藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 第1回
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す。
この公開講座では、読者のみなさまの参加も取り入れていきます。
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お寄せいただいた書きこみは、誌上で発表することもありますのでご了承下さい。
いつもの調子でおしゃべりすると、今回の課題文だけでA4で20頁にはなるでしょう。それでは読者が読んでくれない、読んでもらわなければ「公開講座」の意味がない、したがって、できるだけコンパクトにまとめます。1篇の小説を読み切ろうという企画で、8月25日号で予告したように英国ヴィクトリア朝の作家ウィルキー・コリンズの作品。コリンズの人物やその周辺については講義の中で触れていきます。彼の『月長石』『白衣の女』も面白いけど、コリンズ自身も小説的な人物ですよ。
講座は、まず原文を掲げ、ついで、二人の新弟子さんの訳文、解題、藤岡訳、と進めますが、読者の皆さんも弟子入りしたつもりで、「解題」に入る前に課題のテキストを翻訳し、それを新弟子さんの訳文と比較検討してください。この段階が入門者にとってもっとも大切なところです。文章を「鑑賞する」「比較・評価する」習慣が身につかないと、いつまでたっても「読むに堪える翻訳」になりません。
色のついているところをクリックしてください。「解題」で触れない雑知識や表記法をとりあげています。また、【この質問に答える】では読者の皆さんの参加をお待ちしています。どしどし書きこんでください。今後の講義の参考にし、また読者の生の声として、誌面でまとめて発表します。
Text 01:
By Wilkie Collins
CHAPTER 1. THE SICK MAN
"HEART all right," said the doctor. "Lungs all right. No organic disease that I can discover. Philip Lefrank, don't alarm yourself. You are not going to die yet. The disease you are suffering from is--overwork. The remedy in your case is--rest."
So the doctor spoke, in my chambers in the Temple (London); having been sent for to see me about half an hour after I had alarmed my clerk by fainting at my desk. I have no wish to intrude myself needlessly on the reader's attention; but it may be necessary to add, in the way of explanation, that I am a "junior" barrister in good practice. I come from the channel Island of Jersey. The French spelling of my name (Lefranc) was Anglicized generations since--in the days when the letter "k" was still used in England at the end of words which now terminate in "c." We hold our heads high, nevertheless, as a Jersey family. It is to this day a trial to my father to hear his son described as a member of the English bar.
眠り姫訳:
生きている死者
第一章 病人
『心臓、大丈夫ですね。肺、大丈夫ですね。内臓に疾患は発見できませんよ。フィリップ・レフランク。不安にならないで、今すぐには死にませんよ。レフランクさんが苦しんでいる病気は過労によるものですよ。あなたの場合、治療は休息することです』と医師は言いました。
このように医師はテンプル(ロンドン)にある、僕の弁護士事務室で話しました。僕が机で気を失って、事務員を心配させた後、30分位、僕を診察しに来てくれるよう頼まれていたのです。僕は必要もないのに、読者の関心に自分自身を無理に押し付けることを望まない。しかし、説明という方法で、僕が熟練した『二代目』の法廷弁護士であることを付け加えておく必要があるかもしれない。僕はジャージー島というチャネル諸島出身です。レフランク(Lefranc)という僕の名前のフランス語のつづりは同世代の人々にその時以来、英語化されました。-今日『c』で終わる言葉の最後に『k』という文字がイギリスでまだ使われていた時代に。それにもかかわらず、ジャージー一家として僕達は毅然とした態度を取っていた。イギリスの弁護士会の一員として息子が物語られるのを聞くことは、僕の父親にとって今でも試練なのです。
ビューシノ訳:
生死の行方
第一章 病人
「心臓は問題なし、」と医師は言った。「肺も問題ありません。どこにも異常はありませんよ。安心してください、フィリップ・レフランク。まだ死ぬようなことはないから。あなたの病気はまあ、働き過ぎですね。この場合の治療法はですね、ゆっくりと休むことです。」
ロンドンのテンプルにある法曹学院内の事務室で医者はそう診断を下した。机で仕事中に倒れ事務員を驚かせた約三十分後に往診に呼ばれたのだった。読者の注意をいたずらに引く気はないが、話を分かりやすくする為に付け加えさせてもらおう。私は腕のいい若手の法廷弁護士であり、イギリス海峡のジャージ島の出身だ。フランス語綴りでの私の名前「Lefranc」は何世代も前に英語化されたが、その頃の英国では、今日「c」で終わる単語の語尾にまだ「k」が使われていた。いずれにせよ、我々はジャージの一族として誇り高く振舞っている。今では英国弁護士界の一員として裁判に出る息子の名を父が耳にするのだ。
解題:
"HEART all right," said the doctor. "Lungs all right. No organic disease that I can discover. Philip Lefrank, don't alarm yourself. You are not going to die yet. The disease you are suffering from is--overwork. The remedy in your case is--rest."
