入門翻訳勝ち抜き道場

翻訳玉手箱

藤岡啓介の翻訳玉手箱

Wilkie Colins

MR. LISMORE AND THE WIDOW (その1)

BY WILKIE COLLINS

ウィルキーコリンズが生まれたのは1824年、彼がものを書き出したのが1851年で、チャールズ・ディケンズの編集発行する雑誌"Household Words"(芝居狂のディケンズがシェイクスピアの『ヘンリー五世』にある言葉から考え出した誌名で「代々語り継がれる名台詞」が原義)に投稿するようになってからといいます。ヴィクトリア朝の真っ只中で活躍していたディケンズ、サッカレー、ギャスケル、エリオット、トロロープなどの作家群の一人です。推理小説の構成で書いた『月長石』『白い服の女』などで流行作家になり、その後の英国推理小説の元祖になっています。翻訳もあって、読み物として面白いですよ。今回の"MR. LISMORE AND THE WIDOW"(ミスター・リズモアと未亡人)は読みきりの軽い読み物です。皆さんが文芸ものの翻訳を勉強して、何か一つの作品を「完訳した」という経験になると思います。

テキスト 01

Late in the autumn, not many years since, a public meeting was held at the Mansion House, London, under the direction of the Lord Mayor.
The list of gentlemen invited to address the audience had been chosen with two objects in view. Speakers of celebrity, who would rouse public enthusiasm, were supported by speakers connected with commerce, who would be practically useful in explaining the purpose for which the meeting was convened. Money wisely spent in advertising had produced the customary result: every seat was occupied before the proceedings began.

解題:

不特定多数の聴衆を前にて何か語らなければならないとしたら、まず工夫するのは冒頭の言葉でしょう。聴衆の注意をひきつけなければ、どのように見事な内容であっても理解されません。話の味わいを楽しんでもらえません。これは小説でも同じて、作家たちはたとえ何気なくさらりと語る文章であっても、その冒頭の何行かに心血を注いでいます。翻訳も同じで、作品の冒頭の語句は難物です。同じ作家のものを読みなれていれば素直についていけるかもしれませんが、初めての作家の文章だと、どのような調子で、語彙で、物語を織り込んでいけばよいか、意外と苦労するものです。

いきなり冒頭で人名が出てくるような小説があります。登場する人物が男なのか女なのか、その身分は、語られる事件の状況は、と翻訳者は読者同様に話を楽しみながら翻訳していきます。長編だと、まずは風景描写、土地柄の説明がだらだら続きますね。中には登場人物の家系まで延々と続くことがあります。翻訳者は気楽に「だらだら」に付き合っていけます。

いずれにしても、作家にとって「書き出し」は重要で、ゆっくりと人物や背景を語りながら気息を調えるとでもいうのでしょうか、やがて訪れる「波乱万丈の物語」を予感させていきます。コリンズの時代、大方は写実小説で、「書き出し」で作家が思いを凝らすといってもそうじて素直な書きっぷりですが(素直な名文、といった方がいいかも知れませんが)、短編となると、読者の意表をつく発想で書き出しているのが多々あって、それを翻訳するのがひどく難しいことがあります。現代小説ではその傾向はますます盛んになってきています。

ところで、日本の作家でも島崎藤村、夏目漱石、芥川龍之介、志賀直哉、川端康成など、その代表作の冒頭は以前だったら中・高生が暗記していたほどに読みやすく、覚えやすく、唱えやすいものです。

蓮華寺では下宿を兼ねた。――『破戒』
木曽路はすべて山の中である。――『夜明け前』
我輩は猫である。――『我輩は猫である』
山路を登りながら、かう考えた。――『草枕』
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。――『雪国』

ふと思いつくだけでも、何人かの作家の冒頭の一句が浮かんできます。外国文学でもトルストイの『アンナ・カレーニナ』の書き出しの一文はことに有名です。コンスタンス・ガーネット女史の英訳でみると「Happy families are all alike; every unhappy family is unhappy in its own way.(幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭はといえば、それぞれに不幸である)」という書き出しのように、有名な冒頭の一句があります。メルヴィルの『白鯨』の冒頭、わずか3語の「Call me Ishmael.(わたしのことはイシュメールとしておこう)」も英米人の耳に馴染んでいる言葉です。イシュメールは旧約聖書に現れる流浪の人なのですから、作家がこの名を使う理由が漫然とであっても理解できるのです。

作家はこの冒頭の一句が浮かんでくるまで何年も「書き出せないでいた」か、あるいは言葉が浮かんできて一気に大ロマンを書き進めたか、いずれにしても文章に生命をもたす文学作品では、冒頭の一句は余人にはうかがい知ることのできない重みがあります。

