藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 第6回
このコメントは一覧表で本文とは別に印刷できます。
読者参加を歓迎する【この質問に答える】も設けています。
当該個所の質問だけでなくどしどしご意見を寄せてください。
なお、“The Dead Alive”の原文は【text:05】をクリックすると現われます。
text:05
ビュシーノ訳:
「最高に良いタイミングですよ」と、彼は言った。「我が家がこんなに陽気だったことはこれまでなかったですからね」
「どなたかお客様がいらしているのかな?」
「正確には客じゃないですね。一緒に暮らすことになった新しい家族ですよ」
「ほう、新しい家族!誰なのか聞いてもいいですか?」
アンブローズ・メドウクロフトは答える前に思いをめぐらせている様子で、馬を鞭で触り、おずおずとためらいながら私を見たが、突然、あきれるほどあからさまに、心のうちを口にした。
「あんな好い子はどこをさがしたっていませんよ」
「これは、これは!お姉さんの友達か何かですか?」
「友達?なんでまた!アメリカ人の従妹のナオミ・コールブルックですよ」
眠り姫訳:
「ルフランクさんは良い時期を選んでいるはずがないよ。だって今、僕達の家はぜんぜん明るい雰囲気じゃないんです」
「アンブローズ君達と一緒に住んでいるお客さんが誰かいるのですか?」
「正確にはお客さんじゃないんだ。僕達と一緒に暮らすようになった家族の新しい一員なんですよ」
「家族の新しい一員!それが誰なのか尋ねてもいいかな?」
アンブローズ・メドウクロフトは返事をする前によく考え、鞭で馬を軽く叩き、いくぶんおどおどしてためらいながら僕を見た。そして突然、できるだけはっきりと本音を切り出した。
「最高に楽しい女の子なんですよ。ルフランクさんは今までに出会っているはずです」
「ああっ!君の妹の友達なのかな?」
「友達?えっ!アメリカ人の若いいとこのナオミ・コールブルックですよ」
はるか昔に、メドウクロフト氏の妹が、アメリカ人の商人と結婚していたこと、そして数年後に、たった一人の子供を残して亡くなっていたことを私はぼんやりと思い出していた。今、おまけにその父親もまた亡くなっていたことを知らされたのである。父親は最期のときに、自分の無力の娘を、モルウィック農場にいる慈悲深い妻の親戚のもとに委ねたのでした。
仮定法過去は、まわりくどく、気取った言い回し?
"You couldn't have chosen a better time," he said. "Our house has never been so cheerful as it is now.":受験生が「ほいきた」と喜ぶ「仮定法過去形」が使われています。現代英語ではこうした語法の頻度がどれほどあるか分かりませんが、コリンズが小説を書いていた十九世紀の半ばには、教育、それも英語教育の必要性が高まり、文法・発音・綴り法も固まってきて、作家は国語を駆使する第一人者であったのですね。
さて、仮定法過去は「現在でも未来でも、ほんとうは実現の可能性がない(実現が難しい)願望を、現在の事実に反対の仮定を表わす文型」です。願望は叶えられず、仮定は否定されます。
この文章では、「我が家がもっと素晴らしいときにあなたがきたとしたら」という「仮定」が否定されていて、「我が家に、今よりももっと素晴らしい日々があるとは考えられない。だから、あなたが我が家に滞在する時期を、そうした素晴らしい時期に選ぶことはできない」という意味になります。もってまわった言い回しになりました。
少し詰めてみると、
――もしもあなたが、現在よりももっといい時期を選んだとしたなら、わたしの家庭は現在ほど、それほど楽しくはなかった。
こうなりますが、文章のロジックがすぐには理解できません。もう少し砕いてみると、
――あなたがうちに滞在するとしたら、今がいちばんすばらしいときなんですよ。これほどいい時期はありません。
翻訳する本の読者対象が低学年だったら、上のようにすると分かりやすくなります。いや、一般読者を対象としても、この方が無理のない日本語の発想ですね。
ごてごてと書いてきましたが、私たちが学ぶ英文法は言語体系がまったく異なる言語の文法なのですね。仮定法過去という文型は、「まわりくどく、気取った言い回しを楽しんでいる、物書き独特のひけらかし、自己陶酔じゃないか」と言えそうです。叱られるかな?
