藤岡啓介の翻訳玉手箱 第3篇
公開講座 プロになるぞ!! 第2期第11回
ウィルキー・コリンズ作『死者は生きていた』
この藤岡コメント:は一覧表で本文とは別に印刷できます。
読者参加を歓迎する【この質問に答える】も設けています。
当該個所の質問だけでなくどしどしご意見を寄せてください。
なお、“The Dead Alive”の原文は【text】をクリックすると現われます。
第一期で、第一章と第二章が終了しました。
藤岡先生の全訳はこちらです。
→ウィルキー・コリンズ作、藤岡啓介訳 『死者 は生きていた』 [PDF 版]
前々回になりますが、翻訳者が雑誌の座談会で「これだけハードルを下げているのに、外国名だから登場人物の名前が覚えられないっていうのは、はっきり言って小説を読まない人の言いがかりだと思う」と発言していたのを、この翻訳者の姿勢おかしくないかしら? とみかんみかんさんが疑問に思って便りをくれました。皆さんの【回答】を求めましたのですが、いくつか、意見が寄せられています。これに、ぼくの感想も含めて、次号で取り上げますね。今回は、二人の可愛いお弟子さんの武者修行への送る言葉です。
贈る、送る言葉
ガブガブさん、みかんみかんさん、頑張りましたね。課題訳は月1回か、月によっては2回でしたね。300語前後の文章を訳すのですから、たいして難しくない、おまけに匿名だ、誤読・誤訳があっても正面きって恥をかくわけでない、と気楽に構えたと思いますが、二人の「感想」を読んでもお分かりのように、匿名だろうと、自分の訳文を「曝す」のは大変なことです。みかんみかんさんが、この「講座」をクリックして自分の訳文をみるとき「髪の毛が一本一本ピンセットで抜かれるよう」な思いをした、といっていますが、たしかにそうでしょう。でも、読み終わると(ぼくの解題を読むと)、ふつふつと元気が湧いてきたんじゃないかな。「負けるものか、いつか師匠にぎゃふんといわせるぞ!」というど根性がむくむくと首をもたげてきたでしょう。その根性を忘れないように。
せっかく翻訳を勉強したのに、ぜひともという原書を探し企画書を作成したが出版社に売り込めなかった、生活の変化で継続できなくなった、文芸ものではとうてい食えないと分かったので諦めた、と「挫折」していく人がいます。そうかと思えば、「執念」が岩をも打ち砕いたのでしょう、5年目にやっと訳書を世に出した人もいます。
ぼくのところで翻訳を勉強する人たちにいつもいっているのですが、ものになるには5年かな、10年かな、英語ができるくらいでは翻訳できないよ、と冷や水をかけていますが、事実、年齢の若い、30代そこそこであったら、まずは10年かかるでしょう。翻訳者は原則として、原書の著者と同じ教養と表現力をもたねばならない。もちろん得意とするジャンルは異なっても、その「異なり」を理解する力がなければない。大変な学問だな。
機会を得て、新刊書の一部分を翻訳して出版社の編集者に見てもらうとして、何を評価してもらえるのか。あなたの語学力じゃない、そんなもの評価の対象にならない。語学力をまともに評価できる編集者なんていやしない。英検とかTOEIC、どこぞの機関が認定する資格、それがどれほどすごくても、評価しない、いやできない、のです。そりゃそうでしょう。運転免許証をもっているといっても、安全運転が保証されるわけではない。外国の大学で博士号を取得してきたといったところで、編集者はあなたと運命を共にするかな。そうですね。編集者にとって、あなたの翻訳を世に出すのは、あなたの免許証を信じてあなたの運転する車に同乗するのと同じ覚悟がいるのです。(あなたが免許証にどれほどの時間と資金を投じたか、大学を卒業して(自分に相応しい)翻訳環境を構築するのに何千万かかったか。みんな投資をしていますね。)
新しい著者を得て、新しい翻訳者を世に出すのは、出版社の投資なのです。
編集者が評価するのは、あなたの日本語の表現力です。「講座」では読解力、構文・文法・語彙・語法などの解説があって、それから訳文の表現が議論されるのですが、出版社の編集者はいきなりあなたの文章を読みます。頭の10行も読めば、この翻訳が使えるかどうか(出版できるかどうか)の判断がつきます。
だからどうだというのだ?
