入門翻訳勝ち抜き道場

翻訳玉手箱

藤岡啓介の翻訳玉手箱
公開講座 プロになるぞ!! 
最終回

藤岡啓介
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もう3000頁になったかな?

自分で自分の書きものに名前を振るなんてこっぱずかしい、でも、こうして自分の名前を冠にすると、やらねばならない、という責任感で気生い立ち、知恵を絞って書き続けます。それがこの『WEBマガジン 出版翻訳』を創刊して以来、講座と番外と巻頭エッセー、出版翻訳企画書解説などで、正確には数えていませんが、6年間で書籍にすれば3000頁くらいは書いてきたでしょうか。好きなんだな、講釈することが、書くことが、翻訳することが。

ところで、「名前を出す」ということの意味を分かってもらえるかな。皆さんが出版翻訳に挑んでいるのは、「自分の名前で1冊の本を翻訳し出版してもらう」とこですね。まさに「名を残す」ために勉強しているのですね。公開講座として全4期、今期のカルメンさん赤いくつさんを合わせて、これまでに8人の方に参加してもらいました。以下、実名でコメントします。もうハンドル・ネームなんて気取っちゃいけない。(二人ほど、一人は別の道に、一人は仕事で自立かな、ぼくから離れています)

桜井則子さんがいましたね。彼女は今トロロープの『自伝』に取り組んでいます。出版になるまで頑張れるかどうか、名のある作家の大作ですが、桜井さんだったら仕留められるのではないかな。エッセーも上手い、写真もいいや。

有吉奈津子さん、「元気だけではだめ」、ぼくにこういわれて叱られていてもくじけないからすごいや。きっとコリンズの短篇で芽を出すだろうな。個性を出すのはいいけど、翻訳が「個性的」といわれるにはまだ若い。野球でいえば千本ノックが必要だな。

牛原真弓さん、斎藤克美さん、この二人はもうできている、これからは翻訳の環境づくりかな。

といってきて、さて、赤いくつさん、カルメンさんだ。

二人の翻訳には、気づかない誤訳や不適切訳が見られるけど、それはまだぼくとの付き合いが浅いからかな(桜井さんとは講座だけでなく、トロロープでみっちり勉強しました)。

翻訳者がいくら英語が出来るといっても、高が知れています。お腹の中で英語を聞いていたネイティヴの言葉を外国語で育った者が同じように理解できるはずはないでしょう。もし、日本人のぼくの文章を読んで「分かるよ」という外人さんがいたら気持ち悪い。ぼくが「言外に」言っていることまでわかるとしたら化け物だ。少なくとも彼らには気づかれないように(絶対に理解できない言い回しを潜めて)文章を書いているのですから。もの書きは「外国語に翻訳できない」といわれるような文章を書くのを誇りとします(詩人のつもりですね)。外国人にすっかり理解されるなんて恥ずかしいことだ、と考えているはずです。

だから、赤いくつさん、カルメンさん、安心してください。誤訳・不適切訳は、あってはならないけど、だんだんに少なくなっていくはずです。ここでいいたいのは、英語の勉強ではありません。

1.小説を読む―― 自分が狙う翻訳のジャンルがフィクションだろうとノンフィクションだろうと、あなたの翻訳がまず評価されるのは文章力です。一流作家の書く文章を感得する力を養います。小説は「人間の魂のあり方」を問うています。あなたの感性が鋭くなり、日本の小説であろうと、英語もの、翻訳ものであろうと、泣く、笑う、震える、猛る、狂う、怯える、あらゆる感覚に関する動詞を総動員できるまで読書に浸ります。それ以外に「いい文章を書く、いい翻訳をする」方法はないでしょう。

2.動く―― 起きる、洗う、食べる、歩く、走る、移動する、働く、休む、寝る、夢を見る……あなたの一日は動詞です。この動詞をどうするか。オグデンが開発した国際補助語Basic English 850ではmay, willの助動詞を含めて「基本動詞」は18語ですが、あなたは何語の動詞で生活していますか? 「移動する」では「通勤する」「買い物する」「旅行する」もあります。物理的に身体を動かしていますか? 工業英語では基本動詞が247語(MIL規格)です。どうしてそんなに違うのか? 人間が18語の動詞で観察し考え工夫し、ものを作り始めて生まれた動詞が247語なのです。科学技術の新しい世界を創り出す動詞です。皆さんが通勤で目にする街の看板や電車のつり広告、食べ物屋の手書きのメニュー、それとなく耳にする他人の会話、すべてが翻訳の「種」です。言葉を大切にする一日を過ごせるように!

