藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 番外編 その2
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読者参加を歓迎する【この質問に答える】も設けています。
当該個所の質問だけでなくどしどしご意見を寄せてください。
―前回、川本茂雄先生の『講談社英和中辞典』を紹介したとき、次回は、
「読んでおかなければ翻訳者じゃない!!」
という本を紹介すると予告しました。
さて、とりい出したる名著の数々
なにとぞご購読のほどを!!
■ヤマトコトバにない抽象名詞
去る七月十四日、日本語、日本古典文学の研究者であられた大野晋(すすむ)先生が亡くなられました。どのような仕事を残していかれたか、ぼくたちの蒙を啓くために書かれた文庫、新書版だけでも十点を越えていて、これらは日本語の起源、文法について学ぶきっかけになったし、『岩波古語辞典』は今でも書架の正面に、小柄な書物でありながら、でんと据わって盲を導いてくれています。何年か以前のことですが、NHKの朝のラジオ番組で聴いた本居宣長の離婚・再婚話は先生のお人柄も偲ばれ、また、「学問とはこういうものだよ」と教えていただくことでもありました。
その大野先生が『日本人の思考と日本語』という小論のなかで、日本人は情緒的、感性的で、日本語には抽象名詞が少なく、擬態語・擬音語の多用がある、と言われています。
そしてこれは中村元博士の説によると、
| 彼老ゆ | 彼は老性におもむく |
| 果実が柔らかくになる | 果実が柔軟性におもむく |
| かれは使者として行く | かれは使者性によって行く |
| ある男が樹と思われた | ある男が樹木性によって表象された |
大野先生の解説では、たとえば「忠」「孝」をヤマトコトバで読むと(『日本書紀』の古訓)、
| 忠 | アカクマメナルココロ |
|---|---|
| 孝 | オヤニシタガウ |
さらにヤマトコトバでは「漢字として抽象名詞の意味を持つと思われるものについても、多く動詞、形容詞としての訓が与えられていて、名詞としての訓は極めて少ない」とあります。
その例として、
| 恵 | メグム、アタウ、ウツクシブ…… |
|---|---|
| 悪 | アシ、ナンゾ、カタチミニクシ、ニクム、ミヌクシ…… |
があげられています。「オヤッ、これは品詞変換じゃないか」と思われるでしょう。どこの翻訳教室でも、最近は「流暢に、自然に訳せ」といって指導していますが、日本人は日本人、翻訳が「特殊な日本語」であってはならないという教えです。最近の英和辞書では、対応語や例文の日本語にできるだけ自然な日本語を使うよう工夫していますが、利用者が英語初学者であるからでなく、「躊躇する」の漢語を避け、「ためらう、ぐずぐずする」とした方が日本語として日常的な、自然な発想から生まれる言葉だからですね。翻訳者は文章語では「躊躇する」を使うかもしれませんが、会話の文ではほとんど使わないでしょう。
ぼくたちは平安の大昔に漢字・漢文に接し、訓読みという宙返りを開発していつのまにか漢文を翻訳してきました(中国語として読むことをしないで)。近代に入り、訓読みのクセの多い日本語(和漢混交文、擬古文もあれば言文一致文もありますね)を使って欧米の言葉を翻訳してきたのですが、近頃になって、やっと「大和言葉を使おうよ」という機運になってきました。漢文の素養がないから必然的にこうなったというのではなく、現代文が話し言葉でも書き言葉でも自然だからなのでしょう。和魂洋才とかいって気張ってきたのが、どうやら自国の言葉、文化に自信がもてるようになってきたのでしょうね、何か、二千年来ずっと民族の頭にのしかかっていた重石(おもし)が取り除かれたような気がします。でも、気が軽くなったのと「よい翻訳をする」とは別の問題ですね。それを思うと、気が軽くなるどころか、滅入ってきますね。
■英文法は避けられない
ところで、いまになってもオタオタするのが文法。英文法だけではない、日本語の文法でも迷っています。直接疑問に応えてくれるわけではないのですが、大野先生の『日本語練習帳』(岩波新書)を毎年二度や三度、眼を通しておいた方がいいですね。先日、何度目かに本書を読んだとき、読み飛ばしていたのでしょう、「文章の骨格」という章で吉田健一さんの読みにくい文章(悪文といってもいい)がなぜ読みにくいかが解説されていました。「てにをは」の問題もあり、時に応じて日本語を考えさせてくれる名著です。
英文法では渡部昇一先生の本を読まなければ。『英文法史』『英語の歴史』の専門書は別として、『英文法を撫でる』『講談 英語の歴史』(いずれもPHP新書)、『英文法を知っていますか』(文春新書)は必読。
