入門翻訳勝ち抜き道場

翻訳玉手箱

藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 第3期第1回
ウィルキー・コリンズ作『死者は生きていた』

藤岡啓介
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当該個所の質問だけでなくどしどしご意見を寄せてください。
なお、“The Dead Alive”の原文は【text】をクリックすると現われます。

第一期で、第一章と第二章が終了しました。
藤岡先生の全訳はこちらです。
ウィルキー・コリンズ作、藤岡啓介訳 『死者 は生きていた』 [PDF 版]

迎えることば――新弟子です、といってもハードルは下げないぞ

今回の第四章から、ヨシノスケさんとモーモーさんが弟子入りです。ふたりとも、斎藤道場で腕を磨いてきた猛女です(男子だったら猛者だけど)。道場破りをされないように、道場主、ちょっと緊張しています。会った感じではヨシノスケさんはすらりとした当世風の美女で、当然のことながら、ウエイトはぼくの半分くらいしかない。これからなんでもできるぞ、という若さがまばゆいな。もう一人のモーモーさん。残念ながら住まいが遠い。この稲村ガ崎の急坂を登って来られるのはいつになるかな。幸い声は聞けるので、当面は「まだ見ぬ君」で我慢。もっとも、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れたというニュースを聞いて、きっと鎌倉が急に近くになったんだろうな、「先生のとこ無事でしたか」という心やさしい便りをもらっている。稲村ガ崎は江の電で五つも先の田舎だからご休心を。「鶴岡八幡宮、大銀杏、公暁」と出ているから太宰の『右大臣実朝』を読まなければ、と伝えておいた。ヨシノスケさんよりモーモーさんの方が年上、その分だけロシア語をやる時間があったよう。外国語を二つ三つ手がけるのが青春だよ、といわれているので、懐かしむに足る青春時代があったんだろうな。

text:24、およびヨシノスケさん、モーモーさんの課題訳は本稿の後段です。
ご期待ください。次回で吟味をするのですが、読者の皆さんも
自分が講座に参加しているつもりでチェックしてください。

 ところで、前号からの宿題がありました。翻訳者が雑誌の座談会で「これだけハードルを下げているのに、外国名だから登場人物の名前が覚えられないっていうのは、はっきり言って小説を読まない人の言いがかりだと思う」と発言していた問題です。みかんみかんさんが疑問に思って便りをくれたものですが、読者の皆さんにも意見を求めたら、なるほど、と納得がいく意見が寄せられました。新弟子を迎えるにあたっての言葉は、まずは、このハードル問題ですね。

翻訳小説に現れる登場人物の名前が覚えられない、というのはごく自然なことでしょう。日本人同士でも、パーティーなどで名告り合ったはいいが、翌日になると相手の名前が思い出せないということがあります。小説になればよく例にあげられるロシア文学はもちろん、わたしたちがその国の文化に馴染みのない国の話だと、訳書の扉裏にでも一覧表をつけてほしい、と思います。座談会の才媛は、Williamの愛称はBill、この程度だったら、同一人を「ウイリアム」「ビル」と、原書のままの呼称でいいだろう、といった考えなのでしょうね。

出羽守、横飯?!

これは翻訳者の判断、選択というよりも編集者が決めなければならない問題です。上記のように、翻訳者に読者を見下げていると思わせるような発言をさせてはいけない。ちょっと外国語ができるからっていって、生意気になりやがって、と読者の反発を買い、なんだか発言の才媛が気の毒に思えます。編集者、悪いな。編集者というのは名前が表に出ない「黒子」的な存在なので、自覚がないんだ。昔世界文学全集というものが何種類が出版されていたころ、「登場人物一覧表」が栞でついていたし、「黒子」さんが頑張って、最近は文庫の新刊でも「登場人物」が編集されています。もしかしたら、訳者があとがきで編集者の名前を上げて感謝しているので、「黒子」さんが面映ゆいおもいで舞台のそでに顔を出す気になったのかな。こうしてくれれば「ハードルを下げる」発言もなかったろうに。

外国支社で仕事をしていたビジネスマンが本社に戻ってくると、なにかにつけ、「向こうでは、あちらでは」といって気障な奴だと疎んじられた時代がありました。もう半世紀くらい昔かな。そういう紳士連を陰で「出羽守」といっていました。ついでに思い出すと、外国人と食事をするのを「横飯を食う」と。

「ハードルを下げる」という言葉を思わず口にしたのでしょうが、みかんみかんさんではないけど、耳障り、じゃなかった眼障りでした。

ぼくの公開講座では、とくに「翻訳の姿勢」を問題にします。偉そうなことをいえば翻訳者の人格を問題にすることになるでしょう。どこで「人格」なの? と問われるかもしれないけど、この「第三期」は、

