藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 番外編 その7
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翻訳は、一様ではない
前回(第13回)の本講座で、簡単な文章でも訳者が違うと訳した文章も違ってきます、あなただったらどう訳しますか? と問いかけました。たった一人「みゅうの母」さんでしたが、あえて挑戦してくれました。課題と訳文とを併記してみます。
課題:A pretty girl, and, so far as I could judge by appearances, a good girl too.
眠り姫:
かわいい女性で、外見から判断するかぎりでは良家の子女だ。
ビュシーノ訳:
きれいな人だ、しかも見た限りでは気立ての良い娘さんらしい。
藤岡訳:
かわいらしい娘さんで、その容姿を見ただけの感じからいえば、気立てもいいにちがいない。
そして、
みゅうの母:
素敵な娘さんで、見たところ気立てもよさそうだ。
どうでしょう? 四通りの訳が出揃いました。面白いのは藤岡訳だけが文字数が多いことですね。so far as I could judge by appearancesと、文章の真ん中にあって、しかもappearanceというラテン語系の文章語を書き込んでいるので、すこし形を考えた文章らしく訳してみようか、という感覚かな。みゅうの母さんの訳もいいけど、ここでは小説の文中の地の言葉ですから、軽快すぎたといえそうです。ところでみゅうの母さんの「追記」があります。
美人を修飾する常套語句
みゅうの母:
はじめは、so far as I could judge のニュアンスを出したくて、「見た限り・見ただけ」としていたのですが、「本当はそうでもないかもしれない」という否定的な意味が生まれる気がして、より自然と思われる訳に変更したのです。主人公の心情にこの場でナオミに対し否定的な気分などないだろうと考えたのですが、皆さんの訳を見る限り(?)考えすぎだったかなと思います。
藤岡:
なるほど。よく考えてくれました。「ぼくの知る限り」などというと、「浅学非才のわたしのような凡人がつべこべ申すのもおこがましい、他にもいろいろとあることと思いますが、とりあえず私見を申し上げますと」といった「言い訳の連ね」が背後にあると考えたのでしょう。
ここはそれほど深く考えないで、素直に「だれが見ても素晴らしい」のつもりで訳していいでしょう。美人を修飾する常套語句ですね。
それはそうと、前回の女流作家のことで、ビュシーノさんから便りがありました。
ビュシーノ:
作家の性別をあまり意識して本を読んだことはないのですが、女流作家の細やかさは男性には理解しづらいかもしれませんね。女性にとってはそんな細やかな部分に同感できることが多いのですが。今回芥川賞を取った方の作品も、こういう感性って男性に分かるのかな?と思いました。もっとも分かったから芥川賞を取れたのでしょうね。
藤岡:
「女流作家のこまやかさ」なのかな、最近ギャスケルを訳していて、いいかげんにしてくれよ、と叫びたくなってしまった。くどい、こまかい、自分勝手、説明的、と気になりだすと嫌なことばかり。でも、訳了して全編を通して読むと、彼女の“The Crooked Branch”は傑作でした。気になったのは翻訳者が未熟だったが故ですね。
兄弟、姉妹、従兄弟、従姉妹、困るな!