3.好奇心―― 当然ですね。翻訳をするのは好奇心があってのことです。それも人一倍たくましい好奇心です。たしか2年前でしたが、「洋書の森」のパーティーで話したことがありますが、創作でも翻訳でも、好奇心あふれた精神活動がなければいい仕事が生まれません。気になることがあれば何年でも暖めておく、きっと何か解答が得られるはずです。

しつこく追い求めます。自分のことになりますが、今年の4月から財団法人日本出版クラブの主催で「藤岡啓介 出版翻訳プロの条件 6回連続セミナー」をやることになりました。その第4回で「名作読み直し翻訳講座」としてオー・ヘンリーの『賢者の贈りもの』を取り上げます。この作品だったら、皆さんの「読み直し」でもありますが、実は2005年にぼくの鎌倉翻訳勉強会で取り上げていました。このときの課題解題で自分の解釈に翻訳に、どこか釈然としないものが残っていました。改めて原書を買い、周辺知識を補い、既訳書を求めて「しつこく」読み直しています。上記のセミナーでそれがどのように解決したかお話しすることにしています。(この連続セミナーでは『クマのプーさん』の作者A.A.ミルンが書いた『サキ クローヴィス年代記 序文』を5回に分けて課題にしています。超難文ですが、10年目の、ぼくの読み直しです。)

単語の1語1語でもそうです。今回、巻頭エッセーで課題としたshaverについて別稿で解説しますが、これも、五十余年の昔、マルクスの『資本論』を読んだときからの疑問でした。「しつこく忘れない」が肝要です。

この講座で、お弟子さんたちの訳文に「要再考」「要改訳」「おかしいぞ」「?!」などなどいろいろとコメントをつけましたが、どうぞ「しつこく忘れない」でください。

赤いくつさん、カルメンさん、お二人を送りだす「贈る言葉」、講座を閉じるにあたっての「別れの言葉」がこのようになってしまいました。そうなのです、ぼくには「お別れの言葉」なんて書けない。淋しい。これはぼくの持論だけど、お互い、思いっきり生きているんだ、別れはない、どこかで会えるよ、声をかけようよ、みんなで笑って、みんなで……生命を実感していこうよ。

2011年1月25日

藤岡啓介記

左から、カルメンさん、赤いくつさん、藤岡先生。鎌倉・藤岡先生書斎にて
左から、カルメンさん、赤いくつさん、藤岡先生。鎌倉・藤岡先生書斎にて

付記:
『藤岡啓介 出版翻訳プロの条件 連続セミナー』については、財団法人日本出版クラブ事務局 杉山宛にお問い合わせを。

電話:03-3260-5271 E-メール:sugiyama@Shuppan-club.jp


番外

巻頭エッセー(11月1日号)の課題解題

巻頭エッセーでは、発明家アークライトの裁判を取り上げています。アークライトの発明した水力紡績機に使用料を払いたくない紡績業者が一団となって、発明にケチをつけて争った事件です。十五年前の発明までも、ケーのアイデアを盗んだものである、あるいは、職人ハイス(Highs or Hayes)が十六年前に発明したものである、と主張して証人まで揃えました。裁判に敗れたアークライトが裁判所を出て原告の男たちがたむろしている所を通るとき、中の一人が、聞こえよがしにいった。“Well, we've done the old shaver at last.”  聞いたアークライト、少しも騒がず、昂然と答えたという。“Never mind, I’ve a razor left that will shave you all.”

