入門翻訳勝ち抜き道場

翻訳玉手箱

藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 第2期第1回
ウィルキー・コリンズ作『死者は生きていた』

藤岡啓介
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迎える言葉

新しくお弟子さんを迎えるのだから、テキストも新しくしたらいいのに、と思われるかもしれませんが、この講座でとりあげたW.コリンズの“The Dead Alive”は一年かかってやっと第二章を「読み解き訳す」ところまで。全体で十二章あります。しかもこれからサスペンス・ドラマが本格的に展開するところ。やはり続けて読んでいきましょう。天下の大作家コリンズが、全12章を同じ筆致で書いているはずがありません。いきなり新しい文体、語彙、語法が現われて翻訳者は飛び上がります。一つの作品が、だらだらと同じ趣向の繰り返しではないのですね。いくにんもの作家の、それぞれの作品をつまみ食いするのはもったいない気がします。それがどうして、どのようにもったいないのかを、この公開講座で読んでもらいましょう。

マラソンかな、目に飛び込んでくる沿道の風景がすごいスピードで移っていき、上り下りの急坂あり、強風にさらされる長橋ありと、いくつかの難所が現われますが、作品を翻訳するのも同じこと、作家の書く文章です、一様ではありません。

沿道からの声援ではなく、自分が走り出すんだ

みかんみかんさん、ガブガブさん、もうお分かりですね、これまでは沿道で(剣術でいえば「武者窓」かな)、眠り姫とビュシーノさんが走るのを眺めていたのですが、今度は自分が参加するのです。どうです、走りだして気が付くでしょう、これまでのコリンズ講座を読んできたのに、まるで身についていない、楽々走れると思ったのが、とんでもない、苦心、苦悶、苦闘、さらには悶絶、は大袈裟でも、方々で躓いたでしょう。

講座はそれに参加する人のためにあるので、講師が自分の得意とする課題文だけを選んで出題するわけにはいきません。語彙、文章、表現表記法、物語の拵え、人物の性格で、作者がさまざまに工夫を凝らしているのですが、それを読み取るには作品の冒頭の一語から終末の一語まで、しっかりと読んでみなければなりません。

そうやって読んで、やっと一人の作家の一つの作品を読み、解き、訳したことになるのです。でも、作家は一人ではないし、その作家の書く作品は一作だけではないのですね。翻訳マラソンにコースがあって、42.195キロ走ればいいというものではないのです、この地球を何めぐりしても「できた、分かった、訳せた」ということはないでしょう。

「倦まず弛まず」、という言葉がありますが、いっしょに走りましょう。

――課題は第三章の初め、会話ばかりなので「楽勝」だと高を括って訳出を始めたところ、のっけから躓いてしまった。訳出に要した所要時間の合計は不明。後ろ向きの気分になる。

と、これはみかんみかんさんの「自問自答」冒頭にある言葉。ガブガブさんは、

――ナオミの口調をどうするか、いまどきの若い女性が「~ですわ」「~かしら」などと言うの聞かれませんが、なんといっても133年前の米国の話。古典的な女言葉(?)でよしとしました。

まずは小手調べからかな

さあ、新弟子二人を相手の公開講座、面白いぞ!! この二人に、ぼくはまだ会っていない。今なら泣かせてもいいかな?

text 14:
CHAPTER Ⅲ. THE MOONLIGHT MEETING

"I WANT to speak to you," Naomi began "You don't think ill of me for following you out here? We are not accustomed to stand much on ceremony in America."
"You are quite right in America. Pray sit down."
She seated herself by my side, looking at me frankly and fearlessly by the light of the moon.

