『望楼館追想』
本を閉じてからも、至福の時間から身を引き離すことが忍びなくて、しばらくその余韻に浸っていた。それほど、この小説はわたしの心をとりこにしたし、作中の人物たちは強烈な印象を残したのだった。あとがきに「ディケンズ、カフカ、カルヴィーノ、セルバンテスをミックスしたおもしろさ」とあったが、なぜかポール・オースターの「ムーン・パレス」を思い出した。どちらも物語らしい物語で、孤独で個性的な人物が登場するせいかもしれない。著者はイギリス人で、三十才で書いたこの作品がデビュー作である。彫刻家でイラストレーターでもあるというから、その多才ぶりには驚かされる。
物語は、都市の中で孤島のように取り残され、老朽化した建物「望楼館」に住む人々の話である。主人公フランシスは公園の台座に乗り、白い服、白い鬘、白い手袋といういでたちで、微動だにせずに立ち続けることで収入を得ている。普段も手袋を脱がず、それを汚すことを病的に恐れている上に、人の大切にしている物を盗んで収集する癖がある。他の住人も、涙と汗を流し続ける元教師、テレビの世界を現実と思い込んでいる老女、犬の首輪をし、犬としか意思の疎通のできない犬女、そして「シッ」という言葉以外は発せず、黙々と掃除し続ける門番など、主人公に負けず劣らず変人ぞろいで、変人好きのわたしにはそれだけでもたまらない。彼らに共通しているのは、社会から見捨てられた孤独な人間だということ。
ところが、そこに新しい住人のアリスが越してくることで、平穏だが淀んだ生活にさざなみがたち始める。ついにそれは大きな波となって住人を襲い、それぞれを思いがけない運命へと運び去る。
これは過去の出来事によって、心がゆがみ、あるいは自分を閉じてしまった人間が、再生する物語だといっていいだろう。過去がどんなに辛くても、そこから逃れようとする限り、過去だけでなく現実ともつながりのない場所に身を置かなくてはならない。一歩を踏み出すためには、どうしても過去を見つめ直す必要があるのだ。この物語では、外交的な人間であるアリスを媒介として、住人の麻痺していた心が開かれ、過去が明るみに出される。それは、とりもなおさず現在の自分を認識することにもなり、それに耐えられない人間は人生から脱落していく。しかし、考えてみれば、寸分たがわぬ等身大の自分を直視できる人間がどれだけいるだろう。多かれ少なかれ、自分にも世界にも幻想を抱かずには生きていけないのも事実である。それに、情けない自分の姿にも(内面も海面も)徐々に慣れていくからこそ受け入れられるが、この物語中の老女のように、いきなり目の前に突きつけられれば、受け入れることは難しいにちがいない。
また、主人公フランシスが物に異常な執着をみせるのは、物は裏切らず、心を乱すことがないからだろう。フランシスの独白で繰り返される「内面の不動」という言葉も、その心を端的に表している。その実、心の底では人の愛に飢えていた。だからこそ、現実の人間を愛すには、収集品を失うという手痛い試練を受けなければならなかったのだ。「幸せとは自ら自身の外に出ることである」と言った哲学者がいるが、最後の場面でようやく殻から抜け出た主人公の姿に、明るい未来が暗示されている。
難をいえば、物語の終わりに、フランシスが今まで盗んだ品物を千点近く羅列した部分が添えてあるのだが、はたしてこれが必要かどうか疑問である。第三者には何の意味もないガラクタばかりなので、全部目を通すのは少々きつい。
この本には愛、孤独、老いなどさまざまなテーマが含まれている。構成も工夫されていて、過去から現在を追っていく主人公の父親の意識と、現在から過去に遡っていく母親の意識の軸が徐々に接近し、ついには交差する部分などは圧巻だ。翻訳も優れていて、簡潔な文章でぐいぐい引き込んでいく。とにかく、文句なしに面白いので、ぜひ一人でも多くの方にこの本を読む幸せを味わってもらいたい。



























