入門翻訳勝ち抜き道場

翻訳玉手箱

藤岡啓介の翻訳玉手箱
公開講座 プロになるぞ!! 第3期
番外

藤岡啓介
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執筆者と読者が交流を高める――理想です。その一つに、雑誌では読者からの「投稿」を募って編集後記、あるいは別立てのコラムに寄せられた記事を載せています。本誌に掲載しているぼくの記事では、せっかく頂いている機会だから、読者に「力試し」をしてもらおうと、課題を出して読者の【回答】を寄せてもらうようにしています。今回の『公開講座 番外』は、1月25日号の課題解題が残っていたので、さて、在庫一掃、いやいや、図書券の椀飯振舞いです。

あなたの文章修業のお手本は?

ところでその椀飯振舞い(おうばんふるまい)に入る前に、一つ皆さんの声を聞きたいのですが。思いついたきっかけは翻訳者の村松静枝さんとの問答です。

村松:翻訳をやっていて思うのは、自分に文章力がなく、語彙に乏しいことです。日ごろの読書・観察・思考の蓄積がものをいうのでしょうが、改めて考えてしまうのですが、どんな本を読んでいればいいでしょうか?
藤岡:そうだな、よく翻訳にgender gapはない、ディケンズやブロンテ姉妹を男性が訳そうが女性が訳そうが問題ではない、というけど、そうかな? 十代のころからプロの物書き、翻訳者、編集者を志向して育ってきたのなら、問題はないけど、人生の途中から一念発起して文学作品の翻訳を、というなら、それこそ、積極的にgender gapを生かせばいい。これは男もの、これぞ女ものと分けて、読書にしても仕事の翻訳にしても無駄をしないことだな。
村松:では、わたしだったら誰を読んだらいいでしょう? お手本になる文章は?
藤岡:それが困るんだな。ぼくは新しい作家をほとんど知らない。日本の作家でもそうだからな、幸田文、円地文子などが文章家だけど、もう古い人たちかな。
村松:そうだ、先生、わたしは向田邦子さんが大好き。『あ・うん』を何度も読み返して……
藤岡:もしも翻訳者が男だったら、間違いなく島崎藤村、夏目漱石、太宰治、中山義秀とならべて、この作家たちの文章の強烈な影響から抜け出たところで自分の文章が書けるようになる、と分かったようなことをいうのだけど……ご免なさい、ぼくは向田さんはTVドラマでだけなんだ。

さて皆さん、皆さんはどの作家が好きですか? 愛読している作家と、その代表作を教えてください。もちろん、あなたの文章修業のお手本です。【質問に答える】

「わたしの愛読書」をどのようにして掲載するかは編集部にお任せですが、ペンネームでも本名でもきちんと書き込み、それと、100文字以内だったら感想も加えてください。
残念ながら、掲載しても原稿料は出ません。

W.スコットの『Guy Mannering』にその雄姿が描かれています

課題の掲載が1月25日号、あっというまに時は移り、それにしても、課題訳の評価が遅くなりました。2010年になって、身体の調子が良くなったと思ったら、『公開講座』のお弟子さんの入れ替え、おまけにあれやこれや仕事が重なり……いけない、駄目だよ、これはもっとも忌むべき「言い訳」だ!

課題に挑みます。

イングランドのバーミンガムは、産業革命の中心地で鉄鋼産業が栄え、もくもくと石炭をたく煙がたえなかったところです。black countryといって、実物のワット・ボールトン蒸気機関を展示している大きな野外博物館があります。それに、ボールトンの屋敷は、あのダーウィンの祖父やウェッジウッド、それにボールトン、ワット、プリーストリーなどの時代の賢人たちが、月夜に集まって議論をしていたlunar society(月夜の集い)だったのです。近年、市の所有になり記念館SOHO HOUSEになって公開されています。

課題の手紙は、M. ボールトンが蒸気機関を発明したJ. ワットに書いた手紙です。二人は共同で事業を興すなど、後年はきわめて密接な関係をもったのですが、この手紙を書いた1769年は蒸気機関の特許を取得したばかり、これから、というときです。


課題文:
“I was excited by two motives to offer you my assistance which were love of you and love of money-getting, ingenious project,……” 
 (1月25日号)

例の藤岡式文節区切り法で展開してみます。

――わたしは興奮させられた、二つの動機によって。あなたにわたしの援助を申し出でるに当たって、(援助を申し出る動機は)あなたが好きであるという動機と、金儲けが、つまり独創的な事業が好きであるという動機からです。

簡単な文章ですがうっかりすると誤読してしまいますね。money-gettingとingenious projectは同格ですね。さて、寄せられた課題訳を見ていきます。だれに、図書券が届くかな。これが日本の実業家、たとえば鈴木商店の大番頭金子直吉だったら、「貴殿への事業援助、こころよく承知して頂きたい。貴殿への敬意、しかしてこの事業の将来を思えば、まさに興奮の極にあり」とでも書くのかな。西欧の人と同じ発想はないですね。

