藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 番外編 その8
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第一期で、第一章と第二章が終了しました。
藤岡先生の全訳はこちらです。
→ウィルキー・コリンズ作、藤岡啓介訳 『死者 は生きていた』 [PDF 版]
作家の翻訳
講座の「番外編」で議論するには、「作家の翻訳」とは御大層なテーマですが、このテーマ、じつは最近になって考えたというものではありません。2000年に『翻訳は文化である』の一章として準備していたものを、「いつか別の機会に」と退けていたのですから、少なくとももう10年は考えてきたといえます。本稿は、当時よりはいくらか語るに値する議論ができているかどうか、それを検証することになりますね。あえて、「番外編」の誌面をいただくことにしました。
半七捕物帳の先生がディケンズを
皆さんご存じかどうか、岡本綺堂といえば『半七捕物帳』がことさらに有名で、大正から昭和にかけて長い間活躍した作家ですが(1872-1939)、この綺堂先生、実は英文学のディケンズを翻訳しています。
父岡本敬之助が明治初頭イギリス公使館で通訳・書記をやっていたという人ですから、綺堂岡本敬二は幼い時から英語の教育を受け、公使館の事務官や来日している留学生たちにも学び、イギリスに留学していた叔父が帰国すると、その叔父にも学んでいました。映画やTVのなかった時代、英語をよく学んでいた紅葉・魯庵・蘆花・涙香・藤村・花袋などは印刷物でしか西洋文明・文化に接していなかったのですが、それに比べて、綺堂はずいぶんと恵まれた環境で育ったといえます。
ディケンズは、私たちにとっては二百年の時空を隔てた作家、いまや難読英文の代表格ですが、そのディケンズを読み訳すといっても、綺堂にとっては「現代の大作家」の書くものです、いかにも現代的な情景、人物が描かれていると思ったはずです。小説の趣向も、都市もの、地方もの、探偵もの、空想科学もの、推理もの、ミステリー・サスペンス・スリラーもの、妖怪・幽霊もの、幻想もの、まだまだ括りがありますが、近代小説のすべてが出そろっていました。
さて、その綺堂の翻訳ですが、「参考資料その1」をご覧ください。現代の翻訳レベルでいえば疑問符がたくさんつく訳文ですが、綺堂の時代には新しい趣向をもりこんだ新鮮な発想(怪談)で、ディケンズが書いたものの新訳であり、綺堂らしい名訳であったのです。(ルビを括弧に括って表記しています)
参考資料 その1
チャールズ・ディケンズ作 岡本綺堂訳
『信号手』
「おぅい、下にいる人!」
わたしがこう呼んだ声を聞いたとき、信号手は短い棒に巻いた旗を持ったままで、あたかも信号所の小屋の前に立っていた。この土地の勝手を知っていれば、この声のきこえた方角を聞き誤まりそうにも思えないのであるが、彼は自分の頭のすぐ上の嶮(けわ)しい断崖の上に立っている私を見あげもせずに、あたりを見まわして更に線路の上を見おろしていた。
その振り向いた様子が、どういう訳(わけ)であるか知らないが少しく変わっていた。実をいうと、わたしは高いところから烈(はげ)しい夕日にむかって、手をかざしながら彼を見ていたので、深い溝(みぞ)に影を落としている信号手の姿はよく分からなかったのであるが、ともかくも彼の振り向いた様子は確かにおかしく思われたのである。
「おぅい、下にいる人!」
彼は線路の方角から振り向いて、ふたたびあたりを見まわして、初めて頭の上の高いところにいる私のすがたを見た。
「どこか降りる所はありませんかね。君のところへ行って話したいのだが……」
彼は返事もせずにただ見上げているのである。わたしも執拗(しつこ)く二度とは聞きもせずに見おろしていると、あたかもその時である。最初は漠然とした大地と空気との動揺が、やがて激しい震動に変わってきた。わたしは思わず引き倒されそうになって、あわてて後ずさりをすると、急速力の列車があたかも私の高さに蒸気をふいて、遠い景色のなかへ消えて行った。
ふたたび見おろすと、かの信号手は列車通過の際に揚げていた信号旗を再び巻いているのが見えた。わたしは重ねて訊いてみると、彼はしばらく私をじっと見つめていたが、やがて巻いてしまった旗をかざして、わたしの立っている高い所から二、三百ヤードの遠い方角を指し示した。
「ありがとう」
私はそう言って、示された方角にむかって周囲を見廻すと、そこには高低のはげしい小径(こみち)があったので、まずそこを降りて行った。断崖はかなりに高いので、ややもすれば真っ逆さまに落ちそうである。その上に湿りがちの岩石ばかりで、踏みしめるたびに水が滲み出して滑(すべ)りそうになる。そんなわけで、わたしは彼の教えてくれた道をたどるのがまったく忌(いや)になってしまった。