今回のコリンズの作品は文学史上に残る名作でもないし、軽く書いたラブ・ロマンスですからここぞと翻訳者が気張るものではないのですが、いかに軽く書いたといっても一流の作家の文章です。この作品全体の訳文の調子にもかかわることなので、しっかりと訳しておきたいところです。

■ 冒頭の一句が勝負

Late in the autumn, not many years since, a public meeting was held at the Mansion House, London, under the direction of the Lord Mayor.:

変哲のない文にみえますが、since までの二つの副詞句が詩文のように響いています。これを「秋も遅くなって、そのとき以来何年も経っていないとき」と素直に訳すと面白味が出ません。

the autumn と冠詞がついているので「特定の年の秋」であると読んでおきます。といって、それが何年であったかは書いていないので、「公開討論会が開かれた秋」と理解すればいいでしょう。したがって翻訳では素直に「討論会があった年の晩秋」が頭に来た方が読みやすくなります。「秋」、「何年も以前」、と並んだとき、日本語では「秋」と「何年も以前」とを置き換えた方が素直に読めます。これを無理して原文の語順にすると、「晩秋、それもさほど以前のことではなかったが」と、ずいぶんと古めかしい響きの文章になりませんか。コリンズがこの作品を書いたときの読者には案外と馴染みのある文体だったのでしょうが、それから百五十年も経っています。翻訳では「軽く」いきましょう。

――さほど以前のことではなかったが、秋もだいぶ深まったとき、ところはロンドン市長官邸のあるマンションハウスで、市長じきじきの音頭で公開討論会が開かれた。

こう訳すと、「……ではなかったが」「……深まったとき、ところは」で調子を出し、雑誌に掲げられた読み物らしくなるでしょう。

a public meeting: 公の集会で、しかも市長が音頭をとっているので、「公開討論会」とします。

the Mansion House: 大文字語で固有名詞です。英和辞書によると「市長官舎」になりますが、この物語の舞台になる建物をたんに「官舎」では気になります。

The Manison House

■ 固有名詞の表記がカタカナ表記ですませない場合

The Mansion house はカタカナ表記にします。といって、たんに「マンションハウス」としては読者にイメージが伝わりません。インターネットで調べれば分かりますが、写真で見るように大きな建物で、辞書にある「市長官舎」とはほど遠い建物ですね。集会や舞踏会が開催されるホールのある建物で、一角に市長の官邸があったので、「市長官邸のあるマンションハウス」としておけばいいでしょう。

■「主宰」か「主催」か?

under the direction of: 〜の主宰で。direction を「管理、指導」は野暮ですね。くだけて訳せば、「市長の音頭とりで」くらいかな。この小説が軽い読み物なので「市長じきじきの」と補っておくのもいいでしょう。

日本語には同じような意味で「主宰する」「主催する」という言葉がありますが、「監督する」「指揮する」という意味では「主宰する」になるようです。「藤岡が翻訳勉強会を主宰する」といいますが、これを主催する、とすると、藤岡が実際に翻訳を指導しないで、催しとしての勉強会を開催している、というニュアンスになりますね。ここでは市長の音頭とり、肝いり、と訳といいでしょう。市長が当日の演題と弁士を決めて、おそらく開会の挨拶くらいはしているので、格式ばって under the direction of 〜といかめしく広告していたと考えます。

The list of gentlemen invited to address the audience had been chosen with two objects in view:

聴衆に演説する紳士たちの名簿は、二つのねらいを目的として選ばれていた――これでは小説ではないですね。

■ 発言者のlistを「顔ぶれ」――英和と和英の併用を

list を「顔ぶれ」と発想できれば大丈夫です。英和で「名簿」とあるからこれでいいではなく、できるだけこの小説の雰囲気に馴染むうまい言葉を探します。これぞという言葉があったら今度は和英辞書で確認するといいでしょう。和英で「顔ぶれ」を引くと a lineup、a member とあるので安心できます。

The list of gentlemen invited to address the audience had been chosen with two objects in view:

聴衆に演説する紳士たちの名簿は、二つのねらいを目的として選ばれていた――これでは面白くない。「名簿」なんて野暮な言葉を小説で書けるかい、といった感覚かな。listを「顔ぶれ」と発想できれば大丈夫です。

■ 欧文的な発想を日本語の発想に

Speakers of celebrity, who would rouse public enthusiasm, were supported by speakers connected with commerce, who would be practically useful in explaining the purpose for which the meeting was convened.:

逐語的に訳してみます。――高名な弁士たちは、彼らは大衆的な熱狂を喚起する人たちであり、討論会がもたれた目的を説明することにおいて実際的に役立つ、交易との関係のある弁士たちによって支持されていた。

これだけを読むと「高名な弁士が、交易関係の弁士によって支持されていた」となって、何をいっているか分かりません。挿入されたwh-節は「高名な弁士たち」を補足して説明しているのですが、「……を喚起するものであって」と読んで、ことの因果関係を説明していると解釈します。こうした文章では、まずしっかりとした読みが必要になります。