章の表題はどうしましょう。月の出ている夜に男女が話をしているだけなのにmeetingとは大仰な、といいたいところですが、動詞discussだって「議論」ではなく「ちょっとお話ししたいのですが」の「話す」で使っていることがあるので、ここは「面会、遭遇、出会い」ではなく、「ナオミと交わした話」とでもすると作家の仕掛けが生きて面白いでしょう。「第一章 病気といわれて」「第二章 新しい家族」ときて、そして「第三章 月夜に交わした話」。

ここでガブガブさんは考えました。

――タイトルについて、meetingをどう訳すかで悩みました。この章では私とナオミ、さらにジェイゴが加わり、のちにナオミとジェイゴ、と3様のmeetingが描かれます。タイトルは単数になっているので最後のナオミとジェイゴの対話は省いてもいいのかもしれません。晩餐で会った直後なので「出会い」ではおかしい。「再会」でしょうか。味気ないですね。(最後にナオミと物語の語り部の私が結ばれることなども考えると)。「密会」がロマンチックな響きがあっていいのではないか、ドラマチックな展開も期待されます。語義がちょっと外れるような気もしますが、気の合う二人だけの話し合いは夜ということもあり「密会」に近い感じもします。さらにジェイゴが加わり、秘密めかした相談をするので、まんざら外れてもいないのでは、と思いました。

なるほど。ぼくはここまで具体的に考えていなかった。「密会」なんて、とても思いつかなかった。moonlightに照らされた舞台、というというロマンチックな設定に迷わされたのかな。「コリンズの奴、気取ったな」くらいに読んでfrankly, fearlesslyに訳語を考えたほうがいいな。ディケンズに、月夜に海岸、沖合に燈火が見え隠れして、という叙述があって、うっかり大真面目に格調高く訳していたら、これがドタバタ喜劇の一場だったという経験があります。全体の「流れ」を読みながら訳していかないと、思わぬ不覚をくらいます。

ガブガブさんがナオミの言葉遣いに悩んでいますが、これは翻訳者にとっていつも難題ですね。

She seated herself by my side:60年代、はじめてアメリカに行ったときのこと、レストランにはいったら、“Please be seated(お席にご案内いたします)”という文字が飛び込んできた。動詞のseatなんて受験英語にはなかったぞ、というわけ。ここでは、「わたしのそばに座を占めた」という昔っぽい表現かな。
frankly and fearlessly:この副詞2語がfで始まっているので、訳語もそれらしく同じ音で訳せないかと悩んで、みかんみかんさんは「結局はこの様式美は無視」といっていたけど、これが「様式美」であるか否かは別問題として、頭の音を同じにするのに苦心するよりも、文章全体で、とくに動詞のlook atが生きるように訳したいところ。

みかんみかんさん、考えていますよ。

Oxford現代英英のfranklyの説明に、…way that people might not like とあるが、CobuildとMerriam-Webster (ONLINE) にはそれに該当する記述なし。手元の英和は曖昧。時代背景を考えると、ここではfranklyに「アメリカ流でオープンだ」という意味に加えて、「女だてらに」という色合いをつけた方がよいのではないかという気がする。どうなのか? 結局、「女だてら」には女性を蔑視するニュアンスがあるので逃げる。フェミニストは手強い。

翻訳では「形式ではなく情報を、大胆に、訳すこと」を心がけているが、この文章はお尻からしか訳出できず。しかも、副詞に関する様式美は無視。これでは「対訳に耐えねば翻訳ではない」ことになる。どうすればよいのか??? 嘆息。

そうか、こうしたことを考えるのか。分詞構文を「彼女は坐った、そして、わたしを見つめた」と読むのは「お尻から訳す」のではなく分詞構文の付帯的用法で「頭から訳す」方ですね。

藤岡訳:

「お話ししたいの」と、ナオミがいった。「こうしてあなたを追って出てくるなんて、お行儀悪いと思わないでくださいね。アメリカでは堅苦しいのは通用しないの」
「ここはそのアメリカなんだから、遠慮なく坐りましょう」

彼女はわたしと並んで坐ったが、そうしている間も、月明かりのもとで、おじることなく、じろじろとわたしの様子を見ていた。

藤岡コメント:

ナオミの言葉をどのように設定するか難しいですね。標準語では行儀良すぎるので、ちょっとハスッパにしましたが、まだ元気がないかも。

みかんみかん訳:

「ぜひ、お話ししたいと思って」、そうナオミは口を開いた。「ここまであなたを追いかけてきたらからといって、礼儀知らずな人間だとは思わないで下さいますか。形式張ることはあえて避ける所なのです、ここアメリカは」
「おっしゃる通りですね、ここアメリカは。さあ、どうぞおかけください」