私がこの難儀な小径を降りて、低い所に来た時には、信号手はいま列車が通過したばかりの軌道の間に立ちどまって、私が出てくるのを待っているらしかった。
信号手は腕を組むような格好をして、左の手で顎(あご)を支え、その肱(ひじ)を右の手の上に休めていたが、その態度はなにか期待しているような、また深く注意しているようなふうにみえたので、わたしも怪訝(けげん)に思ってちょっと立ちどまった。
(以下略)
【ウエブサイト「青空文庫」より。綺堂が当時どのような媒体でこの短編を読んだのか分かりませんが、現在ではHesperusシリーズの1冊で読むことができます。
“Mugby Junction, No.1 Branch Line. The Signalman” by Chares Dickens.
翻訳は小池滋『ディケンズ短篇集』(岩波文庫)に収められています。また、ウエブサイト「翻訳の海」の「斎藤静代の翻訳勝ち抜き道場」で課題に取り上げています。第5回(2008年1月21日号)、第6回(2月4日号)をご覧ください。】
作家は「文章の綺麗を求め、思想の鍍せるを望む技巧者」だった
さて、ここで皆さんになぜ綺堂の翻訳ものを読んでもらったのか。つぎに掲げる問題を考えて(留意して)もらいたいからです。
○岡本綺堂は劇作家であり小説家である。『修善寺物語』『鳥辺山心中』『番長皿屋敷』などの作品は現在も上演されている。小説は全68編に及ぶ『半七捕物帳』『三浦老人昔話』など。
○翻訳ではディケンズの短編Signalman(1866)がある。英語は得意で、後年の人気読み物『半七捕物帳』も、丸善で求めたドイルのシャロック・ホームズものに魅せられて読んでいるうちに着想されたという。怪奇趣味があった綺堂のこと、ディケンズの『信号手』の翻訳は願ってもない余技であったと思える。
○綺堂には随筆集がある。作家は、物語の構成を踏まえる小説の形では描きにくい事象をスケッチで書いている。
○明治30年代にいたるまでの小説は尾崎紅葉の『金色夜叉』を代表とする、田山花袋によると「文章の綺麗を求め、思想の鍍(と)せるを望む技巧者」の書くもので、たとえば、『金色夜叉』の冒頭は次のようになっています。いわゆる美文・名文です。この文章で満天下を唸らせました。今日では、他愛ない筋立ての小説だが、文章で文学作品にした、といわれています。(「思想の鍍(と)せるを望む技巧者」は難しい言い方ですが、一見作家に思想があるように思わせている文章家、と解釈すればいいでしょう。)
――未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠(さしこ)めて、真直に長く東より西に横はれる大道は掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂(さびし)くも往来の絶えたるに、例ならず繁(しげ)き車輪(くるま)の輾(きしり)は、或は忙(せはし)かりし、或は飲過ぎし年賀の帰来(かえり)なるべく、疎(まだら)に寄する獅子太鼓の遠響(とほひびき)は、はや今日に尽きぬる三箇日を惜むが如く、その哀切(あはれさ)に小き膓(はらわた)は断(たた)れぬべし。
(以下略、『金色夜叉』より)
写実文という新しい文体が試みられていた
○「参考資料 その2」は岡本綺堂が、明治34年に書いた随筆です。上に引用した『金色夜叉』は明治30年から38年にかけて新聞に連載されたものですが、この綺堂の文章、「参考資料 その1」の翻訳に比べると美文調ですが、当時では新しい写実文を狙って情景を綴ったものです。
参考資料 その2
岡本綺堂
『銀座の朝』
夏の日の朝まだきに、瓜の皮、竹の皮、巻烟草(まきたばこ)の吸殻さては紙屑なんどの狼籍(ろうぜき)たるを踏みて、眠れる銀座の大通にたたずめば、ここが首府(みやこ)の中央かと疑わるるばかりに、一種荒凉の感を覚うれど、夜の衣(ころも)の次第にうすくかつ剥(は)げて、曙(あけぼの)の光の東より開くと共に、万物皆生きて動き出ずるを見ん。
車道と人道の境界(さかい)に垂れたる幾株の柳は、今や夢より醒めたらんように、吹くともなき風にゆらぎ初(そ)めて、凉しき暁の露をほろほろと、飜(こぼ)せば、その葉かげに瞬目(またたき)するかと見ゆる瓦斯灯(がすとう)の光の一つ消え、二つ消えてあさ霧絶え絶えの間(ひま)より人の顔おぼろに覗(のぞ)かるる頃となれば、派出所の前にいかめしく佇立(たたず)める、巡査の服の白きが先(ま)ず眼に立ちぬ。新ばしの袂(たもと)に夜あかしの車夫が、寝の足らぬ眼を擦(こす)りつ驚くばかりの大欠(おおあくび)して身を起せば、乞食か立ん坊かと見ゆる風体(ふうてい)怪しの男が、酔えるように踉蹌(よろめ)き来りて、わが足下(あしもと)に転がりたる西瓜(すいか)の皮をいくたびか見返りつつ行過ぎし後(のち)、とある小(お)ぐらき路次(ろじ)の奥より、紙屑籠背負いたる十二、三の小僧が鷹のようなる眼を光らせて衝(つ)と出(い)でぬ、罪のかげはこの児(こ)の上を掩(おお)えるように思われて、その行末の何とやらん心許(こころもと)なく物悲しく覚えらるるなり、早き牛乳配達と遅れたる新聞配達は、相前後して忙(せわ)しげに人道を行違う、時はいま午前三時。
