藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 第8回
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読者参加を歓迎する【この質問に答える】も設けています。
当該個所の質問だけでなくどしどしご意見を寄せてください。
なお、“The Dead Alive”の原文は【text:05】をクリックすると現われます。
■原文を一読して、はっと響いてくる訳文は?
「訳文」とまではいわなくても、英文を読んでいるうちに頭の中で日本語が(自分の訳文)がうなり出してくることがないですか?【この質問に答える】 今回の冒頭など、これが新しい章の始まりだという理解も含めて、見ただけで日本語が聞こえてくるはずです。
――こうして到着するやいなや、わたしはミドウクロフト氏の前に案内された。
――わたしが到着するとすぐその足で、家長のミスター・ミドウクロフトに紹介された。
――農場につくとすぐさま、ぼくは父親のミスター・ミドウクロフトに引き合わされた
上の例ではいずれも訳文に問題がありますが、on+名詞arriveとか、I was presented to~ の決まり文句で、とくに翻訳を考えなくても日本語が流れてくるでしょう。これがさらに先に行って、
then I was permitted to go upstairs, and unpack my portmanteau in my own room.
という文章になると、
「そうなんだ、このpermittedを“許した”と訳すのは素人だぞ、“~することができた”としなければ」
などと思いませんか。【この質問に答える】もちろん他の箇所でも、反射的に訳語・訳文が飛び出てくるところがあるはずです。翻訳はこうした「瞬間的な英和対応語句の反応」を鍛えていくことでもあります。だれにでも得手、不得手のあるように、「会話」だったら外国語に抜群の反射能力があっても、「翻訳」となるとまったく鈍くなってしまう人がいます。そのままでおくわけにはいきません。翻訳者であるなら、「読み・解き・訳す」の稽古なのですが、今回はどうでしょう、受験英語で学んだ語句や構文をパッパッと思い出しながら、しばらくは青春時代に戻ってみては。
上のような反射能力はスポーツと同じで、日ごろの「練習・稽古」の量と質が問われるものです。意識しないで身体が動く。同じように翻訳でも、意識しないで言葉が流れてくるはずです。それが十分に流れてくるかそうでないかは、日ごろの鍛錬ですね。少し教訓めいたことをいうと、
■語彙の増殖、英作文は翻訳の基礎能力、パンのようにぼろぼろ
- 目にする言葉、耳にする言葉をしっかり捉える。ラジオ、TV、スポーツ新聞、夕刊紙、週刊誌を小ばかにしてはいけない。語彙の増殖。
- 覚えようと努力するより、忘れるのをおそれるより、性懲りもなく反復練習をする。多読、乱読。体に覚えこませる。目の前にある情景・事物を、英語では何というか迷う、いく通りか訳文を書く。英作文は翻訳の基礎能力。翻訳はまず書くことから。
- 気に入った読み物・辞書であれば、小口(本の背の部分以外の三方。背と反対の切断部)が「パンのようにぼろぼろ」になるまで読み尽くす(使い尽くす)。
となるかな。論理が飛躍しているかもしれませんが、ときどき思い出してください。
今回は第2章に入りますね。はるばる訪れてきたアメリカの農場、そこにどういう人たちが暮らしているのか、アメリカ娘のナオミはどういう様子の娘さんなのか。冤罪事件といっていたが、この章で何か事件が起こるのか? 興味津々ですね。
text:
Chapter II
The New Faces
IMMEDIATELY on my arrival, I was presented to Mr. Meadowcroft, the father.
The old man had become a confirmed invalid, confined by chronic rheumatism to his chair. He received me kindly, and a little wearily as well.
