The Oxford Book of Children’s Storiesシリーズより出題中
入門翻訳勝ち抜き道場

翻訳玉手箱

藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 番外編 その6

藤岡啓介
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「気象情報」のような文章?

本講座の眠り姫さんが次のような感想を寄せてくれました。この講座では二人のお弟子さんだけでなく、周囲の応援団からも気のついたことを指摘してもらったり感想を書いてもらっていますが、今回は「眠り姫」を読者代表として、一問一答の形でおしゃべりします。

眠り姫:

本講座の「番外編 その5」に、藤岡先生の次のような文章がありました。

――「文学的」という言葉を耳にします。ものを語るのにたんに事物事象を客観的に記述するのではなく、その事物事象に相応しい言葉で、語り手の心を語りかけるように語るのが「文学的」でしょう。

「気象情報」ではないですが、「二月に入ると、もう鶯の声が聞こえてきます」というのが客観的な、情報を伝える文章ですが、古今集の「うぐいすのなく野辺 ごとにきてみれば うつろふ花に風ぞ吹きける」などを引用したり、二月、寝室の窓を覆う立ち木を伝いながら鳴き始める、里に下りてきたばかりなので、さえ ずり方が下手で、それが四月、五月に向かって、だんだんと「鶯らしく」上手になる、などと、自分の生活環境を交えて、この頃になると……と語るのが文学な のかな。そして、ここで登場人物のドラマが展開すれば「小説」になるのでしょう。

藤岡先生が、「文学的」とは……と語られているお話がすごく理解しやすく、勉強になりました。これを読ませていただいて、日ごろ私の書いているものは「気象情報」のような文章なんだな、と思いました。こうした何気ないお話を読ませていただいて「文学的な文章」と「気象情報の文章」の違いがよく理解できたと思います。大好きな『古今和歌集』からの引用もあり、とてもありがたい教えでした。ところで、翻訳ですが、「小説らしく」訳すにはどういう工夫が必要で、どういうお勉強をすればいいのでしょうか?もちろんこの『公開講座』で毎回つたない訳文を吟味していただき、わたしも、最大限の努力を重ねているつもりなのですが……気象情報であるとは気づきませんでした。

杉本つとむ全集を眺める

藤岡:

「小説を訳すのだから小説らしく」――これは古典であろうと現代文学であろうと翻訳者の資質が問われるところですね。小説が歴史的にどのようにして発生し、わたしたちが今日読んでいるような形になり内容を盛り込むようになったのか、それには言語・文化の発展史も含めてさまざまな文献があります。身近な例でいえば杉本つとむという日本語学者の仕事があります。古代語から現代流行語、江戸語、女ことば、蘭学、英学、上方・関東方言、辞書、事典、翻訳――全10巻にわたる膨大な研究成果が出版されています(八坂書房、1998年)。

これが日本語をあやつることを仕事とする日本人翻訳者の基礎教養でしょう。全部を読むことはない、ないけれど、たとえば第2巻の「女ことば」、いやどの巻でもいい、テーマを見て杉本先生がどうしてこの問題を考えるようになったのか、それを知るだけでも学問の有難さを感得できるはず。眺めて有難いのは仏像だけではない。生涯を、この杉本先生の仕事に接することなく死んだら、翻訳者じゃない。全集各巻に改めて書き下ろされた「後記」を読むだけでも、この半世紀に及ぶ日本語学の議論のあれこれが理解できてくる。手元に買うには手元不如意で、というなら図書館ですね。『杉本つとむ全集全10巻』を揃えていない図書館だったら、翻訳者にとって無用の図書館。

と、啖呵を切ったはいいけど、これで「小説」が分かるわけでもないし訳せるわけでもない。坪内逍遥、伊藤整、大江健三郎の小説論、方法論を読んだところで書けるものでない。「小説」は物語であり、虚もあれば実もあり、それを面白く、語り手の個性を表す文体・語彙で「語る」もの。

好きな作家を作らなければ駄目だろうな。少なくとも何十万人の日本人が「熱読」したであろうと思われる作家をつかまえて、彼らの文章にある小辞の使い方、句読点のひとつ、耳に響く言葉――評論家がするような七面倒くさい評論など無視して、ひたすら「読む」、それが小説を身につける方法だろうな。

回り道があっても無駄ではない

この「ひたすら」を継続すると、その作家の周辺のことが気になるし、気になって探し当てた作家に惚れこんで、こんどは別の山を登るようになる。これだな。それが何年かかるか。前回でふれた円地文子さんのように、お育ちの良さがあったにしても、彼女の代表作はたしか四十を越えてからのこと。驚嘆すべき教養があっても、それを「問わず語り」に語り出すのが五十、六十といったところ。

