入門翻訳勝ち抜き道場

翻訳玉手箱

藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 第2期第8回
ウィルキー・コリンズ作『死者は生きていた』

藤岡啓介
[ profile ]
ハイライトされた部分をクリックすると、講師の藤岡コメント:が右上に吹き出しの形で現われます。

この藤岡コメント:は一覧表で本文とは別に印刷できます。
読者参加を歓迎する【この質問に答える】も設けています。
当該個所の質問だけでなくどしどしご意見を寄せてください。
なお、“The Dead Alive”の原文は【text】をクリックすると現われます。

第一期で、第一章と第二章が終了しました。
藤岡先生の全訳はこちらです。
ウィルキー・コリンズ作、藤岡啓介訳 『死者 は生きていた』 [PDF 版]

師走だ、こういうときに読書量の差をつけよう!

今回で2009年も最後の講座になります。コリンズのこの『死者は生きていた』はA5変形の原書で62頁、全12章の作品ですから、原書に読み慣れていれば一晩で読んでしまう長さです。この講座では第3章の半ばまで、延々と第一期18回、第二期8回、合計26回にわたって勉強してきました。第3章はこのあとtex t22、text 23で、2010年の3月から第4章、「ブナ材のステッキ」に入ります。これまでのところ物語は不気味な雰囲気を醸してはいますが、具体的な「事件」は語られていません。『月長石』『白い服を着た女』『バジル』などでおなじみの、コリンズお得意の書きっぷりです。

ガブガブさんから、

「今回は分量も少なくて助かりましたが、Text22、23は長い上にいろいろ悩ましいところがありますね。最後は心してかからねばなりません」

との感想がありましたが、二人のお弟子さんたちはもちろんのこと、皆さんもテキストを開いて、この年末年始、ぜひとも本作品の先を読んでみてください。時もあろうに忙しいときに、といわれるかもしれませんが、案外、こうしたときに読むと、神経が立っているせいか、案外と頭に入ります。ライバルと読書量で差をつけたければ今こそ好機。師走の深夜、だからドストエフスキー、というのも乙なものですよ。

みかんみかんさんからも、年末らしい便りがきました。

「……一息ついたら、年賀状書きという地獄の苦しみが待っています……年賀状は、メールもしない、電話もかけない、同窓会にも出ないで不義理を重ねているわたしの、友人たちへの年に一度の罪滅ぼしです。とはいえ、キーボードばかり打ってる者にとって、手書きは非常に難しい。体にこたえます。よって「地獄の苦しみ」です……(涙)」

まさに、みかんみかんさん、読書の季節ですよ、おめでとう、『罪と罰』がお勧めだな、と言いたくなります。

ぼくは、もう何回か読んでいるのですが、第5期に入る「藤岡ゼミ」で取り上げることにしたディケンズの“The Signal-Man”を精読するかな。何度読んでも面白い。文章もすごいが、筋立てというか趣向がいい。スリラー小説の代表作として今日でも十分に面白い作品で、翻訳は岡本綺堂訳が残っています。面白いことに、翻訳は早稲田で英文学をやった若き高垣眸が訳したものとか。綺堂の弟子筋だったのでしょうね、翻訳の文章が綺堂の文体と違っています。初読したときは「綺堂老、ずいぶんと新しい文体で訳して器用な人だな」と思ったのですが、そうではなかった。綺堂老人が出版社の企画に乗って作品を選び、学校出たての高垣さんに名を貸したのでしょう。

高垣眸は『まぼろし城』『怪傑黒頭巾』でぼくら「少国民」が夢中で読んでいた作家。そうだ、山中峯太郎、南洋一郎、海野十三もいたっけか。幽霊のでる怪奇物ではだれだ、江戸川乱歩かな、やはり岡本綺堂かな。

これは寝言ですね。本題に入ります。

text:21
"Not in the hall, miss, if you will excuse me."
"Not in the hall!"
"And not in the house either, if I may make so bold."
"What do you mean?" She turned impatiently, and appealed to me. "Do _you_ understand him?"
John Jago signed to me imploringly to let him answer for himself.
"Bear with me, Miss Naomi," he said. "I think I can make you understand me. There are eyes on the watch, and ears on the watch, in the house; and there are some footsteps--I won't say whose--so soft, that no person can hear them."
The last allusion evidently made itself understood. Naomi stopped him before he could say more.
"Well, where is it to be?" she asked, resignedly. "Will the garden do, Mr. John?"
"Thank you kindly, miss; the garden will do." He pointed to a gravel-walk beyond us, bathed in the full flood of the moonlight. "There," he said, "where we can see all round us, and be sure that nobody is listening. At ten o'clock." He paused, and addressed himself to me. "I beg to apologize, sir, for intruding myself on your conversation. Please to excuse me."

