藤岡啓介の翻訳玉手箱
公開講座 プロになるぞ!! 第3期
第4回
ウィルキー・コリンズ作『死者は生きていた』(第四章 その4)
――【text】をクリックするとテキスト全文が現われます――
THE DEAD ALIVE
By Wilkie Collins
CHAPTER IV.
THE BEECHEN STICK.
くびきさん、さようなら
前回のtext:26に、ナオミとジェイゴとの「月夜の密談」があり、それをサイラスがなじるという場面がありました(今回も同じ場面が続いています)。ここでジェィゴが「二度も自分の肩にくびきを背負おうほど愚かではない」と言い返すところ。
ここでモーモーさんがyokeをどのように訳出するか考え、ついには
――でも、これは喧嘩中のセリフなんですよね。とくにサイラスは気が立っているし、回りくどいセリフじゃおかしいかな、と考えて、結局「くびき」は、わたしの 胸の中へしまい込みました。「くびき」さん、ごめんなさい。
と、「くびき」さんにお別れしたのですが、ヨシノスケさんも、モーモーさんと同じように悩んでいいました。
ヨシノスケコメント:
「くびきを背負う」では迷った末「二度も結婚しようなんて……」と平凡に訳しました。気になるので、改めて辞書を読んでみると、yokeに「(不平等の)夫婦〈婚姻〉関係」とありました。しかも take the yoke on his shoulders ですから、この語句を口にしたサイラスにとって、結婚とは「差別があって自由を束縛するもの」というような非常にマイナスなイメージがあったのでしょうか。
この部分をただ単に「結婚」とだけ訳したのでは、サイラスの結婚に対するイメージを表現できていないのではないか、と思いました。たしかに「くびきを負う」ではピンとこないのかもしれませんが、すらすらと簡単に理解できることがいい、というのでもないでしょうし。原文で本当にそういうマイナスな含みをもっていたのか、当時の読者にとっては普通にピンとくる表現だったでしょうが、これが、作家らしい原文が含みのある言い方なのか、うちの先生がよくいわれるように「語句・文節を『塊』として捉え」て、一言で表せばいいのか、付け加えられている語を大切に拾った方がいいのか……難しいです。
その作家の作品をたくさん読めば判断がつくようになるのでしょうか。
藤岡コメント:
ぼくたちの生活(都会生活)では牛も牛車もないので、yokeはほんとうに言葉だけの「もの」になっているけど、ヨシノスケさんが考えたように、コリンズがこの小説を書いていた19世紀後半では、まだまだyokeは生きていたのですね。日本語で結婚生活を「墓場」に譬えますが、同じような言葉ですね。日本語の「くびき」の初出は『和名抄』というから外来語の「漢語」です。1000年も使ってきたから、もう「死語」になるかも。そう考えると、たんに「結婚」と訳した方が正解かも。そのうち「結婚・離婚」の制度がなくなり、またぞろ「くびき」が復活するかもしれないな。いずれにしても、ヨシノスケさんが考えているように、翻訳は「理解しやすく」に重きを置きすぎて、「単純に明解に読みやすく」だけを狙ってはいけませんね。同じ作家の作品をすべて読んでも、翻訳した表現が「翻訳者の独り合点」に終わっていて、せっかくの成果が編集者・読者に評価されないときもあります。ぼくが、「夫婦の縁(めおとのえにし)を結ぶほどの馬鹿じゃないんだ」と訳したのがそのいい例です。本人は「ここは改訳だ!」と恥じ入っています。
さて、text26です。いつもと同じように、眼でテキストを読むだけでなく、自分の翻訳をしてみてください。今回の分量なら(そして出版翻訳を志す人なら)、1時間で翻訳ですね。
性質か気立てか?
text:26
"You are quite right, sir," he said. "I have no intention of marrying for the second time. What I was saying to Miss Naomi doesn't matter to you. It was not at all what you choose to suppose; it was something of quite another kind, with which you have no concern.Be pleased to understand once for all, Mr. Silas, that not so much as the thought of making love to the young lady has ever entered my head. I respect her; I admire her good qualities; but if she was the only woman left in the world, and if I was a much younger man than I am, I should never think of asking her to be my wife." He burst out suddenly into a harsh, uneasy laugh. "No, no! not my style, Mr. Silas--not my style!"