翻訳の質、翻訳者の資質

についても語っていきます。ハードルは下げません。いったいどういう構想で纏めていくものかいまだにぼく自身見当がついていません。構想なんて大げさなことはいわず、「言葉のはしはしで」嫌味を言うことになるかな。いや、それは駄目、ときには正面切って論じなければ。

さて、お待ちどうさま! ハードル発言に対する「読者の声」です。

asukabさん:

プロと呼ばれる人は、技術力、人間力すべてにおいて常人とは異なるさらなる高みに属しています。今回のエピソードにおける発言は、技には勝るけれど心が欠落している例ではないかと思いました。とくに語学は時間に伴う慣れを要するためか、その間に心の部分を忘れてしまう傾向が多い印象が残ります。

「出版翻訳」には高貴な心と高度な技の融合する世界が感じられるので、人間力、技術力両者に関して自分の血肉になる体験ができていると実感しています。

ネスさん:

私も、読者を見下げているというか、読者に迎合し過ぎている、という感想です。

話がそれるかもしれませんが、プロの翻訳者の多くの方が、こなれた読みやすい訳文であるべし、と強調し過ぎることに、常日頃、少々疑問を感じています。原文が歯ごたえのある難しい文章なら、訳文もそうであってかまわないのではないでしょうか。翻訳の文章に限らず、文章が難しいと、読者は考えることを強いられ、かえって理解が深まり、内容が強く心に残ることがあると思うのです。スナック菓子ばかり食べていないで、たまにはスルメも齧ったほうが体によい。

ついでですが、気になる言い方や言葉を。

さる路線で「駆込み乗車防止に御協力ください」と車内放送されます。駆込み乗車は危険なので止めてください、と言わんとしているのは明らかです。しかし、この言い方ですと、駆込もうとしている人がいたら、止めさせるよう協力してください、という意味にとれます。(以下略)

THE DEAD ALIVE
By Wilkie Collins
CHAPTER IV.
THE BEECHEN STICK.

まだ開拓が続いているアメリカに移住した家族をしたって、本国英国から青年弁護士が大西洋を渡ってきた。出迎えるのは農場主、息子二人、未婚の老嬢、管理人、両親を喪った居候の姪娘という設定。第四章のtext:24 から「事件」が起こるのだが。……第三期のテキストは、ずいぶん分量が少なくなっていますが、毎回、ヨシノスケ、モーモーさんの翻訳にあたっての困ったこと、工夫したことを語ってもらいます。

text:24
PERSONS of sensitive, nervous temperament, sleeping for the first time in a strange house, and in a bed that is new to them, must make up their minds to pass a wakeful night. My first night at Morwick Farm was no exception to this rule. The little sleep I had was broken and disturbed by dreams. Toward six o'clock in the morning, my bed became unendurable to me. The sun was shining in brightly at the window. I determined to try the reviving influence of a stroll in the fresh morning air.
Just as I got out of bed, I heard footsteps and voices under my window.
The footsteps stopped, and the voices became recognizable. I had passed the night with my window open; I was able, without exciting notice from below, to look out.
The persons beneath me were Silas Meadowcroft, John Jago, and three strangers, whose dress and appearance indicated plainly enough that they were laborers on the farm. Silas was swinging a stout beechen stick in his hand, and was speaking to Jago, coarsely and insolently enough, of his moonlight meeting with Naomi on the previous night.


ヨシノスケ訳:
第四章 ブナのステッキ (その1)

繊細で神経質な人間は、見も知らぬ家でいつもとは違うベッドにはじめて寝るとき、眠れぬ一夜を過ごす覚悟をきめなければならない。わたしがモーウィック農場で過ごした第一日目の夜も例外ではなかった。ほとんど眠れず、やっと訪れた眠りも、いくつも夢を見るせいですぐに覚めてしまうのだった。朝の六時ごろになると、そうしてベッドの中にいることに耐えられなくなってきた。窓には日がまぶしく差し込んでいる。わたしは朝の新鮮な空気の中、散歩をして英気を養うことにした。

ベッドから起き上がったちょうどそのとき、窓の下に足音と話し声が聞こえた。

足音が止むと、声の主がはっきりとしてきた。わたしは夜の間窓を開けたままにしていたので、下にいる人たちを刺激することなく覗き見ることができた。

そこにいたのは、サイラスとジョン・ジェイゴ、それに見たことのない者が三人。三人は服装や外見から判断して、この農場で働く労働者であることに間違いないだろう。サイラスは手に持った頑丈そうなブナ材のステッキを振り回しながら、ひどく荒っぽい横柄な態度で、前の晩、月明かりの中でナオミと話をしていたことについて、ジェイゴに問い質していた。