The New Faces:これをカタカナ語にすると変ですね。「ニューフェイス」だと新人、それも映画の女優さんをいうことばになりますね。(女優というカテゴリーの俳優さんが消えてしまい、この言葉も現代語ではないな。「ニューハーフ」なんて新種のタレントさんが登場しているけど。)章の題名ですからしっかりと考えてから訳したいですね。ぼくの頭に瞬間的に浮かんだ言葉は「新しい家族」。ビュシーノさんは「新しい顔ぶれ」。これも悪くはない。でもどうかな、親戚を訪ねてきたんですね。「顔ぶれ」だと、寄せ集めの連中という感じにならないかな。
Immediately on my arrival, I was presented to~:これこそ反射的に「~するやいなや」が飛び出すでしょう。受験英語です。ここで辞書を引いて、それもarrivalで引いて「着き次第」という成句に出会って悩むことのないように。わざわざそんなこといって、くだらない!と叱られそうですが、どの単語で辞書を引くかは大問題です。瞬間的に正しく辞書を使っているなら、それは「鍛練の賜物」ですね。ここではon+名詞ですが、on +-ing もありますね。お浚いしておきます。ついでに、be presented toは他動詞の受動形、「紹介された」。
■the father、父親、老父、老人、家長
the father: 「父親」でいいのですが、さて、とここで迷わなければ。鉄道駅まで出迎えに来てくれたアンブローズの父親、一家の主、農場主。それにこの一家には小さな子供がいない。成年の男どもがいて、母親がいない。女っ気はオールドミスの娘だけだったが、そこに親を亡くした親戚のナオミというアメリカ娘が移ってきた――という状況です。「家長」という言葉もいいのではないかな? そう悩みませんか?【この質問に答える】
The old man had become a confirmed invalid, confined by chronic rheumatism to his chair. :上の「父親」がThe old manになっています。言葉どおりに「老人」「年老いた男性」にしてもいいのでしょうが、それじゃ芸がない。ビュシーノさんが「メドウクロフト老」とやっているけど、これは名訳。以下を追うと、
――老人は長患いで、慢性の(持病の)リウマチによって自分の椅子に閉じ込められていた。
confinedは分詞構文のbeingが省略されています。「~によって監禁されていた」となりますが、「監禁」はおかしい。ここでは「~で椅子に坐ったままだった」。動詞confineは「産褥につく」という古い言葉の「つく」ですね。漢字で書くと「着く」。
He received me kindly, and a little wearily as well. :彼はわたしをやさしく迎え入れた。そしておまけに少し疲れてみえた。wearyは「疲れはてた:うんざりした」ですが、ここは素直に「疲れている」と読みます。翻訳でないなら、ここは似た響きの形容詞をもってきて、「だいぶやつれて見える」としたいところ。この方がなんだか「文学的」に聞こえませんか。でも、正確な意味合いはどうでしょう。「疲れた」だと、日ごろの生活に疲れた、闘病生活に疲れた。一方「やつれた」は容姿や服装がみすぼらしくなる、やせ衰える、心配顔をしている、となります。ご老体は、遠くイングランドから親戚の若者が訪ねてきてくれたというのにこのざまだ、椅子から離れられない生活で、ほとほと疲れきっている、だが、せっかくの客人だ、ここは元気を出さなければ、とでも思ったのでしょうね。副詞句as well.を訳し忘れないように。
眠り姫訳:
第2章 新しい家族
到着してすぐに、私は彼の父のメドウクロフト氏へ紹介していただいた。この年老いた男性は長わずらいの病人で、長期にわたるリュウマチのせいで肘掛け椅子に座ったまま過ごしていました。彼は私をすこし疲れたようすで、やさしく迎えました。
「新しい家族」はいい。気になるのは「紹介していただいた」という丁寧表現。これはおかしいよ。謙譲語、丁寧語、敬語、などの用い方は難しいけど、この講座でしっかりと書きますね。なお、去年の講座『ミスター・リズモアと未亡人』で、動詞「すわる」の漢字を「座る」「坐る」のどちらにしようかと書いた覚えがあるけど(動詞では、坐る。名詞では、座)、眠り姫さん、読んでくれなかったのかな。翻訳で稼ごうというなら「用字用語」への注意は人一倍でなければならない。
「椅子に拘束されていた」を「椅子に坐ったまま過ごす」と言い換えたのはよかった。「長わずらいの病人で、長期にわたるリュウマチのせいで」はどうかな? 「長い」が繰り返されている。
「彼は私をすこし疲れたようすで、やさしく迎えました」。これはどうだろう? 「やさしく迎える」のに、わざわざ「疲れた様子」を見せるかしら。違うな。コリンズもそうは書いていない。
ビュシーノ訳:
第2章 新しい顔ぶれ
到着するとすぐにアンブローズの父親のもとに案内された。メドウクロフト老は持病となっているリウマチのために車椅子の生活を送っていた。彼は私をあたたかく迎えてくれたが、少し物憂げでもあった。
冒頭の一句、原文ではImmediatelyですね。すこし息の上がった、緊張感のある叙述がいい。ついでに、「リウマチのために」も「リウマチで」としたらもっといい。「物憂げ」は考えすぎ。
■人の一生は……
text:
His only unmarried daughter (he had long since been left a widower) was in the room, in attendance on her father. She was a melancholy , middle-aged woman, without visible attractions of any sort―one of those persons who appear to accept the obligation of living under protest, as a burden which they would never have consented to bear if they had only been consulted first.