解題:
I admire her good qualities; but if she was the only woman left in the world, and if I was a much younger man than I am, I should never think of asking her to be my wife.:
おとなしくサイラスの嫌味に応えているジェイゴ。だんだん堪忍袋の緒が切れていく様子が描かれています。qualitiesは複数形で「性質、特性」です。今回は三人とも「気立て」としていますが、「娘さんの性質」のことなので「気立て」になっています。こうしたとき「和英辞書」を引いておくと面白いですよ。英語のqualities = 気立て、ではないようです。
in the worldは、たしかに「この世界で」なんだけど、「この世で」だな。
asking her to be my wife.:「求婚する」「結婚する」ではない、「妻にする」がいいところ。making love to the young lady もそぅだけどジェイゴの本性が現れるところかな。口語で「いっしょになってくれ」という調子。
モーモー訳:
「そのとおりですよ。再婚する気なんて、さらさらありません。ミス・ナオミに何を話してたか、あんたには関係ないでしょう。あんたが考えたがってるような話とはまるで違うし、まったく別の件ですよ。まあ、おたくには関係ありませんがね。
とにかく、これでわかってくださいよ、ミスター・サイラス。あのお嬢さんに手を出すなんて考えたこともありませんね。ナオミのことは尊敬しているし、気立ての良さにも感心しています。だがね、もし世界に彼女しか女がいなくなっても、またわたしが今よりずっと若い男だったとしても、ナオミに求婚しようなんて絶対思わないでしょうな」そして突然、耳ざわりな声を上げてわざとらしく笑い出した。「まったく、ありえない! わたしの好みじゃないんです、ミスター・サイラス、好みじゃないな!」
ヨシノスケ訳:
「如何にも、おっしゃるとおり。またぞろ結婚しようなんてつもりは毛頭ありません。ナオミに話していたことは、君には関係ないですよ。君があれこれ考えるべきことでは断じてない。まったく別の類のことです、君が関与することじゃないんですよ。さあ、ミスター・サイラス、これでもう承知してくださいね、若い娘さんを口説こうなんて、まず思い浮かんだこともないんですから。彼女には敬愛の念を抱いていますよ、気立ての良さには感服しますね。だけど、たとえ彼女がこの世に残されたただ一人の女性で、私が今よりもずっと若かったとしても、彼女に結婚してくださいとせがむなんて、絶対にしないでしょうね」そう言うと、唐突に、耳障りな声で気味悪く笑い始めた。「いや、ないね、絶対にない。 好みじゃありませんから。ミスター・サイラス、私の好みじゃないんですよ」
藤岡訳:
「おっしゃる通り」と、彼はいった。「二度も結婚しようとは思っていませんよ。ミス・ナオミに聞いてもらったのは、あなたには関係ないことです。あなたが勘ぐるようなことじゃないですよ。まったく違ったことで、あなたの知ったことじゃないんです。これで、きっぱり納得してください、ミスター・サイラス、若い娘さんとなにするなんて、考えてもいません。あの人はすてきで、気立てもすばらしい、でも、彼女がこの世にただ一人取り残された女性であったとしても、それに、わたしがもっともっと若かったとしても、あの人に妻になってくれとは、けっしていいませんよ」
こういうと、ジョン・ジェイゴは急に笑いだしたが、耳障りな落ち着きのない笑いだった。
「いやいや、わたしの好みじゃないんだ、ミスター・サイラス、好みじゃないんですよ!」
text:
Something in those words, or in his manner of speaking them, appeared to exasperate Silas. He dropped his clumsy irony, and addressed himself directly to John Jago in a tone of savage contempt.
"Not your style?" he repeated. "Upon my soul, that's a cool way of putting it, for a man in your place! What do you mean by calling her 'not your style?' You impudent beggar! Naomi Colebrook is meat for your master!"
John Jago's temper began to give way at last. He approached defiantly a step or two nearer to Silas Meadowcroft.
"Who is my master?" he asked.
"Ambrose will show you, if you go to him," answered the other."Naomi is _his_ sweetheart, not mine. Keep out of his way, if you want to keep a whole skin on your bones."