うききさん:
――あなたに支援を申し出たきっかけには2つあって、あなたのことが大好きだし、金が儲かる独創的な企画というのが大好きだからで、私は胸が踊ったのです。
藤岡コメント:

事業を援助するとは、事業資金を出してやろうということです。ボールトンはこのころメダル(勲章、徽章、金貨、賞牌)製造業で成功していた実業家です。すこし高いところからワットを見ていますね。となると、「胸が躍った」は若すぎるかな。

milkaさん:
――わたしは二つの動機に駆り立てられて、あなたに支援を申し出たのであります。一つはあなたが気に入ったからであり、いま一つは金もうけのできそうな独創的な事業が気に入ったからであります。
藤岡コメント:

「気に入った」が変だな。もしこんな調子の手紙をもらったら、言葉は丁寧だけど、ぼくだったら嫌になってこの話から逃げ出すな。

ネスさん:
――貴殿に援助の手を差し伸べようというふたつの動機でのぼせ上がっておりました。貴殿への愛と、富を手にし、独創的な事業を起こしたいという欲望です。
藤岡コメント:

「のぼせ上がっておりました」。過去完了か、変だな。「すっかり興奮しました」がすっきりですね。loveの訳語で迷ったようですが、日本語の「愛」はたしかに使いにくいですね。

asukabさん:
――あなたへの援助申し入れに興奮しました。支援したい理由は2つあり、ひとつはあなたに好感を抱いたこと、もうひとつは収益をもたらす独創的な設計に愛着を感じたことでした。
藤岡コメント:

前半がおかしいな。「興奮しているが、それは……という動機であなたを援助したいから」という発想です。「金儲け」では紳士の言葉でないので「収益をもたらす」と考えたのでしょうが。でもね、ボールトン、強盗団に襲われたとき、自分から銃を手にして大立ち回りをやったという人物。ただの紳士ではなかった。それと、「理由は二つ」だ。表記に注意。

tomoki yさん:
――私は貴殿に援助を差し伸べたいという思いに心が躍りました。その理由は二つございます。一つは貴殿に対する愛、もう一つはお金が儲かる独創的事業に対する愛です。
藤岡コメント:

丁寧語の使い方がおかしいな。でも、読めるな。図書券出そう。

わーやんさん:
――あなたに援助を申し出る二つの動機で、胸が高鳴ったよ。あなたへの愛とお金を得ることへの愛、巧妙な計画だ……。
藤岡コメント:

後半が変だ。残念。

編集さん、tomoki yさんに図書券を差し上げてください。でも、名訳に接してぼくの胸が高鳴ったわけではありません。みなさん、もう一工夫ですね。

固有名詞を普通名詞に

Gillette, jeep, Caterpillarは商標名ですが、世界中の英語辞典の見出し語になっているでしょう。jeepなどは車の「車種」になって、小文字の普通名詞です。今回の課題文、手紙の宛先はベークランド、熱硬化性樹脂の発明家、そして書いたのがジョージ・イーストマン。内容はベークランドが写真の印画紙を発明したがうまく営業できないでいるとき。すごいパートナーを見つけて、ベークランドの印画紙Veloxも辞書の見出し語になっています。

課題の文章は、未知の人物宛に書く手紙です。それらしく訳してください。アメリカらしいざっくばらんな調子がいいかな? ぼくが三十二年前『工業英語』の巻頭言に書いたときの訳文があるので、添えておきます。


課題文:
“If you are interested in selling, come up to Rochester. We can talk it over and, I am sure, come to terms.” 
(3月8日号)

藤岡訳:
――売っても良いということだったら、ロチェスターまできてください。その件、とくと話し合いたし、必ずや、折り合いつくと思います。

マルコさん:
――売却についてご興味がございましたら、ロチェスターまでおこし頂けませんでしょうか? 十分お話した上で、契約に至ることを確信しております。
藤岡コメント:

in sellingは「販売」だけど、ここでは「売る気があるなら」だろうな。「ロチェスターまで」の「まで」がいいな。「確信しております」が気になるけど。come to termsは「折り合う、話がまとまる」。「契約」を前提とした話し合い、合意、と流れますね。

うききさん:
――売却をお考えでしたら、ロチェスターにお越しください。双方話し合いの上、必ず折り合いがつくものと存じます。
藤岡コメント:

「双方」が重い。「売却」は具体的な(限定条件のある)物、土地のときに使うだろうな。

asukabさん:
――もし売り込みに興味があれば、ぜひロチェスターまでお越しください。お話をうかがい、契約できると確信しています。
藤岡コメント:

頭から「売り込み」はきつい。となると、「確信」にもケチをつけたくなるけど、そうだな、品よくまとまっていますね。

ミケさん:
――販売にご関心があれば、ロチェスターまでお越し下さい。一通り話をしてから、確実に契約条項についての検討まで進めます。
藤岡コメント:

うまいけど、全体にきついや。買い手が、こちらは誠実ですよ、と売り込んでいるようだ。

ネスさん:
――もし販売に御関心がおありでしたら、ロチェスターにお越しください。その件でゆっくりお話し合いができ、合意が得られると確信したしております。
藤岡コメント:

「販売に御関心」は結構だけど、どうも日本人だと使わない言い回しだな。

legalalienukさん:
――製品の売り込みをお考えでしたら、一度ロチェスターにお越しください。商談の上、買わせていただきたいと存じます。
藤岡コメント:

これは良かった!図書券ですね。

モーズレーの発明した「スライドレスト」で近代機械工業誕生!