こうしたことを心得ておいて、翻訳していく。トルストイの翻訳を生涯にわたって、自分にはドストエフスキーではないトルストイが似合うと、中村白葉先生は、八十歳にしてなおもトルストイに挑んでおられた、すごい話だけど、これがご本人には当然のことだったのでしょう。ここにいたる道筋を『ここまで生きてきて――私の八十年』(1971年、河出書房新社)で書かれておられるけど、白葉こと中村長三郎少年は小説家志望であった、とあります。米川正夫先生の自伝『鈍・根・才』(1962年、河出書房新社)で、中村少年と同じ投稿誌に投稿していた仲間だったとあります。

翻訳では一家を支えることができない、外国語の力を生かして就職、それがいつか縁があって文学の翻訳をするようになる、トルストイ、ドストエフスキーを中心としたロシア文学翻訳で生涯を送るようになる。

アラフォーって知らなかった

はやり言葉を知っているからといって自慢にはならないけいど、ぼくが「アラフォー」を知っているなんて、ぼく自身にとって驚き。こんな言葉で脳細胞を汚したくなかったのに、オバカ番組に付き合ってしまったおかげ。翻訳者はメディアの裏方なのだから、なんでもありなのだろうが、こういうの、悲しいな。

ぼくの周辺の翻訳者(志望者)にアラフォーもいればアラサーティーもアラフィフもいる。年齢を意識するのは、自分の人生の「節目」を演出しようと思ったときだろう。それが孔子さまのように三十歳であるか、あるいは四十歳、五十歳になる。「自分には学歴も、翻訳の実績もない。残された時間が少ない。といって、今思い返してみると、結婚して子育てをして、立派な良妻賢母ではあったが、これがあの十三、四のころに夢みた自分の人生であったか。自分だけにできるものをやりたい。せいいっぱい、個性を発揮するために翻訳をしてみたい」。

こうした便りをもらうことがある。きっと応えている。大丈夫だ、まだまだ時間はある。人生には無駄はない。個性を殺したときもあるさ、人知れず挫折の思いに泣いてきたこともあるさ。毀誉褒貶。でも、それ、生かせるな。文学だもの、あなたが翻訳するのは小説でしょう? 小説は人間の「魂」の物語。あなたの物語でもある。翻訳はただ語学ができるだけでは翻訳にならない。たっぷり無駄をして、じゅうぶんに喜怒哀楽のある人生を、それこそ大真面目に生きてきたなら、きっといい翻訳ができるさ。

無駄はない。人生に、無駄な回り道はない。

眠り姫:

先生から、――英語、日本語、どの言葉にも位置関係、時間関係、因果関係を示すときの「発想」があります。ぼくがよく原文から離れて、素直に、日本語として発想しなさい、と言っていますが、こうした風景の描写でもおなじことがいえます。

と指導していただいておりますが、その「発想」がとても難しいときがよくあります。たとえば、第9回text:08のpresenceはとても難しかったです。辞書には「霊」と書かれてあり、メドウクロフト氏のお嬢さんは生きているので、もしかするとそれは生霊になるのだろうか?と思ってしまいました。

生霊が現れたなんて怖すぎるし、メドウクロフト氏のお嬢さんをそこまで否定的なイメージで書くのはどうしてなのかなあ?と思ったり。

でも一度、生霊と発想してしまったら、なかなかそこから抜け出せません。お茶を淹れてみたのですが、駄目でした。おかしいとは思いつつ、発想の転換ができないときはどうすればいいのでしょうか?『解題』で先生が、この部屋に彼女が実際に存在していた、「臨場」が正しい読みである、と教えていただきまして、小説の状況描写の発想もとても難しいと痛感いたしました。(先生が『ボリショイ劇場 バレエ&オペラ写真集』をロシア語から翻訳されたこのこと、とても嬉しくなってしまいました。私もバレエやオペラ鑑賞が大好きです!!)

