藤岡啓介の翻訳玉手箱
公開講座 プロになるぞ!! 第3期
番外
執筆者と読者が交流の輪を広げる――理想です。その一つに、雑誌では読者からの「投稿」を募って編集後記、あるいは別立てのコラムに寄せられた記事を載せています。本誌に掲載しているぼくの記事では、せっかく頂いている機会だから、読者に「力試し」をしてもらおうと、課題を出して読者の【回答】を求めています。今回は4月12日号、5月24日号、「巻頭エッセー」、5月17日号「公開講座」で【回答】を求めた課題の解題です。 藤岡記
ぜひとも「斎藤秀三郎」の勉強を、英語界の巨人です
辞書の好きな人なら、たいては手元に置いているのではないかな。斎藤秀三郎『熟語本位英和中辞典』(岩波書店)です。前置詞onだけで10頁の記述がある。例文はもちろん闊達な達意の訳文つき。著者の斎藤秀三郎について知りたかったら、『斎藤秀三郎伝――その生涯と業績』(大村喜吉、吾妻書房)がありますが、ぼくの書いた斎藤永頼、秀三郎父子の話は、この大村さんの書によります。巻頭ものなどのエッセーを書いていると、書き手としては話の典拠を隠しておきたいところなのですが、この大村さんのお仕事はそんなケチな根性を許さない。名著です。残念ながら新刊はありません。手元にある1972年第5刷(初版1960年)で1500円だったものが、今調べてみると古書で15000円になっています。もちろん英語・翻訳をやるならその価値は十分あるのですが、手元不如意の方は図書館で勉強してください。三度くらい通読すれば、明治になってからの英語と日本語との格闘史が読めてくるでしょう。市川三喜博士や夏目漱石は当然のこと、新宿中村屋の相馬黒光さんまで登場します。
解題: 【4月12日】巻頭エッセイ「あくびをしなかった……」より出題
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動詞lie(横になる、横たわる)の現在形ですね。永頼さんはほんとうに「えいらいさん」で牧師だったのでdutyはどうだろう、「義務」「務め」、どちらかな。『熟語本位英和中辞典』をみると、「(人たるものの)為す可き事、本分、(道徳・法律上の)義務」とあります。「平和の愛好者」とあるから、ここではいわゆる「人の道」で、強意のeverを強調して文語的に「人道に悖ることなく永久なる平和を願いし」などと唱えたくなります。でもこれでは課題訳にはならないでしょう。
gentakuさん:
――安寧を旨とし全うした者、ここに眠る。
藤岡コメント:
「安寧」は考えすぎかな。「全うする」も、墓碑銘らしいけど、困るな。
ねこのひげさん:
――平和を愛しいかなる時も務めを果たせし者、ここに眠る。
藤岡コメント:
「いかなる時も」の「も」が気になるな。動詞「務めを果たす」につなぐと、何か求められて、その求めに応じて、というニュアンスになってしまう。
たなこさん:
――平和を愛し、生涯に渡り己の本分を尽くした男、ここに眠る。
藤岡コメント:
「己の本分」。それはそうだが、待てよ、というのが評者の呼吸。「本分」はもう古くはないですか? 責任、責務、本務などという類語がありますが「学生の本分」などというお偉い先生たちの訓話の響きが強いな。
モーモーさん:
――平和を愛し、常に自らの務めに忠実であった者、ここに眠る。
藤岡コメント:
これが素直でいいな。モーモーさんに図書券進呈!