書き出しが引用符“”の会話から始まっています。短編小説ではこうした書き出しがよくあります。会話だと、どういう言葉遣いで訳そうか、「……です、ます調」か「……だ、だよ」か、どちらにしようかと迷うし、人称代名詞も問題です。今回の課題文から少し先を読むと、主人公と医者とが親しい関係だと分かるので、ここはいわゆる主治医ですから丁寧だけど砕けた言葉で訳したいところ。
No organic disease that……:英和をみると「器質性疾患」になりますが、これは専門用語すぎるので、ここでは「臓器、内臓」という程度でどうでしょう。否定詞Noがついているので、「全くない」。
The disease you are suffering from is--overwork.:文中の記号ダッシュ – は「中断」のダッシュで、医者が一息入れて言葉を選んだところ。「あなたが苦しんでいるその病気は、過労です」と読めばいいですね。
……といった、では読者が逃げます
So the doctor spoke, in my chambers in the Temple (London); having been sent for to see me about half an hour after I had alarmed my clerk by fainting at my desk. :
いよいよ翻訳者の腕の見せ所。ずいぶん大げさな言い方ですね。それならば、とこちらも漢文素読文にならって頭から追ってみます。「そのように医者は語った、テンプル(ロンドン)にある私の事務所で。(彼は)私を診察するべく呼ばれた、30分ほど後に、私が私の机で失神したことで私の書記が驚いた(30分ほど後に)。
これでは困ります。原文の運びを重んじると「……と、医者がいった」になりますが、いかにも翻訳調。しかも冒頭の数行に内にこれが出ると読者は逃げます。
日本の作家はこうした発想をしないでしょう。この後に続く文を見ながら、思い切って、「半時間ほど前だったか、机に向かって仕事をしていて卒倒してしまい、驚いた書記が医者を……」と考えられるといいいのですが。ではspokeの「……といった」はどうした?といわれそうですが、次に、「呼んだのだが、診立てはこんな調子だった」とすると、なめらかな日本語になります。
眠り姫訳:
『心臓、大丈夫ですね。肺、大丈夫ですね。内臓に疾患は発見できませんよ。フィリップ・レフランク。不安にならないで、今すぐには死にませんよ。レフランクさんが苦しんでいる病気は過労によるものですよ。あなたの場合、治療は休息することです』と医師は言いました。
ビューシノ訳:
「心臓は問題なし、」と医師は言った。「肺も問題ありません。どこにも異常はありませんよ。安心してください、フィリップ・レフランク。まだ死ぬようなことはないから。あなたの病気はまあ、働き過ぎですね。この場合の治療法はですね、ゆっくりと休むことです。」
ごてごてした文章をあっさりと
I have no wish to intrude myself needlessly on the reader's attention; but it may be necessary to add, in the way of explanation, that I am a "junior" barrister in good practice.:難しい単語はないのですが、大昔の大学入試に出るような文章です。でも、自由自在な書きっぷりの現代小説の文章を見ると、こうした硬い表現の方が以外と誤訳が少なくなりますね。洋の東西を問わず、昔の作家たちはまず「ペンの人」をもって任じていたのです。常套語句を多用した表現ではなく、新鮮で個性的な文章を書くのが作家でした。ディケンズはinimitable(真似のできない)文章と評され、得意になっていました。コリンズはそのディケンズに共同執筆を持ちかけられたほどの文章家です。といって文語調にいかめしく訳してはコリンズが軽快に語る物語にふさわしくなくなります。とりあえず、上の文を頭から訳すと、
――私は自分自身を押し付けようとは望んでいない、不必要に、読者の注意を。だが、それは付け加える必要があるだろう、弁解のやり方で、私は繁盛している「ジュニア」という下級法廷弁護士であること、を。
となりますが、この文で作者は「遅ればせながら自己紹介をしますね」といっているのです。そんな調子を訳文で出せればいいですね。軽く挿入するつもりで、
――大げさに言うつもりはないが、少々状況を説明しておいた方がいいだろう。このとき、私はロンドンのテンプルで弁護士事務所を開いていた。いわゆる「ジュニア」といわれる下級法廷弁護士だが、前途有望、というところだった。
とすると、読者がついてきませんか?
眠り姫訳:
このように医師はテンプル(ロンドン)にある、僕の弁護士事務室で話しました。僕が机で気を失って、事務員を心配させた後、30分位、僕を診察しに来てくれるよう頼まれていたのです。僕は必要もないのに、読者の関心に自分自身を無理に押し付けることを望まない。しかし、説明という方法で、僕が熟練した『二代目』の法廷弁護士であることを付け加えておく必要があるかもしれない。
ビューシノ訳:
ロンドンのテンプルにある法曹学院内の事務室で医者はそう診断を下した。机で仕事中に倒れ事務員を驚かせた約三十分後に往診に呼ばれたのだった。読者の注意をいたずらに引く気はないが、話を分かりやすくする為に付け加えさせてもらおう。
難文には大ナタをふるって挑戦
I come from the channel Island of Jersey. The French spelling of my name (Lefranc) was Anglicized generations since--in the days when the letter "k" was still used in England at the end of words which now terminate in "c."
