入門翻訳勝ち抜き道場

翻訳玉手箱

藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 番外編 その4

藤岡啓介
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年が変わりました。どうかな、気分が変わり、本の読み方も
変わってくるかな。
この正月は漱石を読んで過ごしました。立て続けに
三四郎、それから、門、行人、彼岸過迄、
どの作品も以前に読んでいたものですが、
改めて読み、改めて、面白さ、すごさ
を味わっています。
今年は折にふれて漱石の筆使い、作品に触れていきます。

勉強は「手書き」から!!

本講座の読者であるRikoさんから便りをもらいました。読者というよりも「参加者」となりますね。こうしてぼくの講座を読んでくださる方がおられると、書く方も一段と力がこもります。ありがとうございます。

まずはRikoさん文章を掲げます。Rikoさんには無断ですが、少々表記を改めたり、言葉を補いました。どこをどう直したかはぼくとRikoさんとの秘密ですね。もちろん、いわゆる「文責」は藤岡にあります。この「文責」という言葉、近頃目にしなくなりました。「文責在編集」という姿勢がなくなってきたのでしょうね。

ちなみに、「文責在編集」というと、なんだそれじゃ匿名と同じではないか、と思われるかもしれませんが、WEBと違い印刷刊行物では、発行人、あるいは編集人の名が住所とともに明記されています。入社早々の新人であっても編集長であっても、匿名希望の投稿者の文章に手を入れて「文責在編集」とすると、責任はすべて編集長にあります。投稿が匿名希望でなく、しかも編集担当者が文章に手を加えたい時は、事前に投稿者の了解をとるのが原則です(それが面倒で、いくら良い内容の投稿であっても、たいていは「没」にしてしまいますが。)

私は独学で翻訳者を目指しています。本誌は翻訳者の登竜門なのだからどしどしチャレンジしなさいという「新しい提案」も真剣に考えていて、そのため今トーマス・ハーディの『テス』を読んでいます。

前置きはさておき――私は翻訳を勉強している時、必ず、ノートに訳を書き出しています。この「プロになるぞ!」のテキストも、まずプリントし、ノートに貼り付け、それから自分の力で訳出し、見直す。そして、先生の「解題」に移る、という手順で勉強を進めています。パソコンで書いていると、どうしても自分で書いたもののように思えないので、できるだけ、手書きで訳し、それに赤ペンを入れていく作業をしています。

パソコンで打つよりも、手で書いたほうが、やはり、気持ち等も伝わるような気がしますし、自分勝手な解釈で不自然に感じていた訳文が、原文を対照して手直ししていると「なるほど!」と素直に頭に入ってきます。

これは、今の小中学校の通知表と同じような感じですね。今はパソコンで打ち出している学校が多いと思いますが、パソコンで打ち出された担任の先生からのコメントはどことなく冷たく感じるというか、なんだかそっけない感じがします。でも、手書きだと、先生の気持ちが、内容と見た目からも伝わってくるような……それと同じような気がします。

長くなってしまいましたが、やはり、いろんな意味で、手書きで訳すことってすごく大切なことではないか、と思っています。

Riko記

“Tess of the D'Urbervilles”を読んでおられるとはすごい。翻訳もしているのでしょうね。冒頭の数節でいいから読ませてください(編集部宛てに送ってくれれば、ぼくのところに転送されてきます)。ぼくはハーディーの作品のほとんどを翻訳で読んでいて、原文で読んだのは鎌倉翻訳勉強会でテキストにした“The Romantic Adventures Of A Milkmaid”だけです。この作品は、たいていが暗いハーディーの作品群の中で珍しくロマンチックな作品です。1960年代までは、文学をやるならハーディーを、とも言われていた時代です。ぼくも、もしかしたら受験勉強のとき研究社で出していた対訳シリーズで何か読んでいたかもしれません。いずれにしてもハーディーは難しい。 もし本気でハーディーで「わたしの翻訳」挑戦されるなら、提出されるのは短篇にしてください。

「手書き」の効用

Rikoさん、「手書き派」なんですね。ハーディー同様、これも珍しい話かな。  最近はいきなりキーボードでパチパチやる「もの書き」が多いというのに、「打つ」でなく「書く」と聞くと、何か、大げさですが、神々しい気分になりますね。ぼくは堕落してもうずいぶんと長いこと原稿用紙から離れてしまいましたが、編集者、翻訳者で、まずしっかりと原稿用紙に書いてから、という人たちがいます。

ぼくの場合どうなのか? 今はすっかり「打つ」方ですが、でも、自分で決めたフォーマットを崩すことができず、ずっと同じ書体、字詰め、行間、フォントサイズで書いています。つまり自分の原稿用紙です。視力が衰えたからといって、ズーム機能を使うとか、フォントを大きくするのを避けています。ペンであれ筆であれキーボードであれ、書くときの道具と眼に映る用紙(画面)には「これでなければ駄目だ」という感覚がありますね。道具や用紙を変えるのは、自分の文体を変えるよりも難しいものです。

思えば、ものを書きだしてから、鉛筆、万年筆、鉄筆(ガリ版)、シャープペンシル、ボールペン、サインペン、タイプライター、ワープロ、PC、いろいろ筆記道具がありました。そのすべてを使って、書痙まで経験しながら書き続けてきたのですが、道具を変えたとき、そのつど文章まで変わってしまうのではないかと恐れたものです。Rikoさんのように意識的に「手書き」をされるのは立派ですね。

calhobbitさん、ありがとう!!

巻頭エッセイの10月27日号の【質問に答える】で、calhobbitさんが訳文を寄せてくれました。掲載が遅くなりました。お許しを。

問題はジョセフ・ヘンリーの実験をみたマイケル・ファラディーの、“Hurrah for the Yankee experiment! What in the world did you do!” という言葉でした。

calhobbit訳:
ヤンキーの実験に喝采! 思いも付かないすごい事をやってくれた。

誰もが考えてもいなかった実験を見せられたとき、日本人だったら「すごい! お見事!!」といった叫びになるでしょうね。でも、ファラディーの叫びは辞書をみるとHurrah for~(万歳, フレー)です。これでいいや、と思うのと、「お見事」という日本語の気合いを考えるのとでは訳文が違ってきますね。calhobbitさんは「~に喝采!」とされました。うまい!! 後半はいろいろと訳が考えられますね。

――ヤンキーの実験に喝采! 思いも付かないすごい事をやってくれた。
――すごい実験だった!! こんなヤンキーがいるとは思いもしなかった。
――ヤンキーにこんな実感ができるとは、大喝采だ。

前後の文章によりますが、眺めているといろいろな「讃辞」が浮かんできますね。ファレディーはロンドンっ子ですから、歯切れのいい江戸っ子弁がいいかな。難しいですね。

新しい提案です!!――もう何人かの方が挑戦していますよ

本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦していこうと 考えています。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」は当然ですが、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新 しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでく れ」と希望されれば、藤岡啓介が原文・翻訳を読みます。よかったら(あるいは何回か改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。版権がない英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイが対象作品。【この提案を真剣に考える】

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2009年1月13日号