解題: 【4月12日】巻頭エッセイ「あくびをしなかった……」より出題
「たとえこの世で不幸であろうと、それがなんだ、生まれる前のわたしは無だった」という文章で、what if I amという問い掛けが面白い。翻訳では「それがなんだ、それがなんであろう、それがなんだというのだ」という発想をすれば満点ですね。
たなこさん:
――この世を楽しまずして何とする? 生まれる前は無であったのだぞ。
藤岡コメント:
文意がおかしいな。斎藤秀三郎語録に「天国に行ってからも英語丈けは勉強するよ、人間が此世で成し遂げる事が出来る仕事って高の知れたものさ」があります。先生はこの世で並の幸せなんか問題にしていなかったのですね。弟子たちは「無理と不摂生の雨と風を自ら招いて亡くなった」といっています。
ねこのひげさん:
――私がこの世で幸せでないとしてもそれが何であろうか。生まれる前は無であったのだ。
藤岡コメント:
上手に捉えています。「それが」の前に読点を入れればなおよかった。図書券進呈です。
モーモーさん:
――この世で幸福でなくても結構。生まれる前は無だったのだ。
藤岡コメント:
もの足りないな。「結構」は「これでもうたくさん」という意味で使ったんだろうけど、英語のwhat if ……?が生きているかしら。
心のあり方――法助動詞
解題: 【5月17日出題】公開講座第3期 第3回より出題
出題したとき明らかにしておきましたが、MODAL(法助動詞)mayの問題でCobuild English Dictionaryからの出題です。次のような語義になります(語義第7項)。
最近の英和辞書で助動詞をみると、詳しい語法の解説も含めて語義・対応語が記載されています。乱暴ですがmayの項で対応語だけをとりだすと、「かもしれない」「することがある」「してよい」「であるよう」「たとえ~しても」「でしょうか」「するように」などいくつもの語義に分類しています。
翻訳者はここで、まず語法をみて、次いで対応語を選択するのですが、今回の課題の例文では、
――スコットランドでは二人の者が、自分たちの結婚当日に少なくとも16歳であるという条件で結婚……
となりますが、この後が問題です。Cobuildの語義を良く読むと「結婚……」は単に「結婚できる」ではなくて「結婚することが許されている」、あるいは「結婚することが法律で認められている」とすることができます。
法助動詞は「心のあり方」を示す助動詞で、翻訳者にとって一番厄介な言葉であるともいえます。曖昧であり、また語義も多様です。Cobuildの語義を引用しましたが、語義で使われているyou, indicate、something、someone, allow、happen、to be、future、certainなどの言葉がきわめて厳密な語義定義の研究を基にしていることに注目しなければなりません。Youで語義を書き出していますが、このYouは、このmayを使う「あなたの心のあり方」を示しています。詳しくは『英語翻訳練習帳』(藤岡啓介、丸善ライブラリー、2001年)をごらんください。
kionさん:
――スコットランドでは結婚当日に両者が16歳に達していれば結婚できると規定されている。
藤岡コメント:
「規定されている」とは「法律で認められている」というのだろうけど、それだったら「法律で定められている」になるな。「規則で定める」ではない。考えすぎかな。
ネスさん:
――スコットランドでは、結婚の日に両名ともが16歳以上である限り、誰でも結婚することが許されている。
藤岡コメント:
「……である限り」は政治家の答弁のよう、いくつかに解釈できる。
ぶりちゃんさん:
――スコットランドにおいては、当事者が両名とも16歳に達していれば、全ての人に結婚が認められている。
藤岡コメント:
「全ての人に結婚が認められている」の流れには参った。「……していれば、すべての」と考えたんだろうけど、要再考。
ひなたごっこさん:
――スコットランドでは、結婚する時点において二人ともが16歳以上であれば、いかなる二人であっても結婚が認められている。
藤岡コメント:
「二人ともが」は変だな。「いかなる二人」は云い過ぎ。
モーモーさん:
――スコットランドでは、結婚時に双方とも十六歳以上であれば、だれでも結婚できる。
藤岡コメント:
問題は法律で「認められている」なんだけど。モーモー訳だと、mayは「可能を示す助動詞」だな。
ヨシノスケさん:
――スコットランドでは、婚姻の日において両者とも16歳以上であれば誰でも結婚できる。
藤岡コメント:
モーモーさんと同じだな。
皆さん良く考えているな。でも、講座でも同じことを何度も繰り返して書いているけど、「語義」と「対応語」をしっかり考えておかないと、「心のあり方」が理解できない。本稿で斎藤秀三郎という巨人の言葉を紹介しておきましたが、
――天国に行ってからも英語丈けは勉強するよ、人間が此世で成し遂げる事が出来る仕事って高の知れたものさ。
すごい言葉ですね。何度読んでも痺れてしまう!
誤植でした!