(以下略)
【『岡本綺堂随筆集、第V編 銀座の朝』、岩波文庫より】
国木田独歩の『武蔵野』も書かれていた
○早朝、路上の有様、ガス灯、巡査、車夫、乞食、立ん坊、酔っ払い、小僧、光る眼、牛乳配達、新聞配達の登場と描いていき、やがて銀座の朝は明るくなり、商店の小僧が大戸を開ける、昼の熱閙と繁劇の巷へと。大通りは、花売り親父、人力車、盤台を担ぐ行商の魚屋、活版所の女工、などが現れてくる。
だれもが書きそうな情景ですが、綺堂が書いた明治34年(1901年)には、こうした情景を描写する文章は稀でした。二葉亭四迷が翻訳したツルゲーネフの『猟人日記』の写実的描写と文体に学んだ国木田独歩の『武蔵野』が書かれたのが、同じく明治34年、現代日本の散文が誕生するときであったといえます。
○綺堂の「銀座の朝」が岩波文庫に収められた時(2007年10月)、どこかで読んだ記憶がありました。いや、読んだだけではなく、(未刊ですが)自分が翻訳したディケンズの『ボズのスケッチ、情景篇』の冒頭の章でした。読んでみてください。
参考資料 その3
Charles Deickens
SCENES
CHAPTER I - THE STREETS – MORNING
The appearance presented by the streets of London an hour before sunrise, on a summer's morning, is most striking even to the few whose unfortunate pursuits of pleasure, or scarcely less unfortunate pursuits of business, cause them to be well acquainted with the scene. There is an air of cold, solitary desolation about the noiseless streets which we are accustomed to see thronged at other times by a busy, eager crowd, and over the quiet, closely-shut buildings, which throughout the day are swarming with life and bustle, that is very impressive.
The last drunken man, who shall find his way home before sunlight, has just staggered heavily along, roaring out the burden of the drinking song of the previous night: the last houseless vagrant whom penury and police have left in the streets, has coiled up his chilly limbs in some paved comer, to dream of food and warmth. The drunken, the dissipated, and the wretched have disappeared; the more sober and orderly part of the population have not yet awakened to the labours of the day, and the stillness of death is over the streets; its very hue seems to be imparted to them, cold and lifeless as they look in the grey, sombre light of daybreak. The coach-stands in the larger thoroughfares are deserted: the night-houses are closed; and the chosen promenades of profligate misery are empty.