上に引用した会話を翻訳するのが課題ですが、キーワードは動詞shaverです。対応語は「剃り師」で床屋さんです。アークライトの前身が床屋の小僧で鬘師だったのでthe old shaverといったのだろうか?もしそうだとすればbarberでもいいではないか? と考えたのですが、このshaverは「剃り師、鬘師、金貸し、詐欺師、いかさま師、ペテン師」という語義があるのです。床屋は人の出入りが激しい。鬘も作るし、髪粉も売る。金貸しの真似もする。どこかインチキの匂いがしますね。したがって、翻訳ではどうしますか? マルクスが『資本論』でアークライトを例に挙げて機械工業時代の到来を論じたのが1860年代、この時代の雰囲気を伝えようとしてぼくは次のように訳しました。

――それみろ、あの剃り師上がりのペテン師奴、とうとうやっつけたぞ。
――ご心配無用、諸君を剃ってさしあげる剃刀は手元に残してござるよ

うききさん:

――ああ、やっとろくでなしのひげそり野郎を片付けたぞ。
――どうってことない。私にはまだ、諸君全員をそり落とすカミソリがある 。
藤岡コメント:

うまいや。でも、後半が重かったな。

モーモーさん:

――やれやれ、ついに詐欺師のじいさんをやっつけたぞ。なにしろ、散髪屋が髭を剃るように人から利益を奪ってたんだからな。
――ご心配なく。君たちみんなの髭を剃り落とすためのカミソリが、まだあるからね 。
藤岡コメント:

絵描きさんが作品を評価するとき「説明的だ」ということがあります。淋しい景色をさらに際立たせようとねぐらに帰るカラスを描き込むと、いわれますね。疑問の1語を調べ上げて、分かったことを全部を訳文にすると翻訳にならないな。

takashi 007さん:

shaverには、いろいろな意味がありますが、人の証券などを盗み、割引して儲ける、いわゆるペテン師というのがあります。この場合、アークライトの発明を、ケイの真似事だと言って、ケチをつけた周りの連中が、
「どうだい!老いぼれのペテン師野郎にやっと、ギュウ!といわしてやったぜ」
とまわりが言ったのに対し、アークライトは、
「なに、おれには、お前たちをアッと言わせてやる最後のきり札があるぜ!」

要するに、もう一度、皆を驚かせるような発明をしてやるぜ!と答えたと言うことだと思われます。相手たちが、shaverと言う言葉をつかったので、カークライトは、razor とひっかけたのでしょう。
藤岡コメント:

解説してもらっちゃった。「ギュウ!」はどうかな? 「最後の切り札」といわれても、周りの連中には凄みが伝わらない。

ネスさん:

――よし、とうとう、あのいまいましい髭剃り野郎をやっつけてやったぞ。
――まあいいじゃないか。お前らみんなを剃り落としてやる剃刀がまだあるんだからな。
藤岡コメント:

素直にいえばアークライトのことを「他人の発明を横取りした詐欺師」といっているので、髭剃り野郎では物足りない。藤岡訳のように「剃ってさし上げる」とすると、頭だけじゃない、髭も、喉も……。

たなこさん:

――やれやれ、頭が切れる剃刀オヤジも、これでおしまいだな。
――ご心配なく。あんた方全員を丸坊主にするだけの切れ味は、残ってるんでね。
藤岡コメント:

この「たなこ」さんはよく分かっている。「切れる」とあったのでびっくりした。喉を掻き切ってやる、なんていうと山本周五郎ですが、アークライトの発明のお陰で職を失った者たちから見ればそれこそ喉笛を掻き切ってやるというところですね。剃るのは頭だけではなかったな。

applepieさん:

――よお、さすがの切れ者もとうとう焼きがまわったな。
――心配するな。お前たちひとまとめにして丸坊主にしちまうカミソリがまだ残ってるさ。
藤岡コメント:

この場合、「焼きがまわる」ではないでしょう。「丸坊主にしちまうカミソリ」も考えものだな。

ご免なさい。最終回だからご褒美を一杯出そうと思っていたのだけど、出題が悪かった、斎藤静代さんの翻訳勝ち抜き講座で頑張ってください!

2011年1月31日号
(第4巻184号)