ところで、われらの眠り姫、ビュシーノさんからも便りが寄せられています。問答形式で流してみます。
眠り姫:
第11回の講座で、「兄弟、姉妹、従兄弟、従姉妹、困るな!」の項がありましたが、ここで、「作者が作中で初めてbrotherと書くとき、彼(彼女)の頭の中では、このbrotherがelderであるかyoungerであるか、いずれかの概念 があるのではないか、と英米の知識人にことあるたびに訊いたのですが、そうした考え(概念)はない、とのことでした。よく考えれば当然のことですね。そも そもが「兄だから、弟のくせに」という発想がないのですから。」とありました。
今回の講義で、とくにはっとさせられたところです。外国と日本では物事に対する概念や発想が日本とは違っているということに、今さらながら気づいたのです。つまり、外国語や日本語の問題だけではなく、こうした概念や発想の違いを踏まえていないと、誤訳をしたり、よくわからないような、あいまいな訳文になってしまうのだと思いました。
たしか、日本では会話での「間」としての概念が中世のころに成立し、外国には「間」の概念がないと学んだことがあります。藤岡先生がいわれているような彼我の違いをひとつひとつ身につけていかないと、とてものこと、いい翻訳はできないと思いました。
藤岡:
そうですね。永遠の問題でしょう。一口にいって、文化人類学の問題です。天にかかる虹が三色か五色か、それとも七色であるのか、太陽は赤いのか黄色いのか、太陽よりも月の方がやさしく感じられるのか、などなど、分からないことばかりですね。いずれも「中公新書」ですが、『身ぶりとしぐさの人類学 身体がしめす社会の記憶』(野村雅一、1996)『鍵穴からみたヨーロッパ 個人主義を支えた技術』(浜本隆志、1996)『文化人類学15の理論』(綾部恒雄編、1984)など、何回も読み直しておくといいな。
眠り姫:
それから、There was a strong family likeness between them, Ambrose being the taller and the handsomer man of the two. の文で、handsomeを私は「ハンサム」と訳してしまいましたが、先生のように「顔立ちも整っていた」と訳す方が絶対にいいと思いました。こういう言葉のセンスはどのようにして磨けばいいのでしょうか?
藤岡:
どの言葉がいいか、どのように形容するか、何が簡潔で、何が冗長であるか――これは日ごろの観察力、注意力の問題かな。「語彙」はその人の全生涯の中にありますね。生涯でまったく見聞していないことは単語のひとかけらも使えない。ぼくはエスキモー語もスワヒリ語も知らない。見当すらつかない。出版界・翻訳界のことならたいていの現象を理解できる。言葉を知っている。ときには自信をもって言葉を創ることもできる。自分の意見もある。下手であっても、英語やロシア語で、その国に行って業界の人と話すことができる――そうじゃないかな。人生を豊かにすることが語彙を豊富にするし、言葉の感性を磨きあげることになる。
眠り姫:
記号や句読点の使い方もご指導していただきまして、とてもいい勉強をさせていただいております。外国語を教えてくださる先生は多く、どこにでもいらっしゃるのですが、出版にたえうる翻訳や日本語を教えてくださる先生は、めったにいないのでは。毎回、私のできそこないの訳文を丁寧に吟味していただくだけではなく、厳しいけれど、日本語や表記の仕方までご指導していただき、ほんとうに良かったと感謝の念でいっぱいです。
藤岡:
英語の解釈では力不足ですが、こと日本語のことなら大丈夫。大丈夫だからこの講座を進めているのだけど。期待してくれていいですよ。でも、あまりオカシナ日本語を読まされると、こっちの頭までオカシクなる。「これは狂うな」と思うと、中断して空を眺めています。どこまでも広いな、お空は。眠り姫の探している表現が浮かんでいないかな、そんな風に空を眺めます。
だから、文章を書くとき、翻訳をするとき、行き詰ったら、空を眺めてください。浮かんでいると思うけど、な。
優しさを包み込んだまなざし
ビュシーノ:
Text11で、
She changed color for a moment, and looked at him, with a pretty, reluctant tenderness, as she took her chair.
とありますが、ここのreluctant tendernessは提出ぎりぎりまで色々考えました。Googleで検索すると色々な作品に使われている表現のようで「狼が私の手をreluctant tendernessで咬んだ」というのもありました。
いろいろな例を読んでみて「全面的に力や感情を出さない、消極的な状態かな」と思いました。このお話の場面では結構ラブラブのようなので、「優しさを包み込んだまなざし」としてみましたがどうでしょうか?
藤岡:
そうですね、「やさしさを包み込んだまなざし」はきれいな言葉で、苦心の訳ですね。ぼくもいざ翻訳となってから、reluctantとtendernessとの結びつきが気に食わない、困ったな、というところでした。「表に表わさないで」「ためらいながら」というニュアンスかな、そう思いながらCobuildを覗いたら、
reluctant: If you are reluctant to do something, you are unwilling to do it and hesitate before doing it, or do it slowly and without enthusiasm.(何かを行うのにreluctantであるというのは、それを行うのに不承知であり、またそれを行う前に躊躇していること、あるいはそれをゆっくりと、熱意なく行うこと。)
とあります。OEDでも同じような語義でした。
ビュシーノ訳:彼女は一瞬頬を染め、かわいい、やさしさを包み込んだまなざしを彼に向けて席に着いた。
藤岡訳:ナオミはちょっと頬を染めたが、椅子に手をやりながら、どこか娘らしい、隠すにも隠しようのない優しさを見せてアンブローズを見た。
どうかな? 藤岡先生、これで的を得たかしら?