解題:

"Not in the hall, miss, if you will excuse me."
"Not in the hall!"
"And not in the house either, if I may make so bold."
"What do you mean?" She turned impatiently, and appealed to me. "Do _you_ understand him?"

ここにあるhallが嫌ですね。「ホール」「玄関ホール」「広間」「居間」など、家の間取りが分かれば訳語を選ぶことができますが、ここではtext20にあるhall-clockを思い出します。ぼくは「大時計」と訳しましたが、居間にある柱時計のつもりです。時計屋さんでは「ホールクロック床置き時計」といっているところもあります。ナオミはこの時計のゼンマイを巻くのが日課になっている、案外と手間のかかる仕事になっている、もしかしたら「掛け時計」でない、時間ごとにしっかりしたメロディーを奏でる時計かな、というわけ。たしかバブルのころ、ウエストミンスターとかの名称が付いた柱時計が、日本橋の高島屋で何百万という値段でした。

not in the house either:"Not in the hall!"を受けた副詞のeitherですね。これを「~もまた~でない」と訳し込むのは難しい。「……では駄目なのか」と発想できれば自然ですね。

ガブガブ訳:
「ホールはいけません、お嬢さん、申し訳ないのですが」
「ホールではだめですって!」
「家の中でもだめです、厚かましいことを言うようですが
「どういうこと?」彼女はいらいらして振り返り、わたしに訴えた。「あなたなら彼の言うことがわかって?」

みかんみかん訳:
「広間は困るな、お嬢さん」
「広間ではだめだっていうの!」
「屋敷のなかというのは、どこであろうが、困るんですよ
「それって、どういうこと?」苛立ったナオミは彼に背を向けると、わたしに向かって強い口調で訊ねた。「あなたは、あのひとの言うことが呑み込めた?」

藤岡訳:
「広間では駄目なんです、すみません、勝手をいって」
「広間では駄目なの」
「いずれにしても、家の中ではなく。ほんとうに、勝手ですが」
「どういうことなのかしら」彼女はいらいらした様子でわたしに向かい、「あなたは、この人のいうこと分かるの?」と訊いてきた。

壁に耳あり障子に眼あり ???

John Jago signed to me imploringly to let him answer for himself.
"Bear with me, Miss Naomi," he said. "I think I can make you understand me. There are eyes on the watch, and ears on the watch, in the house; and there are some footsteps--I won't say whose--so soft, that no person can hear them."

to let him answer for himself:彼をして彼自身に答えしめよ、というのが昔の受験参考書、使役動詞の項。「彼が自分に答えさせてくれ」「自分が答えるから」と言っているのですね。

eyes on the watch, and ears on the watch:だれでもこの英文を見ればとっさに「壁に耳あり障子に眼あり」の格言が浮かんでくるでしょう。でも、と、ここで翻訳者はとどまります。彼の国では「監視の眼があり、監視の耳がある」といっているのを「壁」と「障子」に置き換えるのは変だ、どうしよう?!というわけです。半世紀ほど前の翻訳だったら、迷うことなく「壁」と「障子」でしたね。でも、西欧の事物に直接接するようになった読者が、そうした「意訳」を許すはずがありません。

――There is a witness everywhere.
――Walls have ears.
――Some hear and see him whom he hears and sees not.

手元にある『英語諺辞典』(大塚高信、高瀬省三編、三省堂、1976年)で「壁に耳あり障子に眼あり」を見ると、上の三例が挙げられています。いずれも、「そうだね」とは言えても、翻訳者にとっては問題です。眼の肥えた読者には、「バタ臭い」のを覚悟で原文の流れで訳しておいた方がいいかな。

no person can hear them:ガブガブさんが、「気づく」とした方が自然かなと思いました、とコメントを付けていましたが、「見とがめられない」よりはよかったかな。大和言葉にない受動態の訳文はともすれば読みにくい、素直に訳したのに素直でない日本語になります。(あえて受動態を使うという訳者の判断があれば別ですが。)

ガブガブ訳:

ジョン・ジェイゴは、自分で答えるからと、哀願するように私に身振りで知らせた。 「私の話を我慢して聞いてください、ミス・ナオミ。きっと分かっていただけると思うんです。家の中には監視の目があり、監視の耳があります。それに足音も誰のとは申しませんが…非常に忍びやかなので、気づく人はまずいません」