このパラグラフで、一読、響いてきたぞ! というなら合格だな。後半の三つの文章で、次のような発想があったかな。もちろんこれは藤岡の発想で、まったくちがった名発想があるでしょうが、いずれにしても、一読でしっかりした訳文が浮かんでこなければ。
――部屋には未婚の娘さんがいて、ずいぶん以前に亡くなった母親の代わりに、父親の面倒を見ていた。
――この一人娘は見たところこれといって魅力のない、かなりの年のいった陰気な人だった。
――いやいやながらこの世の義理を果たしているといったタイプの人で、生きていくのが重荷、もしこの荷を担ぐかどうかをはなから問われていたならもちろんお断りしていただろう。
if they had only been consulted first.: この第3文でいっていることは、「この世に生まれてくると大変な重荷を背負うことになるが、どうだい? 生まれてくるかい、それとも……」という意味ですね。お座敷唄かな、「いやならいやと最初から」というフレーズがあるけど、この「最初から聞いてくれればいいのに」の発想です。
he had long since been left a widower:「彼は(父親は)ずいぶんと長い間、寡夫のままだった」となりますが、これでは面白くない。パーレンで括っていますが、翻訳では無視、挿入節として訳します。(原文重視で翻訳しても、小説は縦組みですね、記号も違います。コロンやセミコロンを文中に残したまま翻訳して、それを編集者がそのまま縦組みにして出版した本がままあります。これは翻訳以前の、言葉のセンスの問題ですね)。
眠り姫訳:
彼は自分の妻に長い間かまってやれず、彼の独身の娘だけがその父に付き添って部屋の中にいました。その娘はふさぎこんでいる中年の女性で、もしはじめに相談してくれさえすれば、決してかかえようとしなかった重荷のように、保護のもとで暮らすという義務を受け入れているような、ある種のあきらかな魅力のない女性だったのです。
ビューシノ訳:
妻を早くに亡くしており、独身のままでいる一人娘が部屋にいて、父親の面倒を見ていた。彼女は見たところ魅力のひとかけらもない暗い感じの中年女で、日々の生活を、自分の意思 とは関係なくしょいこまされた重荷のように感じ、うんざりしながら生きている種類の人間に見えた。
text:
We three had a dreary little interview in a parlor of bare walls; and then I was permitted to go upstairs, and unpack my portmanteau in my own room.
"Supper will be at nine o'clock, sir," said Miss Meadowcroft.
She pronounced those words as if "supper" was a form of domestic offense, habitually committed by the men, and endured by the women. I followed the groom up to my room, not over-well pleased with my first experience of the farm.