解題:
meat:
今はもうだれも使わないけど卑語俗語隠語で「スケ」「情婦」でしょう。翻訳で嫌なのは、こうした隠語が出てくるときです。無理して訳しても褒められるわけでなし……ディケンズやコリンズでは公開講座程度で収めていいでしょう。同じ時代でも、女流作家ギャスケルは、主人公に農村の言葉を使わせるので、ごまかして訳し通せるものではありません。
John Jago's temper began to give way at last.:
たまたま山本周五郎の短篇集『松風の門』を読んでいたら「堪忍袋の緒が切れる」話がありました。ほんとうに身体の中に「堪忍袋」があって、胃の噴門部あたりでぷつんとちぎれた、もう遠慮することはない、と居直ったらゲンコツを使う間もなく万事が丸くおさまった、という山周こと山本周五郎の「ユーモア小説」です。この本、新潮文庫、昭48年に初版、平成16年で49刷り、今もなお書店の店頭にあるから、「堪忍袋」、まだ使えますね。ちなみに、英語にはこんな素晴らしい「袋」はないようです。
モーモー訳:
このことばのどこかが、もしくはその言い方が、サイラスを怒らせたようだった。つまらない当てこすりを言うのをやめて、まっすぐジョン・ジェイゴに向かうと、激しく軽蔑をこめた声で言いはなった。
「好みじゃないだと?」と相手のことばを繰りかえした。「こいつは驚いた。なんて厚かましい言い方しやがるんだ!自分の立場がわかってるのか。ナオミが『好みじゃない』なんて、いったいどういうつもりだ?このずうずうしい物乞いやろうめ!ナオミ・コールブルックは、いずれあんたのご主人さまになるんだぞ!」
ジョン・ジェイゴの我慢もいよいよ限界だった。サイラス・メドウクロフトのほうへ、挑むように一歩二歩と近づいていった。
「だれがご主人さまだって?」と訊く。
「アンブローズに会ったら、思い知らせてくれるさ」サイラスは答えた。「ナオミは、ほかでもないアンブローズの恋人だからな。おれのじゃない。怪我したくなかったら、アンブローズに近づかないことだな」
ヨシノスケ訳:
その言葉なのか、その話し方なのか、何やらサイラスの癇に障ったようだ。子供じみた皮肉をもらすと、人を侮蔑したような乱暴な口調で、ジョン・ジェイゴに直に向かった。
「好みじゃないだって」サイラスは繰り返した。「こりゃ驚いたね、面白い言いぐさじゃねえか、おまえごときの分際で!『好みじゃない女』呼ばわりするなんざ、どういうつもりだい?こしゃくな野郎め。ナオミ・コールブルックはな、おまえのご主人さまの女なんだぞ」
ジョン・ジェイゴも、ついに怒りの気持ちを抑えることができなくなった。挑発的な態度で、
「ご主人さま、誰のことです?」
「アンブローズが教えてくれるさ、聞いてみろよ。ナオミの相手はアンブローズだ、おれじゃないぜ。痛い目にあいたくなければ、やつの邪魔はしないこったな」
藤岡訳:
こういったジェイゴの言葉か、口ぶりか、いずれか分からないが、サイラスを激こうさせたようだった。これまでの慇懃な様子をかなぐり捨て、ひどく荒っぽく、侮蔑した調子でジェイゴをなじった。
「好みじゃない?よくもまあおっしゃいましたね。あんたの身分でよくもいえたもんだ。あの娘を『好みじゃない』とはよくもまあ。この恥っ晒しが。ナオミ・コールブルークはあんたのご主人様のイロなんだぞ」
ついにジョン・ジェイゴの堪忍袋の緒が切れた。一歩、二歩、ぐっと挑戦的にサイラス・メドウクロフトに迫った。
「ご主人様、とは誰のことなんだ?」
「アンブローズの所に行けば、だれが御主人か教えてくれるさ」と、サイラス。「ナオミは、他ならぬアンブローズ様の想い人だ。おれのオンナじゃないよ。バラバラにされたくなかったら、邪魔しない方がいいぜ」
さて、いよいよ事件が起こりそうですね。ところで、モーモーさんが訳し終わってから次のように感想を寄せてくれました。
会話では口調が定まらなくて
モーモーコメント:
今回もほとんどが会話なので、口調が定まらなくて悩みました。ジョン・ジェイゴは落ち着いた調子ながら、サイラスを小馬鹿にした感じを出したかったのですが、うまくいっているでしょうか? また、サイラスはかなり乱暴にしたつもりですが、まだ足らないでしょうか?いろいろ書き直してみましたが、まだ不安が残ります。