眠り姫の自問自答
ところで、眠り姫から仮定法過去の箇所での自問自答があったので紹介します。ぼくの文章理解力が落ちているのか、せっかくの自問自答がよく分かりません。なんとか言葉を補ったり削ったりして以下に掲げます。(こんなこと書かなかった、と姫に叱られるかも)
――ルフランクさんはよい時期を選んでいるはずがないよ。だって今、僕達の家はぜんぜん明るい雰囲気じゃないんです。
と訳してしまいましたが、どうしてこうなったか、自分なりに整理してみました。
少し先になりますが、本講座のtext:11の中で、
In the atmosphere of smoldering enmities at Morwick farm,.......... The only cheerful Conversation was the conversation across the table between Naomi and me.
と書かれています。Mr. Jagoという男がいて、アンブローズをはじめとする他の家族とは仲が悪く、このJagoにナイフで切りつけられた人もいます。ナオミもjagoのことをとても嫌っています。こういう良い雰囲気ではない家の中で、唯一、ナオミだけが明るく感じが良かったので、ナオミは家のムードメーカーになっている、と考えました。明るい雰囲気ではないのです。
日本語の良し悪しは別として、これでいいのではないかと思いました。
「仮定法過去」が理解できていないのかもしれませんが、『ジー二アス英和』で、
仮定法[S could have done][ifの帰結節として]もし……であったなら……できたろうに
と書かれてありました。
文法書でも用例として、(1)現在の事実に反対の仮定、(2)現在または未来についての仮定があげられており、(1)と(2)では逆の意味になるのかなと思ったのですが、自分なりの文脈からの解釈でこのように訳してしまいました。
アンブローズの顔がぱっと明るくなったというのは、「家の中は暗いけれど、大好きなナオミって言うとても明るいいい女の子がいるんだ!」と思い出して明るくなった。と理解すべきですか、あるいは、(1)の用例にあてはめて、家が暗い雰囲気なので、ルフランクさんが来てくれて良かった!という意味で、「ルフランクさんは結構いい時期を選んでこられましたよ」と訳せばいいのでしょうか?
すでに本稿のぼくの解説で、眠り姫の問い掛けに答えていると思いますが、ご本人を含めて質問・意見・感想をお待ちしています。【この質問に答える】
ここで初等英文法についての余談を
もう文法は卒業した、辞書は使うけど文法書はどこかに消えてしまった、改めて二重否定も分詞構文も仮定法過去もないだろう。そんなことよりもstoneが重量単位であるのを知らなかった、keepが「天守閣」なんだってね、しっかり対応語を調べなければ――こういって、皆さん、ベテランになっても、語彙では苦労しているけど、意外と「文法的に」という考えを捨てています。というか、「英文法は身についている」と思っているのでしょうね。
本誌の斎藤静代さんの「翻訳勝ち抜き道場」に現れる応募訳をみていて、「あれっ、分詞構文なのに、忘れているのかな」というような訳例が目に入ってきます。文法を講釈するのが目的の講座ではないので、斎藤さん、困っているだろうな、とはたから同情しています。
英文学の大家の先生が「ときには初級クラスの英和・和英辞書を使いますよ」と言われています。たとえば研究社の『ライトハウス英和辞典』、これには巻末に「文法解説」があって初等英文法の確認ができます。もう書店の店頭にはないかもしれませんが『ライトハウス英和を10倍楽しむ法』のシリーズもあります。
英和辞書でも、ほとんどの翻訳者は『リーダーズ』『英辞郎』を使い、あとはネットで調べる、という様子ですが、CD版にならない(したがってネットで使えない)辞書があります。
なかでも『講談社英和中辞典』は素晴らしい辞書です。言語学者で言語学やフランス文学の翻訳が数多くある川本茂雄先生が編集方針を定め、記事を書かれて『講談社ニューワールド英和辞典』(1969)が誕生、1983年に先生は亡くなられたのですが、岡田秀穂さんたちがこれを全面的に増補改訂して1997年に出版された英和辞書です。内容も初版の「機能語」の記事、他動詞の訳語に「格助詞」を示すなどの新機軸を踏襲していて素晴らしいのですが、付録になっている「文法要説」がすごい。いまでも御厄介になっています。ぼくの経験ではこの付録だけあれば、翻訳上の文法問題は解決するはずです。手元にあるのは1995年第2刷ですが、だいぶ製本もくずれてきたので、最近、あちこちを探して新刊書で購入しました(紀伊国屋さんの在庫でした。版元が在庫切れですから、書店の店頭で探した方がいいですね)。1999年の第3刷でした(3107円)。当面は使わずに飾っておきます。川本先生には『ことばとこころ』『ことばの色彩』(岩波新書)『ことばについて考える』(対談集、講談社学術文庫)の啓蒙書があります。
いけませんね。こうした話になるときりがありません。次回の11月4日掲載予定の「番外 その2」でいくつか名著を取り上げます。「読んでおかなければ翻訳者じゃない!!」という本を紹介します。
さてテキストです、会話文ですよ
text:
"Have you any visitors staying with you?"