a parlor of bare walls:現代作家ならこうした情景描写をしないでしょうね。居間の壁が「裸の壁」である、というのが珍しくなっている時代の話ですね。サイドボードや飾り棚があって、絵画や置物が飾られている、この家の主婦の心映えがしのばれる、なんと見事な今ではないか! といいたいのに、主婦が亡くなっていたのですね。残ったのは不細工な娘さん、困ったな。
眠り姫訳:
私達三人は飾りのない壁でつくられている客間で退屈な話をすこしし、それから私は二階へあがり、自分のへやで旅行かばんを開けることを許されました。
「夕食は九時からですよ」とメドウクロフト氏の娘は告げました。
彼女はあたかも「夕食」が習慣的に男性が託し、女性が我慢をするという家庭の雰囲気を悪くすることのようにその言葉を言いました。私は自分のへやまで若い男のあとについて行き、農場での最初の経験をとくべつに喜んでいませんでした。
ビュシーノ訳:
壁がむき出しの居間で我々三人は退屈な会話を少しの間交わしていたが、やがて二階の自分の部屋へ行き旅の荷物をといたらどうかという許しが出た。
「夕食の時間は九時ですよ。」と、メドウクロフト嬢は言った。
彼女の言い方を聞くと「夕食」とは、家庭内で男達に日々強いられ、女達が耐え忍んでいる虐待の一種ではないかと思えた。農場での最初の出来事にやや気落ちしながら、私は馬丁のあとについて部屋に向かう階段を上っていった。
藤岡訳:
第二章 新しい家族
到着すると、すぐさま父親のミスター・ミドウクロフトのところに案内された。老人は長いことリウマチを患っていて、椅子に坐ったままだった。わたしをやさしく出迎えてくれたが、どこか疲れた様子があった。部屋には未婚の娘さんがいて、ずいぶん以前に亡くなった母親の代わりに、父親の面倒を見ていた。この一人娘は見たところこれといって魅力のない、かなりの年のいった陰気な人だった。いやいやながらこの世の義理を果たしているといったタイプの人で、生きていくのが重荷で、もしこの荷を担ぐかどうかを最初から問われていたならもちろんお断りしていたことだろう。壁になんの飾りもない居間であっさりと挨拶をしてから、どうにか二階に上がり自分の部屋で荷をとくことになった。
「夕食は九時になりますよ」とミス・ミドウクロフトがいった。
彼女の言う、この「夕食」とい言葉が、常習的に男たちが家庭で犯している犯罪ででもあるかのかのように、そして女たちがそれにじっと耐えているかのように聞こえた。下男が部屋に案内した。どうやらわたしの農場初体験は芳しいものではないようだった。
ビュシーノさんの自問自答
第7回、第8回とも英語で読むとそれほど難しくないのに、自然な日本語しようとすると手ごわい文がたくさんあり、楽しませてもらいました。(自虐的なわれに苦しみを与えたまえ的な楽しみですが)
一番悩んだのがburden、ほんとにお荷物でした
one of those persons who appear to accept the obligation of living under protest, as a burden which they would never have consented to bear if they had only been conculted first.
この文脈の通りに訳すと、原文を読んでいる私には良く分かるのですが、原文を知らない人に読んでもらうと「?」と言われてしまいます。でも、作者がburdenをこんなに丁寧に説明しているのに私がコンパクトにまとめてしまってよいものなのでしょうか?
眠り姫さんの自問自答
一回、一回、精一杯頑張っているのですが、まだまだ勉強不足で誤訳をしております。前回、講座の中で教えていただきました辞書『リーダース』と『リーダース・プラス』を購入したこともあり、これからはもっと辞書をよく見て考えて、少なくとも、誤訳だけはしないように頑張りたいと思っております。
「アンブローズ」を「アンボワーズ」と勝手にフランス人名にしてしまい、自分でもびっくり!してしまいました。先生の解説で、「大草原の小さな家」に関する記述がありましたが、楽しく読ませていただきました。
関連する写真を載せていただくのも、原文が理解しやすくなり勉強になりました。昨年の講座“Mr.Lismore and the widow”でも綺麗な絵が載せられており、当時のイギリスの様子がとてもよくわかり面白く感じたのを覚えております。
■「女の子」はセクハラ?
ところで、「女、女性、女の子」の表現ですが、わたしは「女性」とするのが一番いいのかな、と思っております。ただ、その作品の雰囲気にもよると思います。ナオミのことをwomanではなくてgirlと書かれてあり、「女の子」と私は訳してしまったのですが、「キャバクラの女の子」という響きがありますね。あやふやな記憶なのですが、以前、勤めていた会社でセクハラ防止対策委員会が設置されていて、ときどき配布物があったのですが、そこに確か、「女の子」という呼び方はセクハラ発言で、「女性」と呼びましょう!と書かれてあった記憶があります。
新しい提案です!!
本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦していこうと 考えています。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」は当然ですが、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新 しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでく れ」と希望されれば、藤岡啓介が原文・翻訳を読みます。よかったら(あるいは何回か改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。版権がない英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイが対象作品。【この提案を真剣に考える】


