ナオミはわたしの傍に腰を下ろし、月影に照らされながら、まっすぐにこちらを見つめた。

そういえばみかんみかんさん、「月」でも「ナオミの言葉」でも考えています。

――ここでいう「月」とは、どういう月をさしているのか? とても明るい月夜というなら「満月」かという気がする。欧米では満月は不吉なものとされるので、事件を暗示するという意味ではもってこいかもしれない。しかし、もし満月だったとしても、日本語では満月と不吉は結びつかないので、日本語訳に「不吉」なイメージを添えることは(私には)無理。どうすればいいのだろう?

それと、ナオミの台詞のはいかに?「アメリカ娘」とはいえ、19世紀の女性であり、「きちんとした」お嬢さんの言葉を表すのにふさわしい文体はどんなものだろう? 私よりも数百倍もお行儀がよい女性だということは明らか。かといって、読者が「ムズムズして痒く」なるような丁寧語は使いたくない。メディアに登場するセレブ気取りの芸能人の言葉なぞ論外。それに、そもそも私自身の丁寧語・尊敬語があやしいのに。どうすれば???

さて、読者の皆さんのご意見は?日頃の日本語勉強法ですね。【この質問に答える】

ガブガブ訳:

「ぜひ、あなたとお話がしたくて」と彼女は口を切った。「こんな所まで後をついてきたりして、悪くお思いにならないで。アメリカではあんまり形式ばったりしないんです」
「そうでしょうとも。構いませんよ、どうぞお掛けください」

月明かりの下、率直に物怖じすることなく私を見つめながら、彼女は私のそばに腰を下ろし、こう続けた。

text:
"You are related to the family here," she resumed, "and I am related too. I guess I may say to you what I couldn't say to a stranger. I am right glad you have come here, Mr. Lefrank; and for a reason, sir, which you don't suspect." "Thank you for the compliment you pay me, Miss Colebrook, whatever the reason may be."

藤岡訳:
「ここでは、あなたはこの家の親戚で、わたしも、おなじ親戚だわ。だから、赤の他人にいえないことでも、あなたには言えるの。あなたがここに来てくれたの、とても嬉しいわ、ミスター・ルフランク。それには、わけがあるんです。あなたには思いもよらないわけが」
「そうでしたか、どのようなわけかは分からないけど、相談相手と認めてくれたんですね」

藤岡コメント:

ぼくのお粗末な経験だけど、こういうとき「ミスター」とカタカナ語にした方が自然のようですね。「ミスター付き」がわざとらしくない、と訳者が覚悟すればいいのかな。Jane Austen, Pride and Prejudice”の第1章で、奥さんが旦那さんをミスター付きで呼んでいます。結婚前からのこう呼んでいたのか、あるいは結婚後しばらくしてから、牧師館に出入りの人たちが敬意をこめて呼ぶのでついそうなったのか、Mr. Bennet、My dear Mr. Bennetと、家族の中でもこう呼んでいるのですが、ぼくには今のところ分かりません。どなたか教えてくれませんか? 【この質問に答える】

みかんみかん訳:
「ルフランクさんはこのメドウクロフト家の親類にあたられますが」と、ナオミは再び口を開いた。「わたしもそうです。何の縁(ゆかり)もない方には言えないようなことも、あなたにならお話しできそうな気がします。おいで下さってどれほど心強いことか、ルフランクさん。実は事情があるのです、それも、まさかとおっしゃるようなことが」
頼りにしていただけるとは光栄ですよ、コールブルックさん、たとえその事情がどんなものであっても」

藤岡コメント:

みかんみかん、ブガガブのお二人さん、ナオミの言葉遣いに悩んでいるのだけど、このパラグラフが際立っていますね。どう際立っているか。丁寧語を遣いすぎる。こうした会話は半世紀前の東京でもあり得ない。翻訳者は東京山の手の奥さんたちの言葉が使えなければ駄目だ、という説がありますが、実は山の手の奥さま言葉はもはや古語・死語なんですね。奥さま族はもぅ消滅しています。現代語訳での女性の標準語はNHKの教育を身につけた女性アナウンサーの言葉かな。