みかんみかん訳:

ジョン・ジェイゴは、ここは自分に言わせてくれと、すがるような眼差でわたしに訴えた。
「もう少しおれの話を聞いてくださいよ、ミス・ナオミ。そうすれば、あんただって納得するはずさ。屋敷のなかっていうのはね、壁に耳あり、の状態なんだよ。それに、こっそり人のあとをつけるようなやつだっている----誰とは言わないでおくがね----そういうやつは忍び足で近づいてくるから、見とがめられないものさ」

藤岡訳:

ジョン・ジェイゴは、ここは自分に答えさせてくれと、まるで懇願するような身振りをみせた。
「ご免なさい、ミス・ナオミ」と、彼はいった。「こういえば、分かってもらえますね。この屋敷の中ではそこかしこ、どこでも監視の目が光っているんです。もちろん、足音もきこえます――それがだれのものか、お分かりでしょう――だれだって気がつかないほどの、すごい忍び足なんです。

The last allusion evidently made itself understood. Naomi stopped him before he could say more.

最後のほのめかし」つまり「だれかが監視している」ということは……ですね。allusionを一語に対応しているとすれば「忍び足」かな。「ほのめかしが、それ自身をして理解せしめた → こうほのめかしたので、そのほのめかしが何を指しているか理解された」。

ガブガブ訳:

この最後のほのめかしには、はっと思わせるものがあったようだ。それ以上言うひまを与えず、ナオミは彼をさえぎった。

みかんみかん訳:

最後の皮肉はお見事だった。ナオミは、彼がふたたび口を開く前に、話を引き取った。

藤岡訳:

忍び足、といったところで、誰のことであるかが分かった。これ以上ジェイゴが語らぬようナオミがさえぎった。


"Well, where is it to be?" she asked, resignedly. "Will the garden do, Mr. John?"
"Thank you kindly, miss; the garden will do." He pointed to a gravel-walk beyond us, bathed in the full flood of the moonlight. "There," he said, "where we can see all round us, and be sure that nobody is listening. At ten o'clock." He paused, and addressed himself to me. "I beg to apologize, sir, for intruding myself on your conversation. Please to excuse me."

bathed in the full flood of the moonlight:ガブガブさんが、「燦々と照りつけるのはお日様だけ? 辞書には(太陽などが)とあるが、月明かりには使えないものか。無難に「煌々」としておきました」とコメントをしてきたので、改めて考えてしまいます。

たしかに「煌煌と」という言葉が浮かびます。語義からいえば、「煌煌と」は「まぶしいほどに光が輝く」様子を修飾するときに使いますね。「月明かりで(月光で)道が輝いている」情景ですが、「きらきらしてまぶしい」かな? 「煌煌たる窓のあかり」という言葉がありますが、「窓」という小さな場所にかぎっていえば、「鋭い光」が感じられていて、これは使うな。「道」「野原」ではどうかな。ぼくは使わない。ちなみに、「光る」の語群を調べると、

―― 光る 輝く、耀く、閃く、輝かす・耀かす、閃かす、瞬く、映える、照る、照らす、 照り返す、照り映える、照り付ける、差す・射す、ぎらつく、照り輝く、発光、一閃、底光り、明滅、点滅、煌煌【岩波書店 岩波 日本語表現辞典】

とありました。辞書は素晴らしいけど、無責任でもありますね。問題は翻訳者の日頃の言葉に対するセンスです。「平和」と「和平」、「人民」と「国民」を使い分けていますが、皆さん、使い分けの基準がありますか?【この質問に答える】※この質問は締め切りました

ガブガブ訳:
「それじゃあ、どこがいいっていうの?」あきらめて尋ねる。「庭ならいいわけ、ミスター・ジョン?」
「ご親切にありがとう、お嬢さん。庭で結構です」彼は、月明かりがあたり一面煌々と降りそそいでいる彼方の砂利道を指差した。
「あそこなら、四方を見渡せます。それに誰にも話を聞かれる心配はありません。十時にお会いしましょう」彼は一息ついて、私の方を向いて言った。「お二人の会話の邪魔をしてしまいまして、謹んでお詫びいたします。どうかお許しのほどを」

