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奥津絵葉
掌の小説

『掌の小説』

川端康成

せっかく出会えたのに一時の親交もいつか絶え、ちょっとしたことであっけなく疎遠になることがある。そんな相手にかぎって折にふれて思い出す。じつに未練がましい。だが、年を重ねてくると面子も思惑も捨てられる。忘れがたい旧友に連絡をとるのだ。縁がある人とは交際を復活できる。ありがたい。

『掌の小説』との出会いは、うまくいえないが、気まずかった。物語の世界になじんだと思うまもなく話が途切れる。そんなふうに感じてしまう。短編の醍醐味を知らないのだから無理もないとわかっていても納得できない。人物の個性を活写する、世界を切り取る作家康成の筆が鮮やかすぎて、その先の彼ら彼女らがどうなるのか、取り巻く世界は壊れゆくのか気になった。それなのに作品は完結している。

この本との相性が悪かったとあきらめればいいものを、文章作法のお手本よろしく筆写したり、英訳版を英語の教材にしたり、内容などお構いなしの文学修行の邪道をつくした。鼻先で閉められた扉はさらに分厚くなった。が、いつからかこの本が私を呼ぶのだ。まるで昔馴染みに、つい昨日別れたという格好で声をかけてくる。ページを繰った。かつて掌からすり抜けていた物語がぐいぐいと心に迫ってくる。物語が知らぬ間に私自身の人生と重なって見えた。

教員養成の大学を卒業したドイツ娘二十六人が交換ノートを作った。ノートは七十年の長きにわたって行き来して、『七十年の友情』という本に編まれた。人生を歩き出したばかりの彼女らは就職に結婚にそれぞれ二十代の夢と悩みをつづる。そこから中年期へといきなりに飛ぶ。

人生の半ば、独身を貫いて仕事に励んでいる人もいれば息子の戦死を嘆く人もいる。亡くなった人も。この空白は、冊数を重ねて手から手へと移動していたノートのうち、三十代、四十代を記録した分が消失してしまったためだ。女ざかりにあった彼女らの足跡をたどれないことにがっかりした。もっとも興味深い年代であっただけに。八十代となった最後の一人が静かにペンを下ろすくだりは寂しい。終わったのだ。

『掌の小説』は作者の十代に始まり多くが二十代後半から三十代前半に作られ、中断を経て四十代後半へと書き継がれている。男ざかりはどの年代かよくわからないが、この中断が、いかにも切ない。川端康成はその間も作品を発表しているのだから単なる途絶ではなく、作者の中では連綿と創作の源泉はわいている。

それでも書かれなかった時代の「掌の小説」も読みたかった、こういったら贅沢だろうか。若い情念がうごめき、感覚が閃光を放つ初期の作品群、それが哀しみと凄みを増した人生の紡ぎへと変貌していく。空白の日々よ!