The Oxford Book of Children’s Storiesシリーズより出題中
入門翻訳勝ち抜き道場

翻訳玉手箱

藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 番外編 その5

藤岡啓介
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よく「文学的」という言葉を耳にします。ものを語るのにたんに事物事象を客観的に記述するのではなく、その事物事象に相応しい言葉で、語り手の心を語りかけるように語るのが「文学的」でしょう。

「気象情報」ではないですが、「二月に入ると、もう鶯の声が聞こえてきます」というのが客観的な、情報を伝える文章ですが、古今集の「うぐいすのなく野辺ごとにきてみれば うつろふ花に風ぞ吹きける」などを引用したり、二月、寝室の窓を覆う立ち木を伝いながら鳴き始める、里に下りてきたばかりなので、さえずり方が下手で、それが四月、五月に向かって、だんだんと「鶯らしく」上手になる、などと、自分の生活環境を交えて、この頃になると……と語るのが文学なのかな。そして、ここで登場人物のドラマが展開すれば「小説」になるのでしょう。

「眠り姫」さん、「ビュシーノ」さんの訳文を見ていると、上に述べたような書き手(訳し手)の心構えが現われてきたように思えます。「てにをは」の一字に、つなぎの小辞に、読点ひとつまで疎かにしない文章への心遣いが感じられるようになっています。

もっとも、なんとか「小説らしく」訳そうとするあまり、こうして講座の回数を重ねてくるにつれ、おそらく、だんだんと「翻訳」をまともに考えるようになってきたからでしょうが、文脈を考えずに「うがった表現」「美辞麗句に近い常套句」「不自然な語句の組み合わせ」などが飛び出してきます。そのつど評者は、「ナヌッ!」とうめきながら「解題」を書いているのですが、ときには「だいぶ小説の文章らしくなりました」と評価する箇所もあります。鶯ならぬ眠り姫とビュシーノさんに、おりおりこうした感想を伝えることがあります。

裏を訳すと……

――だいぶ小説らしくなってきていますよ、と言っていただき、とてもうれしかったです。 自分では上達しているのかどうか良く分かれませんが。

と、これは「ビュシーノ」さんからの便りですが、二人ともこの「公開講座」に参加してもらったはいいけど、大丈夫、耐えられるかな、とハラハラしながら見守っていたのですが、どうでしょう、まだまだ問題があるけど、ずいぶんと「小説らしく」なってきたといえます。それかあらぬか 、次のような感想が添えられていました。 前回 text:08 の第3文、My view from the window showed me a dead flat in a partial state of cultivation, fading sadly from view in the waning light.という文章の翻訳部分でビュシーノさんの脳裏を過った ことを書いてくれました。

――まず、部屋の窓から見た景色の描写の a dead flat ですが、この言葉を読んだときに浮かんだのが「まっ平」でした。なぜかというと、「大草原の小さな家」で見たどこまでも続くプレイリーに開拓者が開墾を始めた畑が所々に広がっている風景とか、題名は忘れましたがキャサリン・ヘップバーンのモノクロ映画で見た風景が浮かんできたからです。文脈の流れから、deadとあるので「枯れた」、「死んだような」、「荒涼とした」の方がいい感じかな、とも思い、

――窓の外に目をやると、見わたす限りの平原に開墾途中の畑が散らばった光景が、衰え行く光の中で悲しげに視界から薄れていこうとしていたと訳しました。

と訳しました。

これがビュシーノさんの翻訳現場での感想。この訳文を受け取った「先生」はどう訳していたかというと、

――窓から外を見ると、平原の大部分がまだ開墾されないまま残っていて、荒涼とした大地がひっそりと横たわっていた。それも、辺りがだんだんと暗くなっていく中で薄れていき、物哀しい様子をしていた。

お弟子さんたちの提出してくる課題訳を評価するのが師匠の役割です。この部分を訳しながら、「さて、ここは何と訳してくるかな、ここが減点か満点かの分かれ目だな」などと考えています。

ここではビュシーノさんが思いを巡らせたa dead flat ではなく、「分かれ目」はa partial state of cultivationでした。「耕作(開墾)の部分的な状態 → 部分的に行われている耕作 → 開墾途中の → 大部分がまだ開墾されていない」と、いろいろな解釈・表現が脳裏を走ります。結局は、「部分的にOK」であるとは「大部分がOKでない」と発想しました。これは翻訳者の言葉で言うと「裏を訳す」という技法になりますが、使ってみると意外に読みやすい日本語表現になることがあります。

そういうわけで、ビュシーノさんの訳文も、眠り姫の訳文も「部分的に耕作している」もペケでした。そしてビュシーノさんがミシシッピ河沿岸大平原の草原を思い出して「まっ平」が頭に浮かび、「部分的に耕作している不毛の平原」と訳していったようですが、ここでちょっと考えてみてください。

「部分的に耕作している(1)」は肯定的なイメージ、そして「不毛の平原(2)」は否定的。読んでいて思い浮かべる情景が上記眠り姫のイメージと違ってきそうです。しっくりこない。「この周囲は不毛の大地であるが、一家をあげて懸命に開墾している、まだ開墾し残した部分が散在しているが……」と発想したのかな。それだったら「(2)(1)」が素直な発想です。(はたしてメドウクロフト一家が心身ともにたくましい開拓者一家であるのかどうかも問題ですね。)英語、日本語、どの言葉にも位置関係、時間関係、因果関係を示すときの「発想」があります。ぼくがよく原文を離れて、素直に、日本語として発想しなさい、といっていますが、こうした風景の描写でも同じことがいえます。

