしたが、
先生やみなさまの力を借りて、なんとかやり遂げることができました。
ただいま育児に奮闘中ですが、できることからコツコツと、翻訳はずっと
続けていきたいと思っています。(上松さち+あや)

エディソンの研究室が火事に見舞われたときのことです。損失は五百万ドルに上り、保険も一切かけられていなかったというのに、六十七歳のエディソンは「新しいスタートを切るのに遅すぎるということはない」と、さっそく復興作業に取り掛かりました。また、グラハム・ベルは「物事をつねに観察し、それを 忘れずに記憶にとどめ、次々とわき上がる疑問の答えを探し求めることをやめないかぎり、誰であれ精神の衰えなどあり得ません」と語っています。二人の不屈の精神に感じ入るとともに、自分に喝を入れた言葉でした。

奴隷解放宣言が発布されたとき、ブッカー・T・ワシントンはまだ九歳の少年でしたが、早朝から塩田で働き、学校に通いました。そして十六歳のとき、ハンプトン学院の門を叩くため、たった一ドル五十セントを手に、四百マイルもの道のりを歩いたりヒッチハイクをしたりして進んでいきます。奴隷の子として生まれたワシントンはこうした努力によって、アフリカ系アメリカ人の代弁者となりました。本書で初めてその名を知りましたが、彼の生い立ちを知り、こんなにも偉い人がいたのかと驚きました。

村松静枝の驚きはこうです。

訳し始めたのはほぼ一年前、オースティンからでした。初めての経験で戸惑うこともありましたが
先生の叱咤激励と出版社、エージェント、翻訳の先輩方、これらのみなさまのご協力のおかげで
こうして本という形にすることができ、たいへん感激しています。
お正月らしく、日の丸の旗の翻る焼津港で(村松静枝)

わたしの担当は女性作家が多く、それも勇敢で、行動力と忍耐力に溢れた「男らしい」女性たちでした。ビアトリクス・ポターは本の執筆で得た収入を惜しげもなく土地の購入につぎ込み、現在に至る湖水地方の景観を必死に守ってくれました。壊された自然は二度と元に戻らないということを知っていたのでしょう。マージョリー・キンナン・ローリングズの、別離の悲しみを乗り越えた精神の強さにも驚きました。自ら移住したとはいえ、もともと縁のない土地で、夫に去られてひとり残されながら、作家への情熱を失わずに努力を続け、とうとう成功したマージョリー。同じ女性として強く共感し、尊敬せずにはいられません。

ローリングズは、女友達と二人で広大なセント・ジョン川をボートで下る旅にでます。コンパスや地図を頼りに川を下りますが、いく筋もの支流が複雑に入り組み、干ばつなどで地図と流れが変わっていため迷ってしまいます。そのとき川面を流れている水草がより速く流れている方向があることに気づき、それによって本流をつきとめ、その後はさほど迷わずに旅を続けました。人間の道具よりずっとシンプルな方法で、自然そのものから道筋を教わり、彼女は川との一体感を感じます。フロリダを愛したローリングズは、このことで土地に対する愛情を一層深めていったのではないでしょうか。

藤岡も一言。

例のごとく神田の洋書古書店やアマゾンでディケンズの関連書を探しているとき、自分が訳した『世界で一番面白い英米文学講義』(エリオット・エンゲル、藤岡啓介訳、草思社、2006年)の著者が新刊を出しているのを知りました。入手してみると、エンゲルさんは「序文」を寄せているだけでしたが、著者フレミング夫妻の本文を読むと、すべての章にわたって、伝記研究家エンゲルさんとまったく同様な、それぞれの人物に寄せる尊敬と愛情が温かく脈打っているのを知りました。

さて、翻訳してどこが特別に気に入ったのでしょう。やはりロバのモデスティンでしょうか。古い翻訳でしたが、書架の隅に眠っていた吉田健一訳の『旅は驢馬をつれて』(岩波文庫)をとりだして、幾晩か、眠れぬ夜を過ごしました。

本書は藤岡啓介、上松さち、村松静枝の三人の共訳です。次のように各章を分担しました。訳出した章は、三人がたがいに精読し意見を交わしました。

【藤岡】序文(エリオット・エンゲル) マーク・トウェイン チャールズ・ダーウィン チャールズ・ディケンズ ロバート・ルイス・スティーヴンソン
【上松】著者まえがき エドヴァルド・グリーグ ヴァージニア・ウルフ アレクサンダー・グラハム・ベル ブッカー・T・ワシントン アーネスト・ヘミングウェイ 創造的人物と創造性
【村松】ウィリアム・ワーズワース ジェーン・オースティン ラドヤード・キプリング ウィリアム・バトラー・イェーツ ビアトリクス・ポター マージョリー・キンナン・ローリングズ ウィリアム・フォークナー

ご覧のように本書には多数の写真が挿入されています。類書のない紀行文、伝記、取材記といった構成の本ですが、編集担当の古満温さん、清流出版の皆さんの手で、原書にまさる出来栄えの書物になりました。ありがとうございます。稚気溢れる元気な、いつもミュージカルを楽しんでおられるフレミング夫妻の声も聞こえてくるようです。

Arigatou Yorosiku。

二〇一一年正月 藤岡啓介記

2011年1月17日号
(第4巻182号)