みかんみかん訳:
「わかったわ。それならどこがいいの?」そう訊ねた彼女は、すっかり観念した様子だった。「庭ならどう、ミスター・ジョン?」
「庭ならもってこいだ、ほんとうに恩に着るよ、お嬢さん」そう言うと、彼は前方を指差した。指先の向こうには、玉砂利を敷き詰めた小道が月明かりに照らされていた。
「あそこにしょう」と彼は言った。「あそこなら、周りに遮るものは何もないし、誰かに聞かれる心配もない。時間は十時」彼は少しばかり間をおくと、わたしに言葉をかけてきた。「申し訳ないね、ミスター。あんたの邪魔をしちまって。どうか勘弁してください」

藤岡訳:
「いいわ、どこで会いましょうか?」諦め顔でナオミがきいた。「庭だったらいいでしょう、ジョンさま」
「ミス、有難う。庭で結構です」こういって彼は、月明かりの中を庭へとつづく砂利道に眼をやった。「あそこなら」と彼はいった。「あそこなら辺りが見られて、他人が聞き耳を立てる気遣いがありません。十時にお待ちしてます」

ジェイゴはこういってから、間をおいてわたしに挨拶した。
「お邪魔しました。お話の中、割り込んでしまって。どうぞお許しのほどを」

ガブガブ訳:
「ホールはいけません、お嬢さん、申し訳ないのですが」
「ホールではだめですって!」
「家の中でもだめです、厚かましいことを言うようですが」
「どういうこと?」彼女はいらいらして振り返り、わたしに訴えた。「あなたなら彼の言うことがわかって?」

ジョン・ジェイゴは、自分で答えるからと、哀願するように私に身振りで知らせた。
「私の話を我慢して聞いてください、ミス・ナオミ。きっと分かっていただけると思うんです。家の中には監視の目があり、監視の耳があります。それに足音も…誰のとは申しませんが…非常に忍びやかなので、気づく人はまずいません」

この最後のほのめかしには、はっと思わせるものがあったようだ。それ以上言うひまを与えず、ナオミは彼をさえぎった。
「それじゃあ、どこがいいっていうの?」あきらめて尋ねる。「庭ならいいわけ、ミスター・ジョン?」
「ご親切にありがとう、お嬢さん。庭で結構です」彼は、月明かりがあたり一面煌々と降りそそいでいる彼方の砂利道を指差した。
「あそこなら、四方を見渡せます。それに誰にも話を聞かれる心配はありません。十時にお会いしましょう」彼は一息ついて、私の方を向いて言った。「お二人の会話の邪魔をしてしまいまして、謹んでお詫びいたします。どうかお許しのほどを」

みかんみかん訳:
「広間は困るな、お嬢さん」
「広間ではだめだっていうの!」
「屋敷のなかというのは、どこであろうが、困るんですよ」
「それって、どういうこと?」苛立ったナオミは彼に背を向けると、わたしに向かって強い口調で訊ねた。「あなたは、あのひとの言うことが呑み込めた?」

ジョン・ジェイゴは、ここは自分に言わせてくれと、すがるような眼差でわたしに訴えた。
「もう少しおれの話を聞いてくださいよ、ミス・ナオミ。そうすれば、あんただって納得するはずさ。屋敷のなかっていうのはね、壁に耳あり、の状態なんだよ。それに、こっそり人のあとをつけるようなやつだっている----誰とは言わないでおくがね----そういうやつは忍び足で近づいてくるから、見とがめられないものさ」

最後の皮肉はお見事だった。ナオミは、彼がふたたび口を開く前に、話を引き取った。
「わかったわ。それならどこがいいの?」そう訊ねた彼女は、すっかり観念した様子だった。「庭ならどう、ミスター・ジョン?」
「庭ならもってこいだ、ほんとうに恩に着るよ、お嬢さん」そう言うと、彼は前方を指差した。指先の向こうには、玉砂利を敷き詰めた小道が月明かりに照らされていた。
「あそこにしょう」と彼は言った。「あそこなら、周りに遮るものは何もないし、誰かに聞かれる心配もない。時間は十時」彼は少しばかり間をおくと、わたしに言葉をかけてきた。「申し訳ないね、ミスター。あんたの邪魔をしちまって。どうか勘弁してください」

藤岡訳:
「広間では駄目なんです、すみません、勝手をいって」
「広間では駄目なの」
「いずれにしても、家の中ではなく。ほんとうに、勝手ですが」
「どういうことなのかしら」彼女はいらいらした様子でわたしに向かい、「あなたは、この人のいうこと分かるの?」と訊いてきた。

ジョン・ジェイゴは、ここは自分に答えさせてくれと、まるで懇願するような身振りをみせた。
「ご免なさい、ミス・ナオミ」と、彼はいった。「こういえば、分かってもらえますね。この屋敷の中ではそこかしこ、どこでも監視の目が光っているんです。もちろん、足音もきこえます――それがだれのものか、お分かりでしょう――だれだって気がつかないほどの、すごい忍び足なんです。

