藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 第16回
ウィルキー・コリンズ作『死者は生きていた』
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第一期で、第一章と第二章が終了しました。
藤岡先生の全訳はこちらです。
→ウィルキー・コリンズ作、藤岡啓介訳 『死者 は生きていた』 [PDF 版]
送る言葉、迎える言葉
前回予告したように、今回は眠り姫さん、ビュシーノさんを「送り出す言葉」を書くことになりました。二人の門出に当たっての言葉ですから「贈る言葉」といった方が良いのかもしれませんが、これだとなんだか感傷的で、いざッ武者修行、という雰囲気になりませんね。
ぼくとの一年間の勉強も大変だったでしょう、ときには課題訳提出で気が重くなり放り出してしまいたくなったり、いつまでも納得のいく翻訳ができなくて、自信喪失もあったでしょう。たまには、ここまでできればうるさい先生もノーコメントだろうと張り切ってみたり、それがとんだ結果だったり、まさに苦行僧の修業だったでしょう。でも、「プロになるぞ!」という本講座の狙い通りの一人前の翻訳者になるのは、これからの方が大変なのです。
講座の回数は今回で16回、この間に「番外」を7篇書いてきました。皆さんがA4でプリントをとれば本講230枚、番外45枚です。これを横組みの単行本にすると約400頁になります。そして、勉強したコリンズの原文テキストはわずか10頁。
付き合った眠り姫さん、ビュシーノさんも大変だったでしょうが、読者の皆さんもまさか「皆勤」ではなかったでしょうね。行楽あり、お寝坊あり、買い物あり、お子さんの送迎あり、毎週小一時間の時間をもつのが至難だったかもしれませんね。
でも、英語、日本語、文化、小説、作家、翻訳、などを話題にすれば、とめどなく語り合いたくなるものです。だから、この講座、皆さんにも読んでもらえたでしょうね。(こうして講座を書く機会があるおかげで、ぼくもあの若かった時と同じように、とめどなくおしゃべりができます。有難いことだと思っています。)
ところで、武者修行とはどのような修行なのでしょう?
入門、新弟子、免許皆伝、武者修行など、譬えが剣術で野蛮ですが、これから書くことを読んでもらえば、なるほど、野蛮で当然だな、と思いえるでしょう。二人を武者修行に出したのは、「もう一人前だ、お免状を上げましょう」ということではありません。「そこそこの稽古を積んだので、これから広い世間を渡り歩き、修行を重ねておいで」、ということなのです。
眠り姫への言葉
なかなか上達しなかった。翻訳らしくなってきたかな、と思うと後戻りしていたり、文章法の問題だけではない、辞書の使い方もおかしいときがある。とはいっても、課題訳に添えてくるご本人の文章は、どちらかといえば語彙が豊富で表現力もあるし、文学的なセンスも感じられるといった、いい文章を書いています。
それがどうして翻訳に生かされないのか?