――討論会が開催されたところの目的を(その理由を)説明するのに実際的に役立つ弁士(後者)が、人気だけの弁士(前者)を支えている。

このように理解すると話が通ります。ここから自分の訳文を導くのですが、ここでは日本語的な発想で、名詞句 speakers of celebrity や動詞 support の語義を生かしながら、つぎのように訳した方がいいでしょう。

――名士たちが居並んでいるが、これは大衆的な知名度を頼りにした客寄せで、実際には貿易問題に関わる弁士たちがいるので、この討論会を開いた目的が何であったかがじゅうぶん察しがつくというものだった。

訳文の末尾を「……というものだった」としましたが、先に述べた因果関係の理由付けになっています。commerce を「貿易問題」としましたが、この小説の後段を読んで、公開討論会の議題が積み荷に関する保険であるのが分かったからです。どう訳すか訳語に迷ったときは、はじめ「商業」としておいて、後で「貿易」か「交易」に修正すればいいでしょう。

■「金」か「お金」か?

Money wisely spent in advertising had produced the customary result: every seat was occupied before the proceedings began.:

「広告に賢明につかわれた金は、いつもの結果を生じた。どの席も、議事の始まる前に占められていた。」

動詞 spend は「(広告に)金を遣う」とします。「金」か「お金」か、迷います。地の文章で丁寧語の「お金」を使うのは変だと思えますが、「お金を使って広告した」と訳すと「お金」、「広告に金を使って」と訳すと「金」になりますね。ここでは後者がいいでしょう。

advertising は「広告」。この時代、すでに新聞や日曜版、週刊誌が発行されていました。

the customary result: customary は語義的にいえば「習慣的な、例の」ですが、ここでは「広告すれば当然のことだが」といった「因果関係」を考えて訳しておきます。

every seat was occupied: ここで「満席」としたら芸がないな、という感じ。

藤岡訳:

さほど以前のことではなかったが、秋もだいぶ深まったとき、ところはロンドン市長官邸のあるマンションハウスで、市長じきじきの音頭で公開討論会が開かれた。
 聴衆を前に演説するよう招かれた紳士たちの顔ぶれをみると、趣旨からいって、ふたつの狙いがあった。名士たちが居並んでいるが、これは大衆的な知名度を頼りにした客寄せで、実際には貿易問題に関わる弁士たちがいるので、この討論会を開いた目的が何であったかがじゅうぶん察しがつくというものだった。上手に金をかけて広告したので結果はいつものように上々の入りで、討論が始まる前から席がふさがっていた。

テキスト 02

Among the late arrivals, who had no choice but to stand or to leave the hall, were two ladies. One of them at once decided on leaving the hall.
"I shall go back to the carriage," she said, "and wait for you at the door."
Her friend answered, "I sha'n't keep you long. He is advertised to support the second resolution; I want to see him, and that is all."

解題:

who had no choice but to stand or to leave the hall: have no choice but to do 〜。〜せざるをえない」ですね。立っているかホールを出て行くか、いずれかせざるを得ない(ところの遅れてきた人たちの中に)。hall は「ホール」でも「会場」でもいいのですが、大きな建物の中に大小いくつものホールがある、というマンションハウスを考えると、「ホール」の方が近いかな。原文では従属節になっていますが、翻訳ではこの文節を頭にもってきた方がいいでしょう。

wait for you at the door: 翻訳者にとって door は嫌な言葉です。写真で見るように、ここでいう door は馬車に乗ったまま待っていられる「建物の正面出入り口」でしょう。公開討論会に馬車で乗り付けてくる人などそうたくさんいなかったので、このようにして待つことができたのでしょう。観劇だったら別の言い方になったでしょうね。

■ 向こうには「玄関」はない

door では「玄関」という対応語がよく使われますが、approach, entrance, façade, keep, doorway, hall, recess などの建築用語では日本にない構造・意匠のものがあるので要注意です。日本語の「かもい」「敷居」「犬ばしり」「天井」「障子」「襖」「天守閣」「本丸」「土俵」は英語にありませんね。それぞれに文化の伝統をもつ建築、衣裳、スポーツ、遊戯、食べ物、飲み物では翻訳者のしっかりした見識が必要となります。the second resolution で resolution を「議案」としました。第一議案、第二議案、と表記していいでしょう。

藤岡訳:

これではもう立ったまま演説をきくか、あきらめてホールを後にするかのいずれかだったが、遅れてきた人の中に二人の婦人がいた。その一人はすぐさまホールから出て行くことにして、「わたしは馬車に戻りますわ。正面入口でお待ちしています」といった。
「そう長くは待たさなくてよ。あの方、第二議案で賛成演説をすると広告にあったし、わたしの用件はあの方を見ておくだけですから」と連れが答えた。

以下は1月22日掲載の第2回で

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