『エンジェル
』
型破りな言動にいらだちを覚えながらも、最後まで飽きることなく
欧米では根強い人気がありながら、どうした理由からか、日本ではほとんど無名だった作家が今ようやくわたしたちの前に姿を現した。それも、フランソワ・オゾン監督の映画をひっさげての登場である。
まず、『エンジェル』という表題から受けた印象よりも重厚で、読む人によってさまざまな解釈が成り立つ作品だという感想を持った。読み始めてすぐに、「エンジェル」という主人公の名前と、物語の後半で彼女が住むことになる「パラダイスハウス」という邸の名前が、作者の皮肉を込めた意図的な命名であることに気づいて、勝手な思い込みでいささか早合点していたわたしをあわてさせた。しかし、登場人物たちの心の動きが非常にていねいな筆致で描かれているので、それを丹念にたどることによって、時にはエンジェルの型破りな言動にいらだちを覚えながらも、最後まで飽きることなく主人公の人生に付き合ってしまった。
いまから50年以上も前に発表された作品だが、舞台はそれよりもさらに50年さかのぼって1900年代初頭のイギリスである。物語はエンジェルの少女時代から始まっている。
倉庫やビール工場の立ち並ぶノーリーというさえない田舎町。商店が軒を並べるボランティア通りの片隅に、「デヴェレル・ファミリー」という名の一軒の食料品店があって、愛想のいい女主人と、町の学校に通う15歳の娘が店の二階でひっそりと暮らしている。娘の名前はアンジェリカ・デヴェレルといい、町の人たちからはエンジェルと呼ばれている。
エンジェルは一風変わった女の子で、上流社会への憧れが強く、今の惨めな(自分だけがそう思っている)生活からぬけだすことばかりを考えている。いつもお高くとまっているので学校へ行っても友達はいないし、先生には問題のある子供として目をつけられている。家に帰っても、たびたびやってくるロッティ伯母さんから、学資を助けてやっているのはだれかい、と恩着せがましいことをいわれて爆発寸前だ。
エンジェルは思う。
「こんな人生はいや。もっと大人になって、綺麗で、お金持ちで、あらゆる男を支配する、そんな人生がいい」と。
とはいっても、「ほかの娘たちのように現実から逃れる才覚も美貌も持ち合わせていない」エンジェルには、真実から目もそむけ、夢のなかに逃げ込んでいくことしかできない。
ところが、仮病を発端に事態は思わぬ展開を見せる。学校を辞めて一気に書き上げた小説『レディー・イレニア』が大ベストセラーになるのだ。莫大な富を手にし、エンジェルの人生は一変する。
このあたりの展開は実にみごとで、小さな出来事がいくつもつながって大きなうねりとなり、読者をぐいぐいひっぱっていく。テイラーの確かな構成力をうかがわせる場面だが、このほかにも計算された皮肉な演出が随所にちりばめられていて、読者を物語の中に引きずり込んでいく。主題の選び方からジェーン・オースティンと称されることもあるらしいが、推理小説並みの巧みなプロットに、ヘンリー・ジェイムズを思い起こす人もいるのではないだろうか。
さて、ほしいものは何でも買えるようになった。家でも、ドレスでも、高価な乗り物でも。しかしエンジェルの欲望はとどまるところを知らない。お金の次には名声がほしい。富はエンジェルの虚栄心を鎮めるどころか火をつけたに過ぎなかった。
「エンジェルは雲間からトランペットが現れ出て、『天才』『傑作』という賞賛の声が響き渡ることを期待していた」のである。
ところが、本の売れ行きは好調でも、批評家たちは彼女の作品に容赦ない言葉を浴びせる。ある批評家が発した「支離滅裂」という言葉に、エンジェルは呆然とし、怒り、怯える。
テイラーは、エンジェルが欲望を満たそうとする姿を、嘲笑を交えながらグロテスクなまでに誇張して描いている。しかしテイラーのねらいは、彼女の孤独を描くことにあって、醜い姿を読者の前にさらすことではないような気がする。
やがて心の隙間をうめるように、エンジェルは恋にのめりこんでいく。
相手は領主の甥というだけで、容姿以外には何の取り柄もないエスメという絵描き崩れだ。エンジェルは自分が作り上げたエスメのイメージに恋をしているとも気づかずに、その恋に浸ることによってまたしても真実から目をそらそうとする。
だが、偽りの愛の上にかろうじて成り立っていた結婚生活は、エスメの事故死によってあえなく終わりを迎える。それを境に、エンジェルはますます夢の中に閉じこもるようになり、死ぬまで「想像の檻」から解き放たれることはなかった。
パラダイスハウスをこの世に見立てたら、エンジェルの姿はさしずめわれわれ自身の姿なのだろう。欲望を満たすことに汲々としているわたしたちに、エンジェルの姿が重なって見えてしかたがない。もちろん、オゾン監督の言うように、女性の自立という観点から見れば、これから人生を切り拓いていこうとする若い女性たちに、なにがしかのヒントを与えてくれる作品であることは間違いないだろう。
最所篤子さんの独特の呼吸感と語彙のほうふな素晴らしい訳文に羨望を感じた。



