ガブガブ訳:
「あなたは当家の親戚でいらっしゃるし、私もそうです。縁続きのよしみでもなければ言えないようなことを申しあげるかと思いますけれど。ルフランクさん、あなたがここに来てくださって私、本当にうれしいんです。でもそれはあなたの思いもよらない理由があるからなんです」
「ミス・コールブルック、どんな理由があるにせよ、そう言ってもらえて光栄ですよ」

「考えなし」で考えた

text:
She took no notice of my reply; she steadily pursued her own train of thought.
"I guess you may do some good, sir, in this wretched house," the girl went on, with her eyes still earnestly fixed on my face. "There is no love, no trust, no peace, at Morwick Farm. They want somebody here, except Ambrose. Don't think ill of Ambrose; he is only thoughtless. I say, the rest of them want somebody here to make them ashamed of their hard hearts, and their horrid, false, envious ways.

藤岡訳:

ナオミはわたしの答えなどお構いなしに、順を追って自分の考えをまとめているようにみえた。
「あなただったら、このみじめな家で、きっと、何かしてもらえるのではないかと思って」

ナオミはこう言って、なおもわたしの顔を真剣な眼差しでじっと見つめていた。

「このモーウィック農場には、愛も、信頼も、平和もないの。だれか第三者がいなければ駄目なんです。アンブローズは別ですけれど。あの人のことを悪く思わないでくださいね。アンブローズはただ考えなしなんです。そうなんです、他の人たちは、だれかがここにいて、自分たちがどれほど恥っ知らずか、思い知らせてやらなければいけないの。すごく冷酷で、平気で怖ろしいことをやったり、騙したり、嫉んだり。

藤岡コメント:

日ごろ「等価等量」の翻訳といっていますが、この部分、文字数が多いですね。どうしてか? 後半で言葉の補いをしたり、言い換えていて、思わず長くなりました。原文のように、to make them ashamed ofと、うまい言い方ができるといいのですが、「彼らをして~たらしめる」という言い回しは日本語では難しいですね。

みかんみかん訳:

そう返したわたしの言葉はナオミの耳には入らなかった。彼女はひとり考え事に耽っていたのだ。

「あなたなら何とかして下さる気がするのです、レフランクさん、この不幸な家を」ナオミは、わたしを真正面から見据えたまま、話を続けた。「ここには愛情もなければ、信頼関係も、和やかな雰囲気もありません、このモーウィック農場には。この家の人たちは第三者を必要としているのです。でも、アンブローズだけは違います。あのひとのことを、どうぞ悪くは思わないで下さい。あのひとはただ軽はずみなだけです。わたしが言おうとしているのは、アンブローズ以外の人たちに、その冷酷さや、厭らしく欺瞞的で嫉妬深い物言いや態度がどれほど破廉恥なことか思い知らせるためには、第三者の手がなくてはならない、ということです。

彼女はひとり考え事に耽っていたのだ:みかんみかんさん、pursued her own train of thoughttrainが問題だったな。「一連の考え」ではおかしいと考えたんだ。たしかにおかしい。「一つの問題にあれこれと考えを巡らせる」といったニュアンスかな。ガブガブさんの訳が悩みを振り払って明快だったな。

ガブガブ訳:

こちらの返答を気にも留めず、彼女は頭にある一連の考えをずっと追っていた。
「あなたが、この不幸な家で何かしら良い影響をおよぼしてくださると思うからですわ」なおも真剣なまなざしをこちらに向けたまま、そう先を続けた。「モルウィック農場には、愛もなければ信頼も平和もありません。ここの人たちには誰かが必要なんです。アンブローズは別ですわ、彼のことを悪く思わないでください。考えが足りないだけなんです。ですが、ほかの人たちには、自分たちの薄情さや、あの恐ろしい、不誠実で、嫉妬深いやり方を恥ずかしく思わせてくれる人がいないんですわ。

thoughtless:考えが足りないだけなんです。ここも面白い問題がありますね。「考えが足りない」というと何か特定の問題で正しい行動が起こせない、と思えます。「考えなし」とすると、「何かにつけて深く考えない」ときこえますよ。