この一年間、本人も悩んだでしょうが、ぼくの方も困った。いつまでも課題訳、解題、というプロセスを続けても、この人は決してうまくならないだろう、ではどうするか? そもそも、本人が翻訳を志したのは、留学してまで勉強したフランス語で読んだ(読む)フランス語の小説を翻訳することだったので、とくに英語が好きであったわけではないのだから仕方がない。本人に確かめたわけではないけど、きっと、英文を読んで翻訳していると文法の解釈や常套句が現れるたびに「ああ、これがフランス語であったらな」と思っていたのではないかな。もしそうであるなら、あなたはフランス語も英語もできていない。できないから他の言葉だったら……と思ってしまうのでしょう。
英語を学習する現代日本の環境はとてつもなく恵まれています。詳しく上げ連ねることはないですね、辞書・事典・WEB site、参考書、訳書、いずれも、他の外国語とは比べられない環境にあります。英語で翻訳を学ぶのが正当です。英語できちんと翻訳ができればドイツ語、フランス語、ロシア語、どの言葉であっても英語というtoolを借りて短時間に習得できるし、翻訳もできるはずです。
眠り姫さんの翻訳にむらがあったり、簡単な文法事項で躓いたり、辞書を引きそこなっているのは、どうやら「翻訳以前」の問題があるのでしょう。詳しいことは、これまでも講義で、そうですよ、単行本400頁で、もし索引を加えれば450頁の本になるこの公開講座で書いています。
眠り姫武者修行はなにかな。
1.翻訳にどっぷりつかること
おそらく幼いときから「翻訳もの」に接していなかったのではないかな。物心ついてからは、日本語、日本文化にひかれ、外国語、翻訳には関心を寄せていなかったのではないか。読んで面白かった、熱中した本が「翻訳もの」であったなら、もっと楽に翻訳ができたでしょう。まず、これから5年、10年、書いたり訳したり旅行したり、とくに「翻訳」を意識することがないほどに「翻訳の世界」に浸ること。
フランス語の翻訳をするにしても、おそらく語学力が追い付いていないでしょう。上記の「翻訳の世界」で、こうした実験もいいかも。たとえばモーパッサンの中編小説に“Boule de Suif”(脂肪の塊)がありますが、これを、
- モーパッサンの原文
- 英国で出版されている英訳文(“Butterball”)
- 河盛好蔵さん他多数ある翻訳(最低でも三通りの訳文
- 眠り姫の翻訳(まず英訳から訳してみる、時間をおいてからフランス語から訳してみる。この間、大先生たちの翻訳を何度か読んでおく。)
そして、
中編といっても眠り姫さんの実力では案外長い小説なので、挫折するかもしれないけど、本気で上の四通りのモーパッサンに挑めば、翻訳の持つ問題のすべてが身に付くだろうな。そして、ああ、わたしはフランス語をやっていて良かった! 翻訳できるぞ!! と叫ぶはずです。
2.何を翻訳するのか?
上のように勉強している中で、自分の手で翻訳したい作者・作品があるでしょう、その作品を精読します。現代フランス人の作家であれば、彼(彼女)のフランス語を支えている教養がありますね。眠り姫さんの使う日本語が大和言葉、漢文、近代日本文学と、自分でも気がつかないほど広い広い言葉の海で誕生したものですね。これはフランス人でも同様です。彼らの教養のほんのわずかでもいいから、身につけておきたいものです。
その上で、翻訳の的を絞っていきます。何年も無駄と思われる探索の旅を続けることになるかもしれません。いや、生涯、ついに出会わないでしまうかもしれません。
でも、そうした人生、すてきだな。
3.そして再び、鎌倉は稲村ガ崎に
いつになるかな? それはもう、訳文を読ませてもらう時ではないですね。翻訳以前でうろちょろしていた眠り姫が今や翻訳の世界に住人になって、すっかり「大人びて」いて眩しいくらい。武者修行の終りです。宇治のお茶をすすりながら、虎谷の羊羹「夜の梅」でも。お免状? もうそんなもん要らないな。できるもん!
ビュシーノさんへの言葉
もしかしたら、十年後の眠り姫が現在のビュシーノさんかもしれない。できる、心得がある、剣術の道場の言葉でいえば、「お主、できるな!」というところか。
若いときから英語だけではないいくつかの外国語を勉強していた。海外赴任で、行く先々の言葉に興味を持った。それが本格的な翻訳の勉強へと繋がったのか。通信講座に挑戦したことがある。そして『WEBマガジン 出版翻訳』に出会った。『斎藤静代の翻訳勝ち抜き道場』に応募した。これがビュシーノさんの「翻訳歴」だけど、この公開講座丸一年間の勉強はどうだろう。
講座の中で、ぼくに指摘されたことが、それとはっきりしたわけでないけど、次の課題訳のどこかで映されて返ってくる。いい意味で「真似」がある。真似のし損ないがある、そんなところに出会うと、お師匠さん、少々得意になるのだが、これでは面白くない、少々違った手をみせる。この手はどうだ、これが「裏を読む」、「名詞を動詞へ、品詞転換だ」、これが「正眼の構え」だって地摺り正眼もあるぞ。読みは同じでも、晴眼、青眼、星眼、臍眼がある。相手によっていろいろと「術」があるさ。剣術を「芸術」とした時代があったけど、翻訳も芸があり術がある、「芸術」だ。
ビュシーノさんとは、もうこうした話をしてもいいかな。
1.狙いは?
