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山本耕

《伝説のカルテット》にまつわる物語

――『時の終わりへ メシアン・カルテットの物語』――
レベッカ・リシン著 藤田優里子訳
(アルファベータ刊、2月中旬発売 定価2800円+税 税込み2940円)
そこで四人の音楽家は壊れた楽器で演奏したのです。エチエンヌ・パスキエの
チェロは弦が三本しかなく、アップライトピアノの鍵盤は叩くと戻ってきませ
んでした。(中略)私は暗緑色のチェコの軍服を着ていました――ぼろぼろの
木靴は、足下に雪が積もっていても、つま先まで血がめぐるほど余裕がありま
した。(・・・)そんな格好で、五千人の聴衆を前にして《時の終わりへの四重
奏曲》を演奏したのです。

オリヴィエ・メシアン


時の終わりへ メシアンカルテットの物語

レベッカ・リシン著
藤田優里子訳

例えば、十年後の僕が、今のことを振り返ったときに、それをどんなふうに語るのだろうか——この本を読んで僕が最初に思ったのは、そんなことだった。出会ったひとやその時の出来事のひとつひとつを楽しそうに思い出すのだろうか。当時の輝かしい成果を誇らしげに語るのだろうか。それとも忙しさや何やかやの理屈をこねて、失った夢の言い訳をするのだろうか。例えば、十年前のことを、あなたならどう話すのだろう。例えば、一生のおわりになって、自分の過去のひとつをひとに語るとき、どんなふうにそれを語ることになるのだろう。

第二次世界大戦最中のドイツ、ゲルリッツの第八A捕虜収容所で初演された伝説のカルテット。本書は、二十世紀を代表する作曲家オリヴィエ・メシアンの《Quatuor pour la fin du Temps(時の終わりへの四重奏曲)》を題材としたルポルタージュであり、演奏にたずさわった四人の囚人、オリヴィエ・メシアン(ピアノ)、エチエンヌ・パスキエ(チェロ)、アンリ・アコカ(クラリネット)、ジャン・ル・ブーレール(バイオリン)の物語だ。

巨匠メシアンが収容所時代に作曲、初演した伝説のカルテット——作者は、存命中のエチエンヌ・パスキエやジャン・ル・ブーレール、遺族や当時の関係者らに直接取材し、その様子をできるだけ忠実に書き留めている。メシアンとパスキエの最初の出会い。ふたりが早朝の警備で聞いた「鳥の声」——「鳥の声」は、その後、メシアンの曲を象徴するものとなる。

『見てごらん。あそこにかすかな光が見える。夜が明けるのだ』メシアンがそ
う言うと、徐々に光が広がっていきました。『よく聴いて。太陽が現れるとほ
ら』(中略)そのとき、あたりはしんとしていました。すると突然、聴こえた
のです。「チチッ」。それは鳥の小さな鳴き声でした。まるで指揮者がいるか
のようにピッチを合わせているのです。五秒ほど過ぎると、鳥たちは一斉にさ
えずり始めました。

エチエンヌ・パスキエ

当時の収容所の様子もおもしろい。例えば、収容所時代、メシアンは服務を免除され、作曲に専念している。それは、当時のドイツが音楽に対して敬意を払っていたからであり、政治的思惑があったからなのだが、その他にも、ドイツ人や捕虜仲間らの協力があったことも分かる。パスキエが、採掘抗での労役から解放されたのは、仲間の囚人の嘆願のおかげだったし、メシアンにパンや筆記用具をくれたのはドイツ人将校だった。そのドイツ人将校は、囚人だったユダヤ人をも励ましている。

だからだろうか、この曲はとても静かだが、暗いところがない。それは当時、同じように収容所で書かれたものとして異例だという。けれども、僕はそこに人類の希望があるような気がした。

ちなみにこの曲のテーマは、宗教的な希望や救済で、技術的にも独自のリズム論が採用されたり、種別が特定できる「鳥の声」が取り入れられたりと当時最先端の音楽となっている。僕はこの曲でメシアンがドイツと戦っていたのではないかと思った。のちに二十世紀を代表することとなるこの曲に作曲家の孤独とプライドが表れているように思ったからだ。

けれども、この本で最も印象的なのは、その後の四人の数奇な運命と、その後、当時のことをどう語っているかだ。この初演を契機に、既に有名だったメシアンとパスキエは解放され、フランスに帰国する。ユダヤ人だったアコカと若く無名のブーレールは残されるが、アコカは自らの力で未来を切り開いてゆく。当時のことをかなり誇張して話すメシアンや、当時メシアンからもらった手書きのメッセージを、取材に訪れた作者に大事そうに見せるパスキエ。これに対して、収容所時代のことはカルテット以外すべて忘れてしまいたいと語るブーレールは、その後、結局バイオリンを辞めてしまう。脱走劇など昔のことを常に楽しそうに話すアコカは、当時もその後も決してクラリネットを離すことはない。

性格も、信条も正反対のアコカのことを、メシアンが生涯、尊敬していたことも興味深い。この曲は、結局、アコカの励ましのおかげで作られ、アコカのクラリネットのために書かれたことにも意味深いものがある。

そんなアコカの性格が最もよく表れているのが、戦時中、森の中でドイツ軍に捉えられ、ナンシー近郊まで行軍させられた際に、久しぶりに水の配給があったときのメシアンとの会話だ。

「あの振る舞いをごらん。彼らは一滴の水のために争っている」とメシアンは
言いました。するとアンリはこう答えたのです。「私たちは器を探すべきだ。
そうすれば、水をみなで分けられる」。

ジャネット・アコカ

——信仰を強くもち、運命を受け入れようとするメシアンに対し、アコカは、常にひとのために何ができるかを考え、行動している。

本書は、ひとつの伝説に関わった、才能も、性格も、信条も、境遇も違う四人の人物の物語だ。僕は、この本から、人生には個人的にはどうしようもないこともたくさんあるが、それだけではないということを改めて教えてもらったような気がする。特にアコカの生き方には感銘を受けた。あの時代、ユダヤ人にとって最も厳しい時代にこんなに軽やかに生きてゆくことができたのかと思った。世の中には、まだまだすごいひとがいるものである。訳も、とてもシンプルで読みやすく、最後までとても楽しく読ませてもらった。