モーモー訳:
第四章 ブナのステッキ (その1)

敏感で神経質なたちの人間が、他人の家で、しかも慣れないベッドに初めて寝ようと思ったら、まずその夜は眠れないと覚悟したほうがいい。私がモルウィック農場で迎えた最初の夜も、その例外ではなかった。ほんの少し寝入ったと思ってもすぐ目が覚めたり、夢にうなされたりした。朝の六時頃には、もうベッドにいるのが耐えられなくなった。窓からは、まぶしい朝日がさんさんと降りそそいでいる。朝の新鮮な空気を吸いながら散歩すれば、生き返るかもしれないと思い、ためしてみることにした。

ベッドから出たとたん、窓の下で何人かの足音と声がした。

足音が止むと、声がはっきり聞こえてきた。昨夜はずっと窓を開けたままだったので、下にいる人たちに気づかれずに覗くことができた。

窓の下にいたのは、サイラス・メドウクラフトとジョン・ジェイゴ、そして三人の知らない男たちだった。その三人は、服装や風貌からみて、農場の農夫たちに違いない。サイラスは、頑丈なブナ材のステッキを手に持って振り回していた。そしてジェイゴに、昨夜月明かりのもとでナオミと会っていたことを、ずいぶん荒っぽく生意気な口調で問いつめていた。

さて、以上が課題訳ですが、次号四月五日号で、二人のコメントを交えながら解題していきます。プリントで、上手だな、と思えるところは青のマーカー、変だぞと注意の箇所は赤マーカー。このようにはっきり読んでおくと、解題がますます楽しくなりますよ。

―― 「わたしの新訳」に挑戦しましょう ――

本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦します。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」をはじめとして、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでほしい」と希望されれば、本講座の藤岡先生が原文・翻訳を読み、一応のレベルに達していると判断したら(あるいは何回かダメをだして改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。翻訳する作品は、版権がない(原則没後50年たった)英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイ。サキ、O・ヘンリー、ビアスなどの短篇作家には、新しい翻訳が望まれていますよ。ハーディーやD.Hロレンスにも短編があります。

応募を受けて推薦しない場合、その旨を伝えします。

手をつけている作品がありますか? 新刊の版権フリー本だけが市場ではありませんよ。編集部宛てに「自己紹介」と翻訳する作者(作品)を教えてください。手順を案内します。

英語圏以外の知られざる作品も

ドイツ語翻訳者のたかおまゆみさんの『ヤギ飼い少年 モニ』は、ヨハンナ・シュピリの隠れた名作です。「隠れた」というのは、『ハイジ』に隠れて、あまり一般には知られていない、といった意味ですが、そういった、英語以外の古典新訳も受け付けています。あなただけのとっておきの名作を発表しませんか?藤岡先生が的確なコメントとアドバイスをくださいます。藤岡先生によるフィードバックの一部をご紹介します。これから挑戦されることを検討していらっしゃるみなさま、参考にしてください!

藤岡先生コメント(抜粋)

  • 提出していただいた翻訳は、翻訳コンテストでは優秀作でしょうが、でも、これを翻訳者が実名で発表するとなると、もうひと工夫ふた工夫がほしくなります。登竜門への挑戦です。頑張りましょう。
  • (藤岡先生の)参考訳をよくごらんください。翻訳しながら悩んだこと、迷ったことへの回答があるでしょう? 英文解釈もさることながら、この作品は低学年の子供たちが読むものです。こどもの読解力に迎合してやさしくするのではなく、一定の語彙・表記・表現の幅を踏まえながら、子供たちに日本語の正しい発想で読み書きすることを教えなければなりません。いわゆる「翻訳臭」を徹底的に避けます。基本的には、みゅうの母さんの日本語は温かく、すてきな感性を表しています。
  • 語りかける作家の姿勢は?ここで翻訳者は「翻訳者」でなく、日本の作家にならなければ駄目でしょうね。参考訳は一案で、他にもいろいろ考えられるところです。この商品の「決め手」になるでしょう。

このほか、原稿のフォーマットについての指示など丁寧なアドバイスをしています。
藤岡先生の参考訳は、A4 一頁に及び、訳文を改訂する際に十分な量の訳例を提示しています。
どうぞみなさん、果敢に挑戦してください。お待ちしております。

編集部記

2010年3月29日号
(第4巻150号)