あまりゆっくりしてはいられない。あと20年もたてば体力に衰えが来る。その前にぜひともまとめ上げてほしいな。何を? ビュシーノさん、あなたが本名で、「これを訳すために生まれたのです」と宣言できる翻訳書だ。それができるはずです。自分の歩んできた人生だ、無駄はない、無駄と思えたことがあっても、すべてこの仕事で生かされている、翻訳できて、なんと幸せなことだろう! そういえる翻訳をしてもらいたいし、できますよ。
2.貪欲な好奇心を
上のように宣言できる翻訳は、やはり十九世紀の古典作家の作品になるでしょう。この講座でとりあげたコリンズにしても、代表作『月長石』『白い服の女』のほかに12巻の『傑作選』が出版されているけど、まだ翻訳されていない短編が山ほどある。それも一作ごとに趣向を凝らしたもので、翻訳し甲斐があるはずです。
この時代の英文学だけではない。アメリカ文学でも、新しい翻訳があってほしい作品が山ほどあります。ぼくがもう少し若かったら、きっとドライザーをやるな。どこか出版社を説きつけて少なくとも三部作はいい翻訳で出さなくては。いやいや、ドライザーだけではない、トマス・ウルフもノーマン・メイラーもいる。
3.好奇心には時間とお金がかかる
だから、子育ての時期には翻訳なんて考えられなかったが、それも卒業したので、これからは「贅沢」をしなくては。ディケンズのたった一行の文章で丸三日呆然としていたり、トマス・ウルフを読んでいて無性に走り出したくなったり、メーラーと一緒に南海の夕日を眺めたり。
B&Nで探し当てた本が円安のおかげで思い切り良く買うことができたり、ゆっくりと時間をとって神保町を歩き、抱えきれないほど本を買ったり。生涯で初めての「贅沢」を。
そうです、ビュシーノさん、これからたんまりと「贅沢」して、そしてすばらしい作品に巡り合い、心のこもった翻訳をしてください――これが「送る言葉」だな。
迎える言葉
眠り姫さんとビュシーノさんを送り出して、新しく二人の新弟子を迎えます。ガブガブさんとみかんみかんさん。東京からだいぶ離れたところに住む二人です。本誌の濱口さんが、斎藤・藤田の2講座に熱心に挑戦している参加者から推薦してくれました。
これまでの講座を読んでいたにしても、自分の訳文が俎上に載るのとでは大違いですね。がんばりましょう。ここで「迎える言葉」になるところですが次回7月13日号に回します。
今回は二人の訳文を掲載します。“The Dead Alive”の原文は【text】をクリックしてtext:14をご覧ください。
“The dead Alive”by Wilkie Collins
Chapter Ⅲ The Moonlight Meeting
みかんみかん訳:月夜の相談事
「ぜひ、お話ししたいと思って」、そうナオミは口を開いた。「ここまであなたを追いかけてきたらからといって、礼儀知らずな人間だとは思わないで下さいますか。形式張ることはあえて避ける所なのです、ここアメリカは」
「おっしゃる通りですね、ここアメリカは。さあ、どうぞおかけください」
ナオミはわたしの傍に腰を下ろし、月影に照らされながら、まっすぐにこちらを見つめた。
「レフランクさんはこのメドウクロフト家の親類にあたられますが」と、ナオミは再び口を開いた。「わたしもそうです。何の縁(ゆかり)もない方には言えないようなことも、あなたにならお話しできそうな気がします。おいで下さってどれほど心強いことか、レフランクさん。実は事情があるのです、それも、まさかとおっしゃるようなことが」