忍び足、といったところで、誰のことであるかが分かった。これ以上ジェイゴが語らぬようナオミがさえぎった。
「いいわ、どこで会いましょうか?」諦め顔でナオミがきいた。「庭だったらいいでしょう、ジョンさま」
「ミス、有難う。庭で結構です」こういって彼は、月明かりの中を庭へとつづく砂利道に眼をやった。「あそこなら」と彼はいった。「あそこなら辺りが見られて、他人が聞き耳を立てる気遣いがありません。十時にお待ちしてます」


ジェイゴはこういってから、間をおいてわたしに挨拶した。
「お邪魔しました。お話の中、割り込んでしまって。どうぞお許しのほどを」

ここで今回の第8回もおしまいですが、どうだろう、訳文を読んでいて感じられたことがなかったかな。そう、みかんみかんさんのジョン・ジェイゴの言葉だ。この男の風貌よろしからず、また「野卑な眼」の持ち主なので、ナオミに懇願しているのに、ずいぶんと乱暴な言葉遣いです。みかんみかんさん、「あえて」こうしたのなら、先に行ってジェイゴの調子を崩さないように。

2009年12月17日記

―― 「わたしの新訳」に挑戦しましょう ――

本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦します。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」をはじめとして、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでほしい」と希望されれば、本講座の藤岡先生が原文・翻訳を読み、一応のレベルに達していると判断したら(あるいは何回かダメをだして改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。翻訳する作品は、版権がない(原則没後50年たった)英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイ。サキ、O・ヘンリー、ビアスなどの短篇作家には、新しい翻訳が望まれていますよ。ハーディーやD.Hロレンスにも短編があります。

応募を受けて推薦しない場合、その旨を伝えします。

手をつけている作品がありますか? 新刊の版権フリー本だけが市場ではありませんよ。編集部宛てに「自己紹介」と翻訳する作者(作品)を教えてください。手順を案内します。

新企画、ぞくぞく

この欄でご紹介させていただいた北海道在住の「みゅうの母」さんこと佐藤志敦(さとうしのぶ)さんのバーネット夫人『わたしのロビン』。奥津絵葉さんの素敵な文章とともに掲載し、大変好評でした。みなさまも、あたためている企画がある、大好きな作家のわたしなりの新訳をした、など、発表したい作品があったら編集部までご連絡下さい。佐藤さんからは、次回作の企画書の提出もあり、今、一緒に練っているところです。また、他の方々からの企画書も検討中。『わたしの新訳』コーナーは、にぎやかになりそうです。翻訳したものがある、翻訳したからには誰かに読んでもらいたい、けど、自信がない、はずかしい…などと躊躇している方。心配しないで下さい。藤岡先生が的確なコメントとアドバイスをくださいます。

ここで、藤岡先生が佐藤さんに宛てたフィードバックの一部を紹介します。これから挑戦されることを検討していらっしゃるみなさまに、参考にしていただければ幸いです。

藤岡先生コメント(抜粋)

  • 提出していただいた翻訳は、翻訳コンテストでは優秀作でしょうが、でも、これを翻訳者が実名で発表するとなると、もうひと工夫ふた工夫がほしくなります。登竜門への挑戦です。頑張りましょう。
  • (藤岡先生の)参考訳をよくごらんください。翻訳しながら悩んだこと、迷ったことへの回答があるでしょう? 英文解釈もさることながら、この作品は低学年の子供たちが読むものです。こどもの読解力に迎合してやさしくするのではなく、一定の語彙・表記・表現の幅を踏まえながら、子供たちに日本語の正しい発想で読み書きすることを教えなければなりません。いわゆる「翻訳臭」を徹底的に避けます。基本的には、みゅうの母さんの日本語は温かく、すてきな感性を表しています。
  • 語りかける作家の姿勢は?ここで翻訳者は「翻訳者」でなく、日本の作家にならなければ駄目でしょうね。参考訳は一案で、他にもいろいろ考えられるところです。この商品の「決め手」になるでしょう。

このほか、原稿のフォーマットについての指示など丁寧なアドバイスをしています。
藤岡先生の参考訳は、A4 一頁に及び、訳文を改訂する際に十分な量の訳例を提示しています。
どうぞみなさん、果敢に挑戦してください。お待ちしております。

編集部記

コメント一覧のプリントは>>こちら

2009年12月21日号