苦難は飛躍だ――イチロー
ビュシーノ:
先生のお勧めを得て、トロロープ(Anthony Trollope、1815-1882)の『自伝』はとりあえず全部読んでみようと思い、すでに半分ぐらいまで読みました。芸術家というよりは職人のような人ですね。小説はまだ読んでいないので、わたしの印象が正しいかどうか分かりませんが、天才というよりは、好きなことを諦めずに続けて行くうちに技を磨き、自分にあったジャンルを見つけていった人みたいです。小説家を目指している人たちだけでなく、諦めきれない夢を持っている人が読むといいかもしれません。とても現実的なので、この不況の世の中にもぴったりかもしれませんね。
ウィルキー・コリンズの『白い服の女』も読み始めました。『月長石』よりかなり読みやすいです。なんだか作品に勢いがあって、作者自身が乗り乗りで書いている感じがします。
(数日たってからの便り)
トロロープ自伝の、彼の息子さんが書いた「序文」は訳了しました。
トロロープのことを知れば知るほど翻訳するのが楽しくなってきました。人生を本当に全力で百パーセント以上の力を出して生きた人ですね。一生懸命生きた人の人生を知ると、とてもすがすがしい気持ちになります。先生のお陰でトロロープのことを知ることができ、本当にうれしく思っています。
それと、これは余談ですが、トロロ-プはWEBの「格言コーナー」の常連みたいですね。トロロープのことを調べながらイチローの格言まで読んでしまいました。イチローは「苦難は飛躍だ」と言っています。いい言葉ですね。
訳文の文字数の違いに着目!!
さて、今回の番外はここまで。以下に本番第14回のテキストと、眠り姫・ビュシーノ訳とを並べます。今回はテキストの量が多かったのと、次回講座掲載が5月25日になるので、事前に課題訳を掲げて読者の皆さんに吟味してもらうのもよいだろうと考えました。ご覧ください、二人の訳文の文字数がだいぶ違っています。各節の末尾に訳文の文字数を書き込んだので、吟味項目の一つにしてください。二人の翻訳の文体が違うので、同じことを書くとき文字数が異なるのは当然ですが、どこがどのように異なっているのかを調べてみると、そこに翻訳の秘密が潜んでいるかもしれませんよ。
text:12
For some incomprehensible reason, John Jago seemed to be ill at ease in the presence of his young countrywoman. He looked up at Naomi doubtingly from his plate, and looked down again slowly with a frown. When I addressed him, he answered constrainedly. Even when he spoke to Mr. Meadowcroft, he was still on his guard--on his guard against the two young men, as I fancied by the direction which his eyes took on these occasions. When we began our meal, I had noticed for the first time that Silas Meadowcroft's left hand was strapped up with surgical plaster; and I now further observed that John Jago's wandering brown eyes, furtively looking at everybody round the table in turn, looked with a curious, cynical scrutiny at the young man's injured hand.