そう考えるでしょうね。まずは、匿名なく実名で、写真、経歴を添えて、たとえわずかな額でもいいから、お金になる翻訳をしなくては。新聞や雑誌のような出版物がいいけど、本誌のようなWEBマガジンでもいい。出版物というのは、出版する法人が、その人格をかけて編集し、有代・無代を問わず公刊しているものです。あなたも人格をかけます。
「プロ」は、自覚して初めて「プロ」になります。
具体的には、ガブガブさん、みかんみかんさん、本誌の「わたしの新訳」欄に挑戦しなくては。桃山まやさんがマンスフィールドを、伊豆野良江さんがサー・アーサー・コナン・ドイルを訳していますね。いずれも大家たちの先行訳のある作品で、力がなくては新訳などできるものではありません。最所篤子さん、北村京子さん、佐藤志敦さんは「本邦初訳」に挑んでいます。どれもこれもすごい。翻訳作品を掲載している定期刊行物が他にあるだろうか。紙の媒体はもちろん、WEBにもありゃしない。本誌は翻訳者にとって最高の刊行物です。狙わない法はない。武者修行の第一歩だな。
贔屓はしないよ。
ふたりとも、よくできる。英文学をやるのに必要な教養もある、知識を補うすべを心得ている。個性的な文章をもっている、日本語が上手い。おまけに講座の弟子じゃないか。でも残念、だからといって、無条件に掲載されるものではない。ぼくももちろん読ませてもらうけど、基本的には本誌の編集部が認めなければ掲載されない。ガブガブさん、みかんみかんさんの二人だけじゃない。読者のだれもが参加できる。
短編がいいな。「□□を訳した○○です」といえる作者と作品を選びたい。しかも著作権がフリーでなければならない。
と、ぼくのいいたいこと、もうお分かりですね。これからは二人とも「道場破り」だ。
さて、武者修行に出るにあたっての二人の「感想」です。ご覧の通り、それぞれ文章力がある。「わたしの新訳」への挑戦だけじゃない、「エッセー:翻訳の現場から」にも書くべきだな。話題はたくさんあるよね、勉強の英語、仕事の英語、和書でも洋書でも、読みたい本、読んだ本、読んでもらいたい本などなど。それから、ぼくのブログ「翻訳以前」にも書いてほしい。今、桜井則子さんがepisodeを書いてくれているけど、遠慮はいらない、飛び入り歓迎、話を聞かせてくださいな。そうそう、桜井さんの『トロロープ自伝』、近いうちに登場だ。すごい仕事だ。
ガブガブさんの感想:
何よりも先ず、このような機会を与えてくださったサンフレア編集部にお礼申し上げます。斎藤先生が推薦してくださったそうで、ぜひ参加して盛り上げてくださいとのこと。実は「翻訳玉手箱」は読み飛ばすだけであまり良い読者とは言えなかったので、「まな板の上の鯉」になることに最初は躊躇しました。テクストを一読すると、かつて親しんだフランスの小ロマン派みたいな香りもします。やれば勉強になることは間違いないので、思い切ってお受けすることにしました。終わってみれば、得たものは多かったと改めて思います。
最初はナオミの口調に悩んで、何度も語尾の直しをしていました。先生がこんな訳し方もあるよと、おそらくわざと蓮っ葉に訳してくださったのでしょう。勇気?を得て、生き生きした人物になるよう、自分の中でもだんだんと口調が定まってきました。後半はわりとのびのびと訳せたかなと思います。当時のアメリカに思いを馳せながら訳していくのはとても楽しかったです(妄想がふくらんで、なぜか若き日の若尾文子がナオミのせりふをしゃべり出すので困りました!)。