An occasional policeman may alone be seen at the street corners, listlessly gazing on the deserted prospect before him; and now and then a rakish-looking cat runs stealthily across the road and descends his own area with as much caution and slyness – bounding first on the water-butt, then on the dust-hole, and then alighting on the flag-stones - as if he were conscious that his character depended on his gallantry of the preceding night escaping public observation.
○ディケンズが有名な大作家になる前に書いていた文章で、1835年、弱冠二十三歳のとき新聞に掲載したスケッチです。現代英語からはだいぶ離れていて一読して頭に入るといった文章ではありません。その点だけでいっても、「参考資料その3」の綺堂の文章が難しいように、とくにルビを振らないと誤読する恐れがあります。藤岡訳を以下に掲げます。
参考資料 その4
チャールズ・ディケンズ『ボズのスケッチ、情景篇』、藤岡啓介訳
その一 ロンドン――朝
夏の朝、日が昇る一時間前のロンドンの街々の様子ときたら、それはもう他の街にはない、ロンドンならではのものといえる。ひたすら歓楽を求めて無為に夜を明かした者、商売でやむなく夜を徹した者、こうしたごく数少ない、朝に馴染みのある者たちにとってすら、ロンドンの朝は格別に印象深いものがある。通りという通りはひっそりと静まり返っていて、薄ら寒く、侘びしい空気が漂っている。日中は人々が用事を果たそうと慌ただしく群がり、練り歩いていたのに、まさに都会の喧騒の只中にあったのに、どの建物も人の出入りはなく、今は静かに、しっかりと閉ざされている。
日の出前には家に帰れるだろうと、酔っ払いが一人、夜っぴいて飲んで歌っていた名残の一節二節を唸りながら、通りをよろめきながら歩いている。帰る家のない浮浪者が、留置所からも放り出されて、どこといって行く当てもなく路上に取り残され、あちこちの通りで一人二人と、道端で手足を縮めて丸くなっている。食べ物の夢、家庭のぬくもりでも夢見ているのだろう。
酔っ払い、放蕩者、惨めな宿無し、これらをやり過ごして歩いていく。素面で真面目に働いている人々はまだ床にはいったまま、仕事にかかっていない。どの街も死んだように静けさがおおっている。夜明けの薄明かりがおぼろに滲み、まだ冷えびえとして生気がない。この街に、この時間にまさにお似合いの色合いといってよいだろう。もっと大きな、大通りにある乗合いの停留所には人の姿がない。騒々しい乗合い馬車も夜はお休みだ。いつもやけになった酔っ払いたちが練り歩くお決まりの通りもがらんとしている。
もしかしたら、巡査が通りの角に姿を見せていることがある。物憂い顔をして目の前の、まるで砂漠のような光景を見つめているのだ。ときどきしゃれ者の小粋な猫が、身のこなしも軽やかに、道を横切り住まいの勝手口に下りていく。辺りをうかがい、用心の上に用心を重ねてまずは大きな水桶に跳び上がり、そこからお次はごみ溜めに、そしてひらりと戸口に下り立っている。前夜の人目を避けてのご活躍がどんなものであったか、何もかもが飼い主のえんま帳に書き込まれてしまうのだが、それは十分承知の助といったところだ。
(以下略)
綺堂の文章も、ディケンズの文章も全文を掲げて鑑賞すべきですが、少し繁雑になります。先に綺堂の文章を読んで、
――早朝、ガス灯、巡査、車夫、乞食、立ん坊、酔っ払い、小僧、光る眼
などの言葉を切り取りましたが、ディケンズの冒頭からも、同じような言葉が拾えます。こちらには小僧ではなく猫が描かれていますが。
――夏の朝、薄明かり、酔っ払い、放蕩者、惨めな宿無し、乗合いの停留所、乗合い馬車、巡査、猫
ここで、つぎのようなことを考えました。
翻訳か翻案か
○綺堂は好んで日本や中国の怪奇小説を翻案していました。翻案とは、翻案者の創作活動です。黒岩涙香の『岩窟王』がけっしてデュマの『モンテクリスト伯』でないように、あくまでも翻案者岡本綺堂の作品です。
○ディケンズの『信号手』は原文に忠実に訳した翻訳です。翻案なら綺堂独特の発想ができても、翻訳では原文という重いものがあって、自分の文体で語彙で書くことが難しい。
○そう思って、ふと『銀座の朝』と題して随筆を書き出したら、ディケンズだった。以前読んだディケンズの情景の筆力が脳裏に残っていて、引きずられてしまったわい、というのがこの随筆かも。あるいは、まだ写実的なスケッチの文章がなかった文壇で、ディケンズの力をかりて冒険したらどうだろう。綺堂はこういう風に考えていたのではないでしょうか。
引用が多くて少しも主題が展開しませんが、こう考え、次のように考えています。
鴎外は翻訳を、漱石はしなかった
○森鴎外には、53巻の全集で18巻の「翻訳編」がありますが、夏目漱石には翻訳作品がありません。それはなぜか?