初めてこの作品を読んだときは、ふんふんと読み流していたのですが、いざ翻訳するとなるとひどく厄介な文章です。ここですんなりと訳せればもう免許皆伝ですが、そうはいかない。大ナタをふるって「イザ参れイザ」ですが、まずチャネル諸島です。辞書やWEBサイトでおおよその事情が理解できますが、このチャネル諸島は英国王室保護領で英語が公用語であっても、そもそもがフランス文化圏なのですね。あのトマス・ハーディーのご先祖さまがジャージー島出身であると聞くと、ハーディーがWessexという地名を創り出し「ウェセックスもの」を書いていたのもなんだか理解できそうです。彼は異境の地にあってobscure意識が強かったのではないか、と。
脱線してしまいました。コリンズはイングランドの生まれです。彼にはハーディーのようなコンプレックスはなかったのでしょう。あのお行儀にうるさいヴィクトリア朝のロンドンで、結婚という制度を無視して堂々と二つの家庭をもっていたのです。愛人問題、離婚問題で哀れなほど世論を気にしていたディケンズとは大違いです。(ディケンズのような大作家ではなかった、ともいえますが。)
ところでテキストですね。
I come from the channel Island of Jersey.
「英国の保護領といってもフランスに近い、チャネル諸島のジャージー島の出身である」と補っておきたいですね。英国人なら名前やその綴りを見ただけで察しがつくでしょうが、外国人のわれわれには無理です。
さて、いよいよ難文ですが、文意をはっきり理解するためには逐語訳がいいですね(括弧で解釈を加えました)。
――私はチャネル諸島のジャージー島の出身である。フランス語綴りの私の名前Lefrancは、英語化された数世代以前のものだった(数世代昔に英語化されて末尾がkになっていた)、それはどういう時代かというと、言葉の末尾で、現代英語でcで終わる言葉に文字kを使っていた時代だった。(私の名前はフランス風にLefrancとなっているが、数世代昔は英語風にkだった。当時は現代では末尾がcで終わる言葉がkで結ばれていた。)
眠り姫訳:
僕はジャージー島というチャネル諸島出身です。レフランク(Lefranc)という僕の名前のフランス語のつづりは同世代の人々にその時以来、英語化されました。-今日『c 』で終わる言葉の最後に『k 』という文字がイギリスでまだ使われていた時代に。
ビューシノ訳:
私は腕のいい若手の法廷弁護士であり、イギリス海峡のジャージ島の出身だ。フランス語綴りでの私の名前「Lefranc」は何世代も前に英語化されたが、その頃の英国では、今日「c」で終わる単語の語尾にまだ「k」が使われていた。
We hold our heads high, nevertheless, as a Jersey family. It is to this day a trial to my father to hear his son described as a member of the English bar.:
――それにもかかわらず(名前の綴りが英語化されているが)、ジャージー一族として毅然としている。それは、私の父親にとって今日でも苦痛である、(それとは)彼の息子が英国法曹界の一員であることを耳にすること。
さて、新弟子さんたち、どう訳しているかな?
眠り姫訳:
それにもかかわらず、ジャージー一家として僕達は毅然とした態度を取っていた。イギリスの弁護士会の一員として息子が物語られるのを聞くことは、僕の父親にとって今でも試練なのです。
ビューシノ訳:
いずれにせよ、我々はジャージの一族として誇り高く振舞っている。今では英国弁護士界の一員として裁判に出る息子の名を父が耳にするのだ。
どうでしょうか? なるべく理解しやすいようにと気配りをして講義をしてきたつもりですが、こうした調子でいいですか?
【この質問に答える】
眠り姫、ビュシーノの二人はどう読むかな、もう次の課題文に入っていると思うけど、率直な意見を聞かせてください。現在のところ、二人の翻訳力は「翻訳以前」だけど、苦心している様子は読めますよ。がんばって!!
第一章 病気といわれて
「心臓はいいし、肺も問題なし。診たところ、臓器に異常はないようですね。さてさて、フィリップ・レフランク、何も心配はないようですよ。いまのところ、とても死ぬなんて考えられない。あんたが病気と言っているのは、おそらく、過労だな。ちょうどいいから、しばらく休養をとりなさい、それが何よりの療法ですね」
半時間ほど前だったか、事務所で仕事をしていて卒倒してしまい、驚いた書記が医者を呼んだのだが、診立てはこんな調子だった。大げさに言うつもりはないが、少々状況を説明しておいた方がいいだろう。このとき、私はロンドンのテンプルで弁護士事務所を開いていた。いわゆる「ジュニア」といわれる下級法廷弁護士だが、前途有望、というところだった。英国王室保護領といってもフランスに近いチャネル諸島のジャージー島の出身で、何世代か昔は、私のフランス語綴りの名前「レフラン(Lefranc)」の末尾が英語化されてkになっていた。現代では末尾がcで終わる言葉がkで結ばれていたのだが、それはさておき、私たちはジャージー出身の一族として誇り高く暮らしているといっていいだろう。もっとも、私が英国法曹界の一員であるのを耳にすると、今日でも郷里の父親は苦々しく思っているのだが。




