さて、読者の皆さんは?【この質問に答える】

There is no love, no trust, no peace, at Morwick Farm.:下に三通りの訳文を並べてみました。

――ここには愛情もなければ、信頼関係も、和やかな雰囲気もありません、このモーウィック農場には。(みかんみかん訳)

――モルウィック農場には、愛もなければ信頼も平和もありません。ここの人たちには誰かが必要なんです。(ガブガブ訳)

――このモーウィック農場には、愛も、信頼も、平和もないの。だれか第三者がいなければ駄目なんです。(藤岡訳)

わずか11文字の英文ですが、訳者によって違いが出てきます。読点のうちどころも読み取って、訳文を評価するといいですね。それぞれ、自分の訳がいいと思っていますよ。問題は、著者がlove、trust、peaceという、日本文学だったら作家が避ける抽象名詞を並べ立てていることですね。みかんみかんさんは対応語で工夫しています。これも一つの訳出法です。一方、ガブガブさんと藤岡さんは漢語で。これも見識かな。

イタリック体、セミコロンで考える

text:
You are a gentleman; you know more than they know; they can't help themselves; they must look up to you. Try, Mr. Lefrank, when you have the opportunity--pray try, sir, to make peace among them. You heard what went on at supper-time; and you were disgusted with it. Oh yes, you were! I saw you frown to yourself; and I know what that means in you Englishmen."

they must look up to you.:彼らはあなたを尊敬するに違いない。あなたのロンドンでのお仕事からして、年が若いといっても、だれもが尊敬に値する人物なのだから、遠慮しないで仲裁に乗り出してください、という意味でしょう。
I know what that means in you Englishmen.:あなたが眉を寄せたのを見ましたよ、そして、その眉を寄せたということは、あなたのような英国人の場合、何を意味するか、わたしは理解しています。

イタリック体の表記が2箇所もあります。当該語を強調しているので、ナオミの願いがいかに切実なものであるかを語っています。縦組みの翻訳小説ではイタリック体を使いません。そもそも斜体文字は日本語の表記になかった書体で、あの五筆をうたわれた弘法さまもご存じない書体。岩波文庫の学術書では、イタリックやゴシックの対応部分に傍点を打ったり、傍線を引いたりしていましたが、現代ではもうそんな野暮なことをして訳文を汚す翻訳者はいないでしょう。語意、文意を強調するなら、それこそ訳者の筆力で自然な日本語の流れの中で、読者にはっきり伝えられます。

ここで再びみかんみかんさんのコメント。

――セミコロンが続くときには、リズムをよくするために、また文意を明確にするために接続詞を使いたくなる。これは邪道だろうか?

ご安心を。邪道ではありません。セミコロンは単に等位接続詞ではないのですね。記号ダッシュもそうですが、文章にリズムを与えているのですね。それと、視覚的な効果もあるでしょう。

さて、text:14はここまで。前回末尾に新弟子二人の訳文を掲げたので、ここでは藤岡訳をまとめて掲げます。

藤岡訳:

「お話ししたいの」と、ナオミがいった。「こうしてあなたを追って出てくるなんて、お行儀悪いと思わないでくださいね。アメリカでは堅苦しいのは通用しないの」
「ここはそのアメリカなんだから、遠慮なく坐りましょう」

彼女はわたしと並んで坐ったが、そうしている間も、月明かりのもとで、おじることなく、じろじろとわたしの様子を見ていた。

「ここでは、あなたはこの家の親戚で、わたしも、おなじ親戚だわ。だから、赤の他人にいえないことでも、あなたには言えるの。あなたがここに来てくれたの、とても嬉しいわ、ミスター・ルフランク。それには、わけがあるんです。あなたには思いもよらないわけが」
「そうでしたか、どのようなわけかは分からないけど、相談相手と認めてくれたんですね」