さて、もう一つの考えを加えます。コリンズはどう伝えようとしたのか。

「部屋の窓から眼に飛び込んできたのは、静まり返った平原、人手の入ったところもあるが、大部分は手付かずになっている。辺りがだんだんと暗くなっていく中で、それが薄れていくのだが、ずいぶんと物哀しいところに来てしまったな」と、ぼくはこのように読みます。

もう一例、眠り姫さんの課題訳も掲げておきます。

窓からは部分的に耕作している不毛の平原が見え、弱まっていく光の中で視界から少しずつ悲しげに姿を消していきました。

何度読んでも、ぼくにはまだチグハグな印象だな。「弱まっていく……少しずつ悲しげに」がうるさいのかな?

presenceで考えたこと

ビュシーノさんはもう一箇所、The dismal presence of Miss Meadowcroftの箇所で何を考えたか伝えてくれました。

所帯じみているかもしれませんが、私はこの家の主婦はメドウクロフトのお嬢さんで、飾りのない応接間の壁も、祈祷書と聖書しか置いてないのも、聖書の断罪の言葉が壁に掛けてあるのも、すべて彼女の影響を受けているし、ベッドルームを整えたのも彼女で、彼女の手が加わっているために部屋の雰囲気が冷たい感じになっていると考えました。課題訳では、「暗い存在のメドウクロフト氏の娘が私の寝室を通り過ぎたので、その場の雰囲気がすっかり悪くなってしまいました」としましたが、「彼女の霊がさっとかすめていく」のが感じられたのです。そちらの方が良かったですね。presenceという英語に悩みました。

この部分をビュシーノさんは、

――メドウクロフト嬢の陰気な趣味があちこちに反映されている寝室は実に居心地が悪かった。

としています。老嬢の性格が強くにじみ出ている、反映されている、この家が殺風景でわびしい感じがするのも、彼女のpresenceのおかげだ、という考えですね。

――暗い存在のメドウクロフト氏の娘が私の寝室を通り過ぎたので、その場の雰囲気がすっかり悪くなってしまいました。

と訳した眠り姫も、どちらも悪くはない、でも、良いともいえない。これが評者の口癖でもある評言「困った」になります。自分では「老嬢が部屋に案内してきてくれて、もう一方にあるドアから外に出ていったのだが、そのときの、陰気な表情で、ろくに口も利かないで部屋を通り抜けていく様子が……、」と解して、

――ミス・メドウクロフトの陰気な霊がさっと部屋をかすめていって、せっかくの寝室に暗い影を落としていた。辺りを見わたしたが、気分が沈むだけだった。

としたのです。presenceを「霊」としましたが、この部屋に彼女が実際に存在していた、「臨場」していたという「臨場」が正しい読みでしょう。

まだ「翻訳であるから症候群」から抜け出ていない

ビュシーノさんが、まだ「唸り出さない」と次のような便りを。

――悲しいことに、英文を読んでいるうちに頭の中で日本語がうなりだしてくることはまだありません。先生が丁寧に、わかりやすくご解説してくださった「読み・解き・訳す」の方法で、何段階かに分けて、実際に書いて訳しております。先生から読み解くプロセスを教えていただき、得難い翻訳修行の場になっているのですか、まだまだ「思い込み、翻訳であるから症候群」から抜け出していないようです。「たとえ誤訳が多くても読みやすく、面白い話にしてくれ」という読者がたくさんいるという、たいへん貴重なことを教えていただき、ぜったいに原文に忠実に訳さなければいけないという呪縛から解き放たれ、近頃はだいぶ自由になったような気がしております。ありがとうございました。

もうひとつ。これは眠り姫の感想。

――陰気な霊気がさっと部屋をかすめていって、せっかくの寝室に暗い影を落としていた。の箇所もとても難しかったです。先生の訳を読ませていただいて、小説を訳すときはかなり想像力が豊かでないとできないけれど、誤訳にならないように気をつけなければならないし、本当に難しいな、と思いました。ここの箇所では、私もビュシーノさんもメドウクロフト氏の娘のことを相当悪く訳してしまっていているのですが、先生の訳で、前回の講座の部分でもそのお嬢さんは、「この一人娘は見たところこれといって魅力のない、かなり年のいった陰気な人だった。いやいやながらこの世の義理を果しているといったタイプの人で、生きていくのが重荷で、もしこの荷を担ぐかどうかを最初から問われていたならもちろんお断りしていたことだろう」とあるので、やっぱりこのお嬢さんは「陰気な性格」だと思うのですが、いかがでしょうか?

いつも知識が足りないと自覚しているのですが、そんなにすぐに身につくとも思えません。たとえば、「腕時計は存在していましたが普及はしていなかった」などとても勉強になり、面白く感じられたのですが、このようなことはどのようにして調べたらいいのでしょうか? (読者のみなさんの聞いてみましょう。【この質問に答える】

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2009年2月9日号