藤岡:

そうだな。いったん思い込むとどうにもならないことがありますね。それを話し出したらきりがない。ぼく自身の「翻訳史」になってしまう。それほどに「思い込み」「思い違い」の山を築いてきました。この件は永遠の話題です。講座の中で触れていくので、読み落とさないようにね。

まずは疑問点を

今回も、解題にはいらず、まずtext:10の原文、それから「眠り姫訳」「ビュシーノ訳」と掲げます。「解題」と「藤岡訳」は次回にします。読者のみなさんがそれぞれ 課題訳を作成されるのを期待して、それぞれのセクションにコメントを挿入します。がんばってください。

Text 10:
Mr. Meadowcroft the elder, having not spoken one word thus far, himself introduced the newcomer to me, with a side-glance at his sons, which had something like defiance in it--a glance which, as I was sorry to notice, was returned with the defiance on their side by the two young men.
"Philip Lefrank, this is my overlooker, Mr. Jago," said the old man, formally presenting us. "John Jago, this is my young relative by marriage, Mr. Lefrank. He is not well; he has come over the ocean for rest, and change of scene. Mr. Jago is an American, Philip. I hope you have no prejudice against Americans. Make acquaintance with Mr. Jago. Sit together." He cast another dark look at his sons; and the sons again returned it. They pointedly drew back from John Jago as he approached the empty chair next to me and moved round to the opposite side of the table. It was plain that the man with the beard stood high in the father's favor, and that he was cordially disliked for that or for some other reason by the sons.
The door opened once more. A young lady quietly joined the party at the supper-table.
Was the young lady Naomi Colebrook? I looked at Ambrose, and saw the answer in his face. Naomi Colebrook at last!

眠り姫訳:

今まで一言も口を開かなかった父親のメドウクロフト氏が、なにかにいどむように横目で息子たちを見て、私にあたらしくやって来た人物を紹介しました。この若いふたりの息子たちは、私が気づいてしまって申し訳ないと思うような、挑戦的な態度でちらっと視線をメドウクロフト氏に返しました。

「フィリップ・ルフランクさん、彼が私の農場監督者のジャゴー氏です」と老人は儀式ばって私に紹介しました。「ジョン・ジャゴー、こちらは私が結婚をして親戚になった若者のルフランク氏だよ。彼は元気じゃない。休養するために海を渡ってきたんだ。環境を変えるためにね」「ジャゴー氏はアメリカ人なんだよフィリップ。ルフランクさんがアメリカ人に偏見を持っていないと思っていますよ。ジャゴー氏と知り合いになってくれないかね。さあ、一緒にすわって」メドウクロフト氏は息子たちにすこし前とは違う暗い視線を投げかけました。そして、息子たちも、もういちど、父親を見ました。ジョン・ジャゴーが私のとなりのあいている席に近づき、テーブルの反対側にまわったとき、彼らはあきらかにジョン・ジャゴーに圧倒されてたじろいでいました。ひげをはやしたこの男性が父親からはとても気に入られていているけれども、あらゆる理由で息子たちからひどく嫌われているのは一目瞭然でした。

扉がもういちど開いて、ひとりの若い女性が食堂のテーブルの集まりに加わりました。

ナオミ・コールブルックかな?私はアンブローズを見ました。そして彼の顔からその答えが読み取れました。ついにナオミ・コールブルックがあらわれたのだ!

ビュシーノ訳:

父親のメドウクロフト氏はそれまでまったく口を開かずにいたのだが、自らこの初対面の人物を私に紹介し、その時なにやら挑むような横目で息子達の方を見た。この視線は気の毒なことに、二人の若者からの反抗的な視線で射返されたのだ。

「フィリップ、この人は農場を管理してもらっているジェイゴ君だ」と、老人は私たちを正式にひき合わせた。「ジョン・ジェイゴ、この若者は家内の方の親戚でルフランク君だ。彼は健康がすぐれなくてね、場所を変えてゆっくりと休むために海を渡ってきたのだよ。フィリップ、ジェイゴ君はアメリカ人だが、君がアメリカ人に対して偏見を持っていないとありがたいね。さあ、隣同士に坐って、ジェイゴ君と近づきになってくれたまえ」彼は息子達にもう一度暗い視線を投げかけたが、息子達もまた同様に応酬した。ジョン・ジェイゴが私の隣の席に近づいてくると二人はあからさまに彼から身を引きテーブルの反対側にまわって行った。あごひげの人物が父親の大のお気に入りであり、そのためにか、または別の理由で息子達から心底嫌われているのは手に取るように分かった。

ドアがまた開き、若い女性が夕食のテーブルを囲む人々の中に静かに加わった。

この人がナオミ・コールブルックなのか? 私はアンブローズに目を向け、その顔に答えを見いだした。ついにナオミ・コールブルック登場だ!

では次回4月6日号まで。

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2009年3月23日号