学んだことは多々ありますが、特に、日本語を表現していくときの細やかな配慮について問われたように思います。例を挙げれば「悪気」か「悪意」か、どちらでもいいようで、やはりどちらかが原語の語感に近いはずです。「気違い」は差別用語でしたね。あわてて『記者ハンドブック』の差別語・不快語の項を読みました。不合理な気もしますが、翻訳者として知っておかねばならないことです。あるいは思い込みの恐さも感じました。"character"は辞書を引いたはずなのに、なぜ「推薦状」のところに目が行かなかったのでしょう。 思い込みがあると辞書を引いても見逃してしまうんですね。易しい単語はなおさらのこと、よくよく気をつけなくてはと思いました。
みかんみかんさん、先生の訳と自分の訳を比較しながら、自分の文のアラや持ち味のようなものが分かったことも収穫でした。褒めていただいたところは自信にもなりました。最後に総復習の意味で、お二人の訳文も参考に、口調を統一させ、反省すべきところに手を入れて自分なりの完訳を仕上げたところです。小説の訳は自分にはちょっと無理かな、と思っていたのですが、小説もやっぱり面白いですね!
改めて、このような形でテクストの精読・翻訳ができたことを心からありがたく思います。編集部ならびに藤岡先生、本当にお世話になりました。
みかんみかんさんの感想:
たしかに存在しているはずなのに、どんな地図にものってない道。探しても探してもその道が見つからないとき、おとなも日曜のデパートの迷子のように立ちすくむ。一年前のわたしもそうだった。ほんものの翻訳者になりたい、そう思って門を叩いた翻訳学校とは肌が合わず、講師陣の顔の見えない通信講座は何とも心もとなくて参加する気にならなかった。そもそも、東京から九百キロも離れた小都市にいては出版ビジネスに関われるはずもない。気がつけば、毎日、下を向いて同じ言葉をつぶやいていた……どうせわたしなんて、プロ翻訳者になれるわけないよね。
だから、ひょんなことから本講座の受講生としてWebマスターの濱口さんに「拾って」もらったときには、長いトンネルにいきなり光が射したようで、小躍りしながら天に感謝した……神さま仏さま、人生ってたまにはよいこともありますね!
しかし、そんな感謝の念も第一回の課題文と格闘しているあいだに消え失せる……神さま仏さま、何ゆえわたくしにこんな難行苦行をお与えになるのですか? 読むにはほんの数分しかかからない短い文章なのに、それを日本語で表現しようとすると何十時間もかかる。しかも、書き上げたときには上出来だと思っても、翌日あらためて読めばがっかりすることばかり。さらに、やっとの思いで完成させても、次に待つのは藤岡先生の容赦ないダメ出しだ。
月曜の朝十時、WEBマガジンのサイトは気楽に開いても、「公開講座 プロになるぞ!」をクリックするには勇気が必要だった。いざクリックしてからは、講評の前置きを読んでいるあいだは、髪の毛が一本一本ピンセットで抜かれるようだった。やがて本題に入ってダメ出しが始まると、ためいきとともにつぶやいた……やっぱりわたしなんて、プロ翻訳者になれないよ! 結局、このつぶやきは講座が終了するまで止むことはなかった。
それでも、わたしは二度と迷子にはならずにすむ。やっと「どんな地図にものってない道」が見つかって、進むべき方向がわかったのだ。果報者とはわたしのことだ。だから、疲れてひと休みすることはあっても、自信を失くして落ち込むことはあっても、この道をなんとか歩き続けよう。そうすれば、いつの日かゴールに辿りつけるはずだ。ただし、この道の入り口までご親切にもご案内して下さった藤岡先生いわく、「この先は延々と険しい坂道だからね」。わたしなんて……というつぶやきはこれからも止まりそうにない。
―― 「わたしの新訳」に挑戦しましょう ――