当然のことながら、翻訳者の必読書は英語で書かれているものもあります。“The Adventure of English――The Biography of a Language”(Melvyn Bragg, Sceptre, 2003) が、とてつもなく面白い。有難いことに訳書『英語の冒険』(三川基好訳、講談社学術文庫)があります。ぼくはこの本を三川さんの翻訳で知ったのですが、読んでいると、いくら三川さんの翻訳がうまくても、英語の音韻やら古謡などになるととうぜん訳し切れないところがあり、思い切って原書を買ったのです。どちらで読んでもいいのですが、これは必読ですよ。一五〇〇年前、わずか十五万人のゲルマン人が話していた言葉が世界十五億人の言語となった、その冒険のお話です。大野先生の日本語の歴史の話がダブって面白いし、渡部先生の仕事が分かるような気になります、逆に、渡部さんの英文法史を先に読むと、このメルヴィン・ブラックさんの仕事がまるまる渡辺昇一さんの仕事に負うているのが分かるので(渡部さんの『英文法史』(研究社)は1965年に刊行されています。英語史研究で世界的な先駆者としての仕事をされたのです)、両書は併読すべきです。
ところで、前回からの「質問に答える」で取り残していた「回答」です。
■日本語辞書(国語辞典)について
Deedeeさん:
『広辞苑』を主に使っております。その他、漢和辞典(角川)、国語辞典(旺文社)、書き方字典(野ばら社)を併用しております。
藤岡:
Deedeeさんから上記の「回答」をもらいました。『書き方字典』をお持ちとは、どこかゆかしいな。日常的にはおそらく『広辞苑』を使われているのでしょうね。翻訳者は自国語の辞書を使うのは当たり前、今さらなにを、と思われるかもしれませんが、翻訳者はプロのもの書きです、それが間違った言葉を選んだり、「てにをは」の助詞で躓いたり、貧弱な語彙で、メリハリのないだらだらした駄文を書いたり……では困ります。
『広辞苑』を初めDeedeeさんが使われている辞書で十分といえば十分なのですが、ぼくは「国語」の辞典では『大辞林』を愛用しています。文法の知識がいいかげんで、もしかすると語法でひどい間違いを起こすかもしれない、そんなおそれを持つ方にお勧めです。語彙であるならば、既存の岩波書店の『広辞苑』『漢語辞典』『古語辞典』を十分に念頭に入れて編纂された『新潮日本語漢字辞典』が素晴らしい辞典です。
それと、これは漢和なのかな、漢字文化というべきか、白川静先生の『字訓』『字統』『字通』の三部作がありますね。これを常用すると、おそらくもの書きにはなれませんね。楽しくて怖くて、パソコンなんかで文章を書く気にならない。Deedeeさんの『書き方字典』を傍らに、墨をすり、筆をかまえて白紙に対してだらりだらりと脂汗を流しているかも。
だいぶ以前のこと、夜行列車でゴトゴト洛陽に向かったとき、白川先生の漢字の話を読んでいたら、同じコンパートメントに居合わせた中国の人が見せてくれといって、ずいぶんと長いこと「見惚け」ていました。お付き合いして、眠れなかった覚えがあります。どんでもない魔力のある本です。
■引用文の翻訳
◆巻頭エッセイ、マーク・トウエンの言葉(9月25日号)
“and so I don’t want people to know I own this curiosity-breeding little joker”
Deedeeさん:
最後に、皆さんの興味をそそってやまないこの小さな魔法の機械を、私が所有してたことはふせておきたかったものです。
ぶなばやしさん:
だから好奇心をつのらせるこの小さなやつを、私がもっているとは人に知られたくないのです。
藤岡訳:
だれにも教えたくないな、とてつもなく精巧巧緻、多種多芸のおしゃべりさんだ。
上の写真ではなかったと思いますが、マーク・トェインが、たしかレミントンのタイプライターの宣伝に手を貸している写真がありました。引用の言葉はそれに添えられていました。どんな調子に訳すか、難しいですね。curiosity-breeding little jokerは「好奇心生まれの(育ちの)カタカタおしゃべりする可愛い奴」とでもいうのでしょうか。広告のコピーですから思い切って訳しておきます。レミントンに採用されるかな?
◆巻頭エッセイ、マコーミック夫人の言葉(6月30日号)
“You see, your father’s course from first to last is……vindicated!”
藤岡訳:
お分かり、お父様は最初から最後まで、妥協することなく、どこまでも権利を主張されたのよ。
新しい提案です!!
本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦していこうと 考えています。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」は当然ですが、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新 しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでく れ」と希望されれば、藤岡啓介が原文・翻訳を読みます。よかったら(あるいは何回か改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。版権がない英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイが対象作品。【この提案を真剣に考える】






