サイラスの台詞のなかに、“beggar”が出てきますが、「乞食」は差別用語かもしれないので困りました。ネットで言い換え語を調べると、「ホームレス」となっていましたが、ここでは使えそうにありません。リーダーズに「やつ」という訳語もありましたが、「ずうずうしいやつ」だけでは、軽蔑している感じが足らない気がします。結局「物乞い」にしましたが、ひょっとしたらこれも差別用語でしょうか?言葉って、本当に難しいです。
藤岡コメント:
秋林哲也さんの受け売りですが、ハードボイルド派の小説を翻訳するどこぞの令夫人が、下品な言葉の飛び交う会話の部分にくると、秋林さんに「改訂」をお願いしていたとか。女性だからという理由だけではなく、「悪口雑言」を当該語にそのまま移しても、全然悪口雑言にならないでしょう。それぞれの国で文化が違いすぎます。翻訳者は違いがあるのを知って得意になるのですが、いざ翻訳となると、七転八倒です。
悪口雑言ではあまり参考になりませんが、前述の山本周五郎の女性言葉のよさは他に例のないほどすばらしい言葉です。やさしくて情があり、静かで暖かく、品がよく気配りができていて、翻訳者だったら、ぜひとも山周を四、五点は読みあげて、メモを作っておくか、いやいや、眼につく(耳につく)まで繰り返し読むといいな。ほんとうに、海老蔵の助六のように、響いてきますよ――でも、その山周言葉をだれの翻訳で使えばいいのか?
―― 「わたしの新訳」に挑戦しましょう ――
本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦します。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」をはじめとして、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでほしい」と希望されれば、本講座の藤岡先生が原文・翻訳を読み、一応のレベルに達していると判断したら(あるいは何回かダメをだして改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。翻訳する作品は、版権がない(原則没後50年たった)英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイ。サキ、O・ヘンリー、ビアスなどの短篇作家には、新しい翻訳が望まれていますよ。ハーディーやD.Hロレンスにも短編があります。
応募を受けて推薦しない場合、その旨を伝えします。
手をつけている作品がありますか? 新刊の版権フリー本だけが市場ではありませんよ。編集部宛てに「自己紹介」と翻訳する作者(作品)を教えてください。手順を案内します。
英語圏以外の知られざる作品も
ドイツ語翻訳者のたかおまゆみさんの『ヤギ飼い少年 モニ』は、ヨハンナ・シュピリの隠れた名作です。「隠れた」というのは、『ハイジ』に隠れて、あまり一般には知られていない、といった意味ですが、そういった、英語以外の古典新訳も受け付けています。あなただけのとっておきの名作を発表しませんか?藤岡先生が的確なコメントとアドバイスをくださいます。藤岡先生によるフィードバックの一部をご紹介します。これから挑戦されることを検討していらっしゃるみなさま、参考にしてください!
藤岡先生コメント(抜粋)
- 提出していただいた翻訳は、翻訳コンテストでは優秀作でしょうが、でも、これを翻訳者が実名で発表するとなると、もうひと工夫ふた工夫がほしくなります。登竜門への挑戦です。頑張りましょう。
- (藤岡先生の)参考訳をよくごらんください。翻訳しながら悩んだこと、迷ったことへの回答があるでしょう? 英文解釈もさることながら、この作品は低学年の子供たちが読むものです。こどもの読解力に迎合してやさしくするのではなく、一定の語彙・表記・表現の幅を踏まえながら、子供たちに日本語の正しい発想で読み書きすることを教えなければなりません。いわゆる「翻訳臭」を徹底的に避けます。基本的には、みゅうの母さんの日本語は温かく、すてきな感性を表しています。
- 語りかける作家の姿勢は?ここで翻訳者は「翻訳者」でなく、日本の作家にならなければ駄目でしょうね。参考訳は一案で、他にもいろいろ考えられるところです。この商品の「決め手」になるでしょう。
このほか、原稿のフォーマットについての指示など丁寧なアドバイスをしています。
藤岡先生の参考訳は、A4 一頁に及び、訳文を改訂する際に十分な量の訳例を提示しています。
どうぞみなさん、果敢に挑戦してください。お待ちしております。
編集部記
(第4巻157号)




