○漱石は大学で英文学を講義し、学生たち(読者たち)のレベルが低いのに愕然としたといいます。鴎外は陸軍大学で講義を持っていたが英文学を講じたわけではない。読者の理解度を痛切に思うことはなかった、のでは?
○一つの作品だけでも1000万部を売っている村上春樹は創作者、しかし春樹には「集」に編集するほどの翻訳作品がある、彼は、翻訳者でもあるのか?
翻訳をする作家とは
○ここで議論する「作家」とはどういう作家なのか?
- 小説を書く創作活動を本業としている。(翻訳書がその作家の創作活動の一つとして評価されている。)
- したがって、「口過ぎ」のために翻訳をしない。
- 翻訳書に作家として使っている名称を冠する。(翻訳のためにペンネームを使わない)
- 自分が高く評価している作品しか翻訳しない。(創作と翻訳とを兼業としていない)
およそ、このような人物を想定しておけばよいでしょう。
翻訳者と言われる人たちとの集まりで「岩波文庫で色分けしていますね」といったら、話が通じないことがあった。たとえば外国文学、これを岩波では赤帯、現代日本文学は緑帯で分類しています。新潮文庫をはじめ、文庫ではとうぜんジャンル別、作家別で分類し番号を振っていますが、岩波文庫のように、未だにかたくなに五通りに分類している文庫がないので、せっかくの帯による色分けももはやその価値を失ったのでしょうが、ぼくがこの集まりで言いたかったことは、森鴎外の『即興詩人』の翻訳がどうして外国文学の赤帯でなく現代日本文学の緑帯に入っているかという問題でした。(アンデルセンの『即興詩人』は大畑末吉訳で赤帯に納められています。)
周知のように、鴎外のアンデルセン『即興詩人』翻訳は、意識的に歪曲改作をしたかのように、加筆、省略、圧縮、書き換えを縦横に行い、自分でも「しちくどいまでに凝った文章」といっているような独特の擬古文を創出して翻訳したものです。岩波書店はしたがって、この翻訳を外国文学ではなく現代日本文学に分類しています。
鴎外の時代、当時の読書人にとってこの『即興詩人』原作が、多忙を極めた鴎外があえて前後十年の年月をかけて翻訳するだけの価値があったものでしょうか。鴎外はどこにこの作品の面白さを感じたのでしょうか。
現代日本語を開発していた作家にとって(ここで日本語の開発とは妙な使い方ですが、たしかにこの時代の作家たちは日本語を開発していました)、外(と)つ国の文物の翻訳は語法や語彙で近代日本語を生み出す重要な言語活動であったし、文学の流派(流派、現在では死語ですね)を紹介して日本の文学活動にいく通りもの道を示すことも意義のあることであったと思われます。
写実主義文学が台頭しきて内容も表現も卑賤な平坦なものに陥っていくとき、『うたかたの記』や『舞姫』の浪漫主義を、あえて翻訳の『即興詩人』に託して再提唱しようとの試みでもあったと思われます。当時の学生たちは、断続的に発表される鴎外の『即興詩人』を雑誌『しがらみ草紙』で読んで、ほとんど丸暗記するまでに読み、唱えていたという話が伝わっています。
明治という時代は、その時代に生き西洋を知る鴎外にとって、思想的にも情緒的にも殺伐たるものであった。青年に浪漫を。ここに、アンデルセンの原作を借りて、「夢のような西洋の物語」を創り出すことに面白さを見出したのではないでしょうか。そうであるなら、その「夢物語」を独自の文体で飾り立ててはどうか、と考えたのではないでしょうか。 そして鴎外の『即興詩人』は、今の私たちの言葉でいえば、これは「翻案」です。創造的翻案であるが故に価値のある作品になっています。
作家が自分の名前を翻訳者として掲げて何か外国の作家のものを翻訳するとすれば、その原作を自分の翻訳すべき価値のあるものである、と判断して翻訳するとすれば、それは自分の創作活動の一つであるとの確固とした見識があって行われたものである、と考えます。
翻訳が「翻案」でなく、きわめて正確な、原書の価値を辱めることのない名訳であっても、あるいは鴎外漁史の『即興詩人』のようにドイツ語からの重訳で、しかも本人が認める歪曲改作であろうと、それは作家の創作活動であって、いわゆる翻訳者が翻訳したものと同一の土俵で論じてはならないものであると考えます。