本誌は「翻訳者の登竜門」です。読者の皆さんの翻訳作品を「わたしの新訳」欄に積極的に推薦します。条件は「本誌の読者」であること。この「公開講座 プロになるぞ!」をはじめとして、「翻訳勝ち抜き道場」を担当されている斎藤静代さんや新しく「入門翻訳勝ち抜き道場」を担当される藤田優里子さん、「部屋」をもたれている原田勝さん、岩坂彰さんの愛読者・講座登録者が、「私の翻訳を読んでほしい」と希望されれば、本講座の藤岡先生が原文・翻訳を読み、一応のレベルに達していると判断したら(あるいは何回かダメをだして改訂をしてもらってから)本誌の編集部に推薦して、掲載を依頼します。条件は、あなたが新人で、これまで公けの媒体に翻訳を発表したことのない人(原稿料・翻訳料をもらった経験のない人)。翻訳する作品は、版権がない(原則没後50年たった)英米作家の文芸作品で、短編小説かエッセイ。サキ、O・ヘンリー、ビアスなどの短篇作家には、新しい翻訳が望まれていますよ。ハーディーやD.Hロレンスにも短編があります。
応募を受けて推薦しない場合、その旨を伝えします。
手をつけている作品がありますか? 新刊の版権フリー本だけが市場ではありませんよ。編集部宛てに「自己紹介」と翻訳する作者(作品)を教えてください。手順を案内します。
新企画、ぞくぞく
この欄でご紹介させていただいた北海道在住の「みゅうの母」さんこと佐藤志敦(さとうしのぶ)さんのバーネット夫人『わたしのロビン』。奥津絵葉さんの素敵な文章とともに掲載し、大変好評でした。みなさまも、あたためている企画がある、大好きな作家のわたしなりの新訳をした、など、発表したい作品があったら編集部までご連絡下さい。佐藤さんからは、次回作の企画書の提出もあり、今、一緒に練っているところです。また、他の方々からの企画書も検討中。『わたしの新訳』コーナーは、にぎやかになりそうです。翻訳したものがある、翻訳したからには誰かに読んでもらいたい、けど、自信がない、はずかしい…などと躊躇している方。心配しないで下さい。藤岡先生が的確なコメントとアドバイスをくださいます。
ここで、藤岡先生が佐藤さんに宛てたフィードバックの一部を紹介します。これから挑戦されることを検討していらっしゃるみなさまに、参考にしていただければ幸いです。
藤岡先生コメント(抜粋)
- 提出していただいた翻訳は、翻訳コンテストでは優秀作でしょうが、でも、これを翻訳者が実名で発表するとなると、もうひと工夫ふた工夫がほしくなります。登竜門への挑戦です。頑張りましょう。
- (藤岡先生の)参考訳をよくごらんください。翻訳しながら悩んだこと、迷ったことへの回答があるでしょう? 英文解釈もさることながら、この作品は低学年の子供たちが読むものです。こどもの読解力に迎合してやさしくするのではなく、一定の語彙・表記・表現の幅を踏まえながら、子供たちに日本語の正しい発想で読み書きすることを教えなければなりません。いわゆる「翻訳臭」を徹底的に避けます。基本的には、みゅうの母さんの日本語は温かく、すてきな感性を表しています。
- 語りかける作家の姿勢は?ここで翻訳者は「翻訳者」でなく、日本の作家にならなければ駄目でしょうね。参考訳は一案で、他にもいろいろ考えられるところです。この商品の「決め手」になるでしょう。
このほか、原稿のフォーマットについての指示など丁寧なアドバイスをしています。
藤岡先生の参考訳は、A4 一頁に及び、訳文を改訂する際に十分な量の訳例を提示しています。
どうぞみなさん、果敢に挑戦してください。お待ちしております。
編集部記
(第4巻146号)


