眠り姫訳:
どういうわけか、若い田舎の女性があらわれて、ジョン・ジェイゴは固くなってしまっているようでした。彼は自分の料理から疑いぶかくナオミを見上げ、そして、しかめ面をしてゆっくりと視線を落としました。私がジョン・ジェイゴに話しかけたとき、彼はぎこちなく答えました。メドウクロフト氏に話しかけるときでさえ、まだ警戒していました。彼の目が挑戦的になっている気がしたように、ふたりの若い男性たちを警戒していたのです。私たちが食事を始めたとき、私はサイラス・メドウクロフトの左手が外科用のギブスをしていることにはじめて気づきました。そして、ジョン・ジェイゴのうつろな茶色の目がテーブルの周りにいるすべての者をかわるがわるひそかに見ていて、好奇心を抱きながら、けがをしている若い男性の手を意地悪そうに注意ぶかくじろじろと見ているようすを、さらに私は観察していました。(以上374字)
ビュシーノ訳:
なぜかはわからないが、ジョン・ジェイゴはこの若い同国の女性の前ではどうも落ち着かない様子だった。彼は皿越しに疑い深げにナオミを見上げ、眉をしかめてまたゆっくりと目を落とした。私が彼に話しかけると、ぎこちなく返事をし、メドウクロフト氏と話しているときでさえ気構えていた。どうもこうした折に彼の視線が向く方向から判断すると、二人の若者に対し警戒しているようなのだ。食事が始まってから、私はサイラスの左手に絆創膏が巻かれていることに初めて気づいた。そしてそれに加え、テーブルに着いている人たちを順番に盗み見ていたジョン・ジェイゴの落ち着きのない茶色の目が、サイラスの怪我した手を薄ら笑いを浮かべながら詮索するように見据えていたのにも気がついた。(以上319字)
text:
By way of making my first evening at the farm all the more embarrassing to me as a stranger, I discovered before long that the father and sons were talking indirectly _at_ each other, through Mr. Jago and through me. When old Mr. Meadowcroft spoke disparagingly to his overlooker of some past mistake made in the cultivation of the arable land of the farm, old Mr. Meadowcroft's eyes pointed the application of his hostile criticism straight in the direction of his two sons. When the two sons seized a stray remark of mine about animals in general, and applied it satirically to the mismanagement of sheep and oxen in particular, they looked at John Jago, while they talked to me.
眠り姫訳:
よそものの私はますます困惑してしまい、この農場でのはじめての夜が深まるにつれて、ひさしぶりに父親と息子たちがジェイゴ氏と私を通して、間接的に話をしていることに気づきました。メドウクロフト老人が、過去に農場の耕作に適している土地の農耕を自分のものにしたという過ちをおかした監督者に軽蔑して話しかけたとき、メドウクロフト氏は批判的で敵意のこもったまなざしを、ふたりの息子たちへとまっすぐに向けました。ふたりの息子たちが動物に関する私のあいまいな知識をとらえて、とくに羊と牛の間違った経営をそれに風刺的にあてはめたとき、私と話しながら、ジョン・ジェイゴを見ていました。(以上281字)
ビュシーノ訳:
客という立場で過ごす農場での第一夜がいっそうばつの悪いものになったのは、父親と息子達が、私かジェイゴ氏を通して、お互いに間接的に話していることに間もなく気づいてしまったためだ。メドウクロフト老は農地の耕作で以前行われたへまを管理人相手にけなしていたが、彼の目はそのとげとげしい批判の先を真っ直ぐに二人の息子に向けていた。息子達は動物一般について私が偶然口にした言葉を捉え、それをとりわけ羊と牡牛の管理の失敗に皮肉げに当てはめ、私と話しているのにジョン・ジェイゴの方を見ていた。(以上238字)
text:
On occasions of this sort--and they happened frequently--Naomi struck in resolutely at the right moment, and turned the talk to some harmless topic. Every time she took a prominent part in this way in keeping the peace, melancholy Miss Meadowcroft looked slowly round at her in stern and silent disparagement of her interference.
眠り姫訳:
たいていこういう場合、突然ナオミは良いタイミングで毅然として口を出し、あたりさわりのない話題へと変えました。このように、ナオミがあきらかに突飛なことに和平を保とうとするときはいつも、陰気なメドウクロフト氏の娘はいかめしい顔つきでナオミのほうをゆっくりと振り向き、ナオミが干渉する秘められた不名誉の原因に目を向けていました。(以上161字)
ビュシーノ訳:
そんな状態にたびたびおちいったが、そうした時ナオミは潮時を見計らってきっぱりと割って入り、話題を差しさわりのない方向に持っていった。ナオミが平和を保つためにこんな具合に際立った役割を果たすたび、陰気なメドウクロフト嬢は「余計なことを」といった無言の非難を込めた、いかめしい目つきで彼女をゆっくりと見回した。(以上153字)
text:
A more dreary and more disunited family party I never sat at the table with. Envy, hatred, malice and uncharitableness are never so essentially detestable to my mind as when they are animated by a sense of propriety, and work under the surface. But for my interest in Naomi, and my other interest in the little love-looks which I now and then surprised passing between her and Ambrose, I should never have sat through that supper. I should certainly have taken refuge in my French novel and my own room.