作家であれば、創作活動でない著述はないはずで、翻訳をすればそれは次なる作品に構成で、表現法で、思想で、何らかの「効果(影響)」を与えます。この「効果」を期待するから翻訳するのだ、といってもよいでしょう。場合によっては、原書に翻訳する作家がの乗り移って翻訳していたり、あるいは、その後その作家の書く小説に翻訳した原書の原著者が乗り移ったりしているはずです。
作家には文章法を固執する権利がある
作家には文章を書くとき、「ここはこうでなければならない」と自分の文章法を固執する権利があります。そうでなければ作家ではありません。ところが翻訳の場合、この権利を主張すると翻訳ができなくなる場合があります(当該外国語における発想法、語法、語彙などさまざまな問題があります)。そうしたとき、権利放棄ができるでしょうか。できないし、するはずがありません。したがって、彼が翻訳したものは、あくまでも「彼が翻訳したもの」であって、他の翻訳書と比べても意味がないように思えます。
俗な言い方をすれば、作家の翻訳には、自分が作家であるということで、いくつもの「言い逃れ」「言い訳」が用意され、正当な評価の対象にならないといえます。もし正当な評価を求めるならば、自分は作家であり翻訳者である、との看板を掲げておかなければなりません。逆に、作家であるおれがチェホフを読むとね、ゲーテを読むとね、という姿勢で翻訳するものであれば、その作家の作品群の中の一つの作品として評価することになるでしょう。
古い作家では夏目漱石、現代作家では大江健三郎、この人たちは外国文学にきわめて深い理解を持っている数少ない作家ですが、彼等は翻訳をしていません。「作家の翻訳」を考えるとき、「翻訳をしない作家」についても考えておく必要があるようです。「翻訳者から作家になった人たち」というカテゴリーに属する翻訳者もいます。ヴァレリーを専門家として翻訳した吉田健一のように、あれこれ七面倒臭いことをいわずに、「食えないから児童ものまで訳したよ」と、居直っている達人もいます。それから、「翻訳者必ずしも作家ならず」も議論しておく問題です。フランス文学者・文芸評論家の中村光夫は翻訳を盛んにおこない晩年は小説を書いていたが、彼は小説家ではない。臼井吉見も、編集者・評論家で、晩年には『安曇野』という大作を残したが、彼も、小説家ではない。
○小説家の翻訳は、彼の創作活動として評価されるべきである。
○小説家の翻訳は、ときには翻案とすべき創作がある。
○翻訳家は必ずしも小説家とはいえない。
上記のことが「小説家の翻訳」で語られることでしょう。さらに、翻訳には小説家がとうてい考え及ばない翻訳の技法がある、環境がある――これも語るべきですが、それについては別の機会に考えます。
澁澤龍彦さんのサド
フランス文学を専攻され、サドを翻訳した澁澤龍彦さんのことを加えておきます。ぼくがまだ早稲田に在籍しているとき、澁澤さんの『マルキ・ド・サド選集』を日本で初めて出版しました(1956年)。発禁を恐れて警視庁の検閲OBに人を介して事前検閲してもらうなど、それなりの騒ぎを経て出版したのですが……。
澁澤さんのサド翻訳は、あくまでも「澁澤さんのサドの翻訳」です。当時ぼくはフランス語でサドを読むことができませんでしたが、昭和三十六年だったと思いますが初めてヨーロッパに行ったとき、アムステルダムの空港で英訳版のサドを買うことができました。英訳がはたして正しい翻訳であるかどうかは分かりませんでしたが、読んでみると、「澁澤サド」とあまりにも隔たりが大きいことに気がつきました。そして自分で出版しておきながら澁澤訳の『マルキ・ド・サド選集』にいつまでも不満・疑問をもっていたことが正しかったことに気がつきました。サドを澁澤的に紹介したのではサドではない、と分かったのです。