"It's not exactly a visitor. It's a new member of the family who has come to live with us."
"A new member of the family! May I ask who it is?":
visitors:訪問者たち、ここでは「滞在するお客さん」ですね。農場を訪れる話ですから、すぐ帰るようなお客さんではありません。そう思えば、次にくるnot exactly a visitorが生きてきます。アンブローズの答えで、滞在者が一人であることが分かるのですが、これを自然に訳すのは大変ですね。ぼくは「お客さんといえるかどうか」として、大勢の客ではない、という様子を伝えようとしましたが、さてうまく伝わったかな。
アンブローズはナオミのことを思ってだんだんと興奮していき、口調も乱れて(親しくなって)いきます。一方「わたし」の方はまだ打ち解けません。そうした行間にある意味を読み取って、会話の調子を整えていきます。
「お宅に、だれかお客さんが来ているのですか?」
「お客さんといえるかどうか。最近いっしょに暮らすことになった、新しい家族の一員とでもいうのかな」
「新しい家族の一員ですって! それは一体だれなんです?」
text:
Ambrose Meadowcroft considered before he replied; touched his horse with the whip; looked at me with a certain sheepish hesitation; and suddenly burst out with the truth, in the plainest possible words: セミコロンで四つの文章をつないでいます。コリンズお得意の文体ですね。どちらかといえば、たたみかけるような調子で訳すといいでしょう。
suddenly burst out with the truth,:突然真実をぶちまけた。
in the plainest possible words:もっとも、可能な限り平明な言葉で。
――すぐには答えず、アンブローズはなにやら思案しているようで、馬にムチをやったり、はにかんで言い淀んだかと思うと、いきなり、率直この上ないという調子で打ち明けてきた。
sister、cousinが出てきた!!
text:
"It's just the nicest girl, sir, you ever saw in your life."
"Ay, ay! A friend of your sister's, I suppose?"
"A friend? Bless your heart! it's our little American cousin, Naomi Colebrook.":
A friend of your sister'sと出てきて、翻訳者はぞっとします。姉だろうか、妹だろうか。これだけは先を読まなければ分かりません。眠り姫さんは「妹」、ビュシーノさんは「姉」、ぼくも「姉」、さてどうなりますか。いずれにしても欧米の家族では姉、妹と生まれた順序を含む呼称で呼びません。といって翻訳でただ「姉妹」「兄弟」とするのも変です。最後は翻訳者も独断ということもありそうですね。
our little American cousin:「いとこ」か「従姉妹」「従姉、従妹」か、これも迷います。「うちのかわいいアメリカ人のいとこ」と訳すのが無難ですが、つぎのtext: 06に出てきますが、アンブローズの家族は自分たちはイギリス人で、ナオミはアメリカ人であると考えています。少し先取りですが、ここでは、ナオミを「アメリカ娘」としたらどうかな。
「ものすごく素敵な女の子で、あんただって、きっとびっくり仰天だな」
「おやまあ。それじゃ、きみの姉さんの友達かな?」
「友達? とんでもない! うちのかわいい従妹ですよ、アメリカ娘、ナオミ・コールブルックですよ」
text: I vaguely remembered that a younger sister of Mr. Meadowcroft's had married an American merchant in the remote past, and had died many years since, leaving an only child. :そういえば、ずいぶんと大昔の話だが、叔父メドウクロフトの妹さんがアメリカ人の商人と結婚していたのだが、かなり以前に子供を一人残して亡くなった、ときいていた。