解題: 【5月24日】巻頭エッセイ「王様のつぎに偉い人……」より出題
課題で誤植とは申し訳ありません。holeはhallです。完全な、単純な見落としです。したがって本課題は採点不能です。つまらぬ失策で皆さんを悩ませました。深くお詫び申し上げます。一応皆さんの苦心の訳文を下記に掲げますが、誤植を正した後の藤岡訳は、
――大広間に運ばれてくる酒という酒をぐいとひと飲みする名誉を得て……。
です。みなさんそれぞれに、よろしく訳文を吟味してください。文頭に「……」のある引用文をどのように訳出するか、その答えになるでしょう。訳語では、「名誉を得て」がミソでした。出題当該個所の文章は、「武器の供給者である鍛冶屋は、とびきり優遇され、宮廷の扱いは最高位で、自他共に認めるナイト“mighty warsmith”という次第だから、酒宴があれば王様のすぐ傍に席を与えられ、こんな情景もあったと記録されている。」とあるので、ちょっと「軽く」訳すと雰囲気が出ますね。
かわべいさん:
――酒宴の席に持ち込まれた酒はなんでも、自由に飲むことができた。
モーモーさん:
――口に入れてしまえば、どんな酒でも飲む権利がある。
ひなたごっこさん:
――穴に持ち込まれたすべての種類の酒を一口飲む権利がある。
ネスさん:
――酒蔵に持ち込まれた酒は、どれでも飲んでよかった。
―― 「わたしの新訳」に挑戦しましょう ――
本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦します。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」をはじめとして、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでほしい」と希望されれば、本講座の藤岡先生が原文・翻訳を読み、一応のレベルに達していると判断したら(あるいは何回かダメをだして改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。翻訳する作品は、版権がない(原則没後50年たった)英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイ。サキ、O・ヘンリー、ビアスなどの短篇作家には、新しい翻訳が望まれていますよ。ハーディーやD.Hロレンスにも短編があります。
応募を受けて推薦しない場合、その旨を伝えします。
手をつけている作品がありますか? 新刊の版権フリー本だけが市場ではありませんよ。編集部宛てに「自己紹介」と翻訳する作者(作品)を教えてください。手順を案内します。
英語圏以外の知られざる作品も
ドイツ語翻訳者のたかおまゆみさんの『ヤギ飼い少年 モニ』は、ヨハンナ・シュピリの隠れた名作です。「隠れた」というのは、『ハイジ』に隠れて、あまり一般には知られていない、といった意味ですが、そういった、英語以外の古典新訳も受け付けています。あなただけのとっておきの名作を発表しませんか?藤岡先生が的確なコメントとアドバイスをくださいます。藤岡先生によるフィードバックの一部をご紹介します。これから挑戦されることを検討していらっしゃるみなさま、参考にしてください!
藤岡先生コメント(抜粋)
- 提出していただいた翻訳は、翻訳コンテストでは優秀作でしょうが、でも、これを翻訳者が実名で発表するとなると、もうひと工夫ふた工夫がほしくなります。登竜門への挑戦です。頑張りましょう。
- (藤岡先生の)参考訳をよくごらんください。翻訳しながら悩んだこと、迷ったことへの回答があるでしょう? 英文解釈もさることながら、この作品は低学年の子供たちが読むものです。こどもの読解力に迎合してやさしくするのではなく、一定の語彙・表記・表現の幅を踏まえながら、子供たちに日本語の正しい発想で読み書きすることを教えなければなりません。いわゆる「翻訳臭」を徹底的に避けます。基本的には、みゅうの母さんの日本語は温かく、すてきな感性を表しています。
- 語りかける作家の姿勢は?ここで翻訳者は「翻訳者」でなく、日本の作家にならなければ駄目でしょうね。参考訳は一案で、他にもいろいろ考えられるところです。この商品の「決め手」になるでしょう。
このほか、原稿のフォーマットについての指示など丁寧なアドバイスをしています。
藤岡先生の参考訳は、A4 一頁に及び、訳文を改訂する際に十分な量の訳例を提示しています。
どうぞみなさん、果敢に挑戦してください。お待ちしております。
編集部記
(第4巻159号)




