詳しいことはさておき(翻訳の方法、テキストの選択、解説などなど)、その後の澁澤さんの文学活動をみても、そこにはサドの男性的な否定の弁証法は不在です。澁澤さんはサドという材料を、ご自分の体力と精神に合わせて振る舞ってくれたのでした。もちろんそれなりの価値があるし、サドが丸木砂土氏の「好色、変態」の手を離れて曲がりなりにも文学として日本に紹介されたことは彼の功績でもあります。
作家の翻訳には、えてしてこうした「訳業」があります。澁澤さんの友人の小笠原豊樹は翻訳では小笠原、詩人・作家としては岩田宏の名前で仕事をしていますが、この方が読者としては戸惑うことがありません。
これも、「作家の翻訳」の一項として考えに値するでしょう。
―― 「わたしの新訳」に挑戦しましょう ――
本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦します。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」をはじめとして、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでほしい」と希望されれば、本講座の藤岡先生が原文・翻訳を読み、一応のレベルに達していると判断したら(あるいは何回かダメをだして改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。翻訳する作品は、版権がない(原則没後50年たった)英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイ。サキ、O・ヘンリー、ビアスなどの短篇作家には、新しい翻訳が望まれていますよ。ハーディーやD.Hロレンスにも短編があります。
応募を受けて推薦しない場合、その旨を伝えします。
手をつけている作品がありますか? 新刊の版権フリー本だけが市場ではありませんよ。編集部宛てに「自己紹介」と翻訳する作者(作品)を教えてください。手順を案内します。
挑戦者、あらわる
この提案には、これまで数名からの提案がありましたが、ついに「一応のレベルに達している」挑戦者があらわれました。北海道在住の「みゅうの母」さんです。みゅうの母さんは、「公開講座 プロになるぞ!!」を熱心に勉強されており、多くのコメントもお寄せくださっています。この度、長年温めてきた翻訳作品を編集部に持ち込まれました。藤岡先生からのフィードバックを元に、ただ今、改訂版に取り組んでらっしゃいます。『わたしの新訳』コーナーに発表する日も近いかもしれません。
さて、ここで、藤岡先生がみゅうの母さんに宛てたフィードバックの一部を紹介します。これから挑戦されることを検討していらっしゃるみなさまに、参考にしていただければ幸いです。
藤岡先生コメント(抜粋)
- 提出していただいた翻訳は、翻訳コンテストでは優秀作でしょうが、でも、これを翻訳者が実名で発表するとなると、もうひと工夫ふた工夫がほしくなります。登竜門への挑戦です。頑張りましょう。
- (藤岡先生の)参考訳をよくごらんください。翻訳しながら悩んだこと、迷ったことへの回答があるでしょう? 英文解釈もさることながら、この作品は低学年の子供たちが読むものです。こどもの読解力に迎合してやさしくするのではなく、一定の語彙・表記・表現の幅を踏まえながら、子供たちに日本語の正しい発想で読み書きすることを教えなければなりません。いわゆる「翻訳臭」を徹底的に避けます。基本的には、みゅうの母さんの日本語は温かく、すてきな感性を表しています。
- 語りかける作家の姿勢は?ここで翻訳者は「翻訳者」でなく、日本の作家にならなければ駄目でしょうね。参考訳は一案で、他にもいろいろ考えられるところです。この商品の「決め手」になるでしょう。
このほか、原稿のフォーマットについての指示など丁寧なアドバイスをしています。
藤岡先生の参考訳は、A4 一頁に及び、訳文を改訂する際に十分な量の訳例を提示しています。
どうぞみなさん、果敢に挑戦してください。お待ちしております。
編集部記
2009年10月5日号





