ナオミはわたしの答えなどお構いなしに、順を追って自分の考えをまとめているようにみえた。
「あなただったら、このみじめな家で、きっと、何かしてもらえるのではないかと思って」

ナオミはこう言って、なおもわたしの顔を真剣な眼差しでじっと見つめていた。

「このモーウィック農場には、愛も、信頼も、平和もないの。だれか第三者がいなければ駄目なんです。アンブローズは別ですけれど。あの人のことを悪く思わないでくださいね。アンブローズはただ考えなしなんです。そうなんです、他の人たちは、だれかがここにいて、自分たちがどれほど恥っ知らずか、思い知らせてやらなければいけないの。すごく冷酷で、平気で怖ろしいことをやったり、騙したり、嫉んだり。あなたは紳士だわ。あの人たちよりも、ずっと心得があるわ。あの人たち、自分ではどうしようもないのよ。それにあなたは、あなたは紳士なんだから、あの人たち、一目置いて当然なんだわ。ねえ、ミスター・ルフランク、折を見て、お願いですから、あの人たちを仲直りさせてくださいよ。食事のときの様子でお分かりでしょう。うんざりしたんでしょう。そうだわ、わたし見たの、あなた、眉をひそめていたわ。あれは、うんざりしたときの英国紳士の顔だわ」

―― 「わたしの新訳」に挑戦しましょう ――

本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦します。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」をはじめとして、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでほしい」と希望されれば、本講座の藤岡先生が原文・翻訳を読み、一応のレベルに達していると判断したら(あるいは何回かダメをだして改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。翻訳する作品は、版権がない(原則没後50年たった)英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイ。サキ、O・ヘンリー、ビアスなどの短篇作家には、新しい翻訳が望まれていますよ。ハーディーやD.Hロレンスにも短編があります。

応募を受けて推薦しない場合、その旨を伝えします。

手をつけている作品がありますか? 新刊の版権フリー本だけが市場ではありませんよ。編集部宛てに「自己紹介」と翻訳する作者(作品)を教えてください。手順を案内します。

挑戦者、あらわる

この提案には、これまで数名からの提案がありましたが、ついに「一応のレベルに達している」挑戦者があらわれました。北海道在住の「みゅうの母」さんです。みゅうの母さんは、「公開講座 プロになるぞ!!」を熱心に勉強されており、多くのコメントもお寄せくださっています。この度、長年温めてきた翻訳作品を編集部に持ち込まれました。藤岡先生からのフィードバックを元に、ただ今、改訂版に取り組んでらっしゃいます。『わたしの新訳』コーナーに発表する日も近いかもしれません。

さて、ここで、藤岡先生がみゅうの母さんに宛てたフィードバックの一部を紹介します。これから挑戦されることを検討していらっしゃるみなさまに、参考にしていただければ幸いです。

藤岡先生コメント(抜粋)

  • 提出していただいた翻訳は、翻訳コンテストでは優秀作でしょうが、でも、これを翻訳者が実名で発表するとなると、もうひと工夫ふた工夫がほしくなります。登竜門への挑戦です。頑張りましょう。
  • (藤岡先生の)参考訳をよくごらんください。翻訳しながら悩んだこと、迷ったことへの回答があるでしょう? 英文解釈もさることながら、この作品は低学年の子供たちが読むものです。こどもの読解力に迎合してやさしくするのではなく、一定の語彙・表記・表現の幅を踏まえながら、子供たちに日本語の正しい発想で読み書きすることを教えなければなりません。いわゆる「翻訳臭」を徹底的に避けます。基本的には、みゅうの母さんの日本語は温かく、すてきな感性を表しています。
  • 語りかける作家の姿勢は?ここで翻訳者は「翻訳者」でなく、日本の作家にならなければ駄目でしょうね。参考訳は一案で、他にもいろいろ考えられるところです。この商品の「決め手」になるでしょう。

このほか、原稿のフォーマットについての指示など丁寧なアドバイスをしています。
藤岡先生の参考訳は、A4 一頁に及び、訳文を改訂する際に十分な量の訳例を提示しています。
どうぞみなさん、果敢に挑戦してください。お待ちしております。

編集部記

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2009年7月13日号