モーズレーの有名な言葉です。WEBで典拠を探せるかな? あなたの名訳をどうぞ!といって出題したのですが、こういう言葉は人生の指針をいっていて、普通、金言といっていますね。

出題のとき、この文章がSamuel Smiles, “Industrial Biography Iron Workers and Tool Makers”(1863)からのもので、さて皆さんは『西国立志編』を御存じか?と知ったかぶりを一席やろうと考えていたのですが、ちょっと威張るだけじゃ勿体ないので、くわしくは改めて講釈します。そうそう、あのカール・マルクスはロンドンでモーズレーの発明したスライドレストを直に見ているんですよ。『資本論』誕生に貢献しています。


課題文:
"First, get a clear notion of what you desire to accomplish, and then in all probability you will succeed in doing it. 
(3月18日号)

藤岡訳:
――まず、自分がやりとげようと思っているのが何かをはっきり理解せよ。

藤野 浩さん:
――まず、自分がなし得たいことを思い描くことだ。そうすればたいてい叶うものだ。
藤岡コメント:

いいな。図書券だ。

ひなたごっこさん:
――まずは何をやりたいかはっきりさせること。そうすればきっと成し遂げられる。
藤岡コメント:

これも、うまい。図書券だよ。

asukabさん:
――まず第一に、成し遂げたいことをはっきりと理解しなさい、そうすればすべての可能性において目標の実現に成功するでしょう。
藤岡コメント:

硬かったな。でも理解力は十分。表現に問題があるかな。翻訳書ではなく、日本の作家の本格的な文章に浸るといいのだけどな。

ネスさん:
――まず、何を成し遂げたいのか、確信できる願いを持ちなさい。そうすれば、九分九厘、その願いを成就できるだろう。
藤岡コメント:

内容はよく読んでいるのだけど、「九分九厘」の日本語ならではの表現は避けた方がいい。

―― 「わたしの新訳」に挑戦しましょう ――

本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦します。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」をはじめとして、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでほしい」と希望されれば、本講座の藤岡先生が原文・翻訳を読み、一応のレベルに達していると判断したら(あるいは何回かダメをだして改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。翻訳する作品は、版権がない(原則没後50年たった)英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイ。サキ、O・ヘンリー、ビアスなどの短篇作家には、新しい翻訳が望まれていますよ。ハーディーやD.Hロレンスにも短編があります。

応募を受けて推薦しない場合、その旨を伝えします。

手をつけている作品がありますか? 新刊の版権フリー本だけが市場ではありませんよ。編集部宛てに「自己紹介」と翻訳する作者(作品)を教えてください。手順を案内します。

英語圏以外の知られざる作品も

ドイツ語翻訳者のたかおまゆみさんの『ヤギ飼い少年 モニ』は、ヨハンナ・シュピリの隠れた名作です。「隠れた」というのは、『ハイジ』に隠れて、あまり一般には知られていない、といった意味ですが、そういった、英語以外の古典新訳も受け付けています。あなただけのとっておきの名作を発表しませんか?藤岡先生が的確なコメントとアドバイスをくださいます。藤岡先生によるフィードバックの一部をご紹介します。これから挑戦されることを検討していらっしゃるみなさま、参考にしてください!

藤岡先生コメント(抜粋)

  • 提出していただいた翻訳は、翻訳コンテストでは優秀作でしょうが、でも、これを翻訳者が実名で発表するとなると、もうひと工夫ふた工夫がほしくなります。登竜門への挑戦です。頑張りましょう。
  • (藤岡先生の)参考訳をよくごらんください。翻訳しながら悩んだこと、迷ったことへの回答があるでしょう? 英文解釈もさることながら、この作品は低学年の子供たちが読むものです。こどもの読解力に迎合してやさしくするのではなく、一定の語彙・表記・表現の幅を踏まえながら、子供たちに日本語の正しい発想で読み書きすることを教えなければなりません。いわゆる「翻訳臭」を徹底的に避けます。基本的には、みゅうの母さんの日本語は温かく、すてきな感性を表しています。
  • 語りかける作家の姿勢は?ここで翻訳者は「翻訳者」でなく、日本の作家にならなければ駄目でしょうね。参考訳は一案で、他にもいろいろ考えられるところです。この商品の「決め手」になるでしょう。

このほか、原稿のフォーマットについての指示など丁寧なアドバイスをしています。
藤岡先生の参考訳は、A4 一頁に及び、訳文を改訂する際に十分な量の訳例を提示しています。
どうぞみなさん、果敢に挑戦してください。お待ちしております。

編集部記

2010年4月19日号
(第4巻153号)