I vaguely remembered that……とありますが、つぎの文も同じthat節のある構文ですね。これを正直にthat節の方から訳してくると、まわりくどくなります。ビュシーノさんは、
随分昔の出来事だが……
それからの事情は今知ったのだが……
と、小説らしい発想で訳しています。眠り姫さんはまだ「翻訳だから症候群」から脱していないな。
訳語に困れば和英辞書も
text:
I was now further informed that the father also was dead. In his last moments he had committed his helpless daughter to the compassionate care of his wife's relations at Morwick. :
helpless:眠り姫さんは「無力の」としたけど、英和辞書ではふつう「助けのない、どうすることもできない」が目に入るはず。考えがあって「無力の」にしたのだろうか?ここで、面白いから和英で「無力の」を見てごらんなさい。forceless、incapableと出ているけどhelplessはないでしょう。ここでいうhelpは「援助」ですね。「だれも助けてくれない」「ここにも頼れる人がいない」という意味です。もし、この訳語で大丈夫かな?と迷ったら、和英で調べることも大切です。ここは、
――父親も死んでしまったという話は今知ったのだが、父親は今際のきわに、他に頼るところのない娘のことを、このモルウィックにいる亡き妻の親戚にくれぐれもよろしくと託したのだろう。
と訳したいところ。
辞書にのっていない訳語を使っているから?
最近買ったチェーホフ、神西清訳『カシタンカ・ねむい』(岩波文庫)が面白い。チェーホフも面白いし神西訳が素晴らしい。でも、巻末にある「解説」がとくに面白い。ロシア文学者の湯浅芳子さんが神西さんに「あなたの翻訳は辞書にのっていない訳語を使っているから正確でない」といったとあります(川端香男里さんの解説より)。湯浅さんの使う辞書は八杉貞利先生の「岩波露和辞典」で、神西さんはこの辞書の編纂者の一人だし、執筆者でもあります。このエピソード、いろいろと考えさせられますね。湯浅さんの無知もひどいけど、辞書にある訳語で翻訳しなければいけないとは、これは、翻訳を知らない人の言葉のようです。湯浅さん、チェーホフだけじゃない、難文のゴーゴリも訳している人なのに。
つい、脱線しました。
藤岡訳:
「いつが好都合かっていえば、今が最高ですよ。今まで、これほど愉快にやっていたことがないんだから」
「お宅に、だれかお客さんが来ているのですか?」
「お客さんといえるかどうか。最近いっしょに暮らすことになった、新しい家族の一員とでもいうのかな」
「新しい家族の一員ですって! それは一体だれなんです?」
すぐには答えず、アンブローズはなにやら思案しているようで、馬にムチをやったり、はにかんで言い淀んだかと思うと、いきなり、率直この上ないという調子で打ち明けてきた。
「ものすごく素敵な女の子で、あんただって、きっとびっくり仰天だ」
「おやまあ。それじゃ、きみの姉さんの友達かな?」
「友達? とんでもない! うちのかわいい従妹ですよ、アメリカ娘、ナオミ・コールブルックですよ」
そういえば、ずいぶんと大昔の話だが、叔父メドウクロフトの妹さんがアメリカ人の商人と結婚していたのだが、かなり以前に子供を一人残して亡くなった、ときいていた。父親も死んでしまったという話は今知ったのだが、父親は今際のきわに、他に頼るところのない娘ナオミのことを、このモルウィックにいる亡き妻の親戚にくれぐれもよろしくと託したのだろう。
新しい提案です!!
本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦していこうと 考えています。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」は当然ですが、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新 しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでく れ」と希望されれば、藤岡啓介が原文・翻訳を読みます。よかったら(あるいは何回か改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿 料・翻訳料をもらった経験のない人)。版権がない英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイが対象作品。【この提案を真剣に考える】


