眠り姫訳:
こんなに暗くて仲の悪い家族の集まりの食卓に坐ったのは、はじめてのことでした。彼らが無意識のうちに、仕事や礼儀正しさといった感覚で行動するとき、妬み、嫌悪、敵意や無慈悲のような感情が、どうしても私の心の中に残りました。けれども、私はナオミに関心をもっており、ときどきナオミとアンブローズとのあいだで起こっていることに驚き、彼女の少し可愛らしい姿に興味を抱いているので、私はぜったいにあの夕食の終わりまでじっと坐っているべきではありませんでした。まちがいなく、フランスの小説と自分の部屋に逃避するべきだったのです。(以上255字)
ビュシーノ訳:
これほど陰鬱で、こんなにもバラバラな家族と食卓を共にしたのは初めてだった。嫉妬、にくしみ、敵意、そして情け容赦のない感情が表面的な礼儀正しさの下で息づき、せめぎあっている状態ほど、たまらなく嫌悪を感じさせるものはないと私は思う。ナオミに対して抱いた関心と、そして時々目に入ってきた、彼女とアンブローズの間に交わされるちょっとした愛情交換のしぐさに興味を惹かれなかったら、きっと最後まで食事の席に坐ってはいなかっただろう。フランス小説と自分の部屋に逃げ込んでいたにちがいない。(以上237字)
―― 「わたしの新訳」に挑戦しましょう ――
本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦します。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」をはじめとして、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでほしい」と希望されれば、本講座の藤岡先生が原文・翻訳を読み、一応のレベルに達していると判断したら(あるいは何回かダメをだして改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。翻訳する作品は、版権がない(原則没後50年たった)英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイ。サキ、O・ヘンリー、ビアスなどの短篇作家には、新しい翻訳が望まれていますよ。ハーディーやD.Hロレンスにも短編があります。
応募を受けて推薦しない場合、その旨を伝えします。
手をつけている作品がありますか? 新刊の版権フリー本だけが市場ではありませんよ。編集部宛てに「自己紹介」と翻訳する作者(作品)を教えてください。手順を案内します。
挑戦者、あらわる
この提案には、これまで数名からの提案がありましたが、ついに「一応のレベルに達している」挑戦者があらわれました。北海道在住の「みゅうの母」さんです。みゅうの母さんは、「公開講座 プロになるぞ!!」を熱心に勉強されており、多くのコメントもお寄せくださっています。この度、長年温めてきた翻訳作品を編集部に持ち込まれました。藤岡先生からのフィードバックを元に、ただ今、改訂版に取り組んでらっしゃいます。『わたしの新訳』コーナーに発表する日も近いかもしれません。
さて、ここで、藤岡先生がみゅうの母さんに宛てたフィードバックの一部を紹介します。これから挑戦されることを検討していらっしゃるみなさまに、参考にしていただければ幸いです。
藤岡先生コメント(抜粋)
- 提出していただいた翻訳は、翻訳コンテストでは優秀作でしょうが、でも、これを翻訳者が実名で発表するとなると、もうひと工夫ふた工夫がほしくなります。登竜門への挑戦です。頑張りましょう。
- (藤岡先生の)参考訳をよくごらんください。翻訳しながら悩んだこと、迷ったことへの回答があるでしょう? 英文解釈もさることながら、この作品は低学年の子供たちが読むものです。こどもの読解力に迎合してやさしくするのではなく、一定の語彙・表記・表現の幅を踏まえながら、子供たちに日本語の正しい発想で読み書きすることを教えなければなりません。いわゆる「翻訳臭」を徹底的に避けます。基本的には、みゅうの母さんの日本語は温かく、すてきな感性を表しています。
- 語りかける作家の姿勢は?ここで翻訳者は「翻訳者」でなく、日本の作家にならなければ駄目でしょうね。参考訳は一案で、他にもいろいろ考えられるところです。この商品の「決め手」になるでしょう。
このほか、原稿のフォーマットについての指示など丁寧なアドバイスをしています。
藤岡先生の参考訳は、A4 一頁に及び、訳文を改訂する際に十分な量の訳例を提示しています。
どうぞみなさん、果敢に挑戦してください。お待ちしております。
編集部記


