「頼りにしていただけるとは光栄ですよ、コールブルックさん、たとえその事情がどんなものであっても」
そう返したわたしの言葉はナオミの耳には入らなかった。彼女はひとり考え事に耽っていたのだ。
「あなたなら何とかして下さる気がするのです、レフランクさん、この不幸な家を」ナオミは、わたしを真正面から見据えたまま、話を続けた。「ここには愛情もなければ、信頼関係も、和やかな雰囲気もありません、このモーウィック農場には。この家の人たちは第三者を必要としているのです。でも、アンブローズだけは違います。あのひとのことを、どうぞ悪くは思わないで下さい。あのひとはただ軽はずみなだけです。わたしが言おうとしているのは、アンブローズ以外の人たちに、その冷酷さや、厭らしく欺瞞的で嫉妬深い物言いや態度がどれほど破廉恥なことか思い知らせるためには、第三者の手がなくてはならない、ということです。レフランクさんは紳士でいらっしゃいます。この家のひとたちよりも物の道理にも通じていらっしゃいます。あの人たちには、自身の抱える問題を自分で何とかするような力はありません。ですから、当然、あなたに一目置くでしょう。お願いです、レフランクさん、何かあったら…どうか、この家に平和が訪れるよう、お手を貸して下さい。夕食の席の様子をご覧になって、ご気分を害されたでしょう。そう、とても。だって眉根を寄せていらっしゃったもの。あなたのような『英国紳士』にとって、それが何を意味するのかはよく存じています」
ガブガブ訳:月明かりの密会
「ぜひ、あなたとお話がしたくて」と彼女は口を切った。「こんな所まで後をついてきたりして、悪くお思いにならないで。アメリカではあんまり形式ばったりしないんです」
「そうでしょうとも。構いませんよ、どうぞお掛けください」
月明かりの下、率直に物怖じすることなく私を見つめながら、彼女は私のそばに腰を下ろし、こう続けた。
「あなたは当家の親戚でいらっしゃるし、私もそうです。縁続きのよしみでもなければ言えないようなことを申しあげるかと思いますけれど。ルフランクさん、あなたがここに来てくださって私、本当にうれしいんです。でもそれはあなたの思いもよらない理由があるからなんです」
「ミス・コールブルック、どんな理由があるにせよ、そう言ってもらえて光栄ですよ」
こちらの返答を気にも留めず、彼女は頭にある一連の考えをずっと追っていた。
「あなたが、この不幸な家で何かしら良い影響をおよぼしてくださると思うからですわ」なおも真剣なまなざしをこちらに向けたまま、そう先を続けた。「モルウィック農場には、愛もなければ信頼も平和もありません。ここの人たちには誰かが必要なんです。アンブローズは別ですわ、彼のことを悪く思わないでください。考えが足りないだけなんです。ですが、ほかの人たちには、自分たちの薄情さや、あの恐ろしい、不誠実で、嫉妬深いやり方を恥ずかしく思わせてくれる人がいないんですわ。あなたは紳士でいらっしゃるから、彼らよりよく物がわかっておいでです。あの人たちだけではどうにもなりません。あなたのような方を尊敬するようでなくてはだめなんです。お願いです、ルフランクさん、時機をみて、どうか互いに仲直りするように仕向けてください。お聞きになったでしょう、晩餐の席の成り行きを。うんざりされてた。ええ、そうですわ、あなたはうんざりしてらした! ひとり顔をしかめてらっしゃるところを見ましたもの。そしてそれがあなた方英国人にどんな意味を持つものか、存じてましてよ」




























