Think Of England その8 ハニコム・ヒルの十字路(後半)
グレイ・レディはまた出た。キッチンの食べものが消えることはあっても姿を現すのは年に一回か二回だったのに、一週間で二度も出るというのは新記録である。今度は、なんと私の部屋で、昼日中、窓辺に座って外を見ていたという。窓のそばに椅子はないのだが、亡霊は何かに腰掛けているように見えたと〈母〉は言った。
自分の部屋にお化けが出るのは困る。しかし、ほかに部屋がない以上、そこで寝ないわけにはいかない。犬のベンジーに骨のガムをちらつかせると、部屋に誘い込んで一緒に寝てもらうことにした。
明け方だろうか。目が覚めたとき、カーテンの向こうはまだ暗かった。ベンジーは私の枕を占領して四本の脚を宙に浮かせ、お腹を出してぐっすりと眠っている。それに上掛けをかけてやって、また目を閉じようとしたときになんともいえない変な感じがした。
寝返りを打とうとするのだが、身体がどうしても動かない。目も閉じられない。奇妙なことにカーテンが透けているような気がする。なにかをつぶやくような声と、しゃらしゃらしゃらというビーズとビーズがぶつかるような音がする。なんでもいいけれど、お願いだから顔を見せないでくれたまえ、ナムアミダブツナムアミダブツと何千マイルも離れた遠い日本の神仏に必死で祈っているうちに、気が遠くなったのか、目が覚めたときは明るくなってベンジーがせっせと顔を舐めてくれていた。
カーテンを開けてみる。そこにはこの間、アンティークショップの奥で適当に買った革張りの本があった。ひらいてみると古めかしいヒゲのついた文字が並んでいる。ところどころに銅版画のような絵が入っている。裏表紙をめくってみると、Tommy Manning、Jonathan Manning、Susane Manningとそれぞれ違う書体の、でも丸っこい字で書かれた名前が並んでいる。たぶん、トミーがジョナサンに渡し、ジョナサンがスーザンにあげた本なのだろう。そのとき、何かがこう、頭の奥のほうで引っかかった。Susaneという名前。最後のeの文字が気になる。しばらく考えて、ようやく思い出したのはステフの家の近くの十字路で見た名前だった。
学校に行くと、さっそくステフをつかまえてその話をし、例の石に彫ってあった名前ってSusane Manningじゃなかったっけ、と聞いた。うなずいた後、ステフはなんとなく屈託のある様子で、「うちの人に聞いたんだけど、あの十字路って魔女が埋まってるんだって」と言った。
何百年前か知らないが、このデヴォンでも魔女狩りが行われたことがあるのだという。気の毒な魔女たちは捕まり、拷問され、火あぶりか首くくりになって、そのなきがらは十字路に埋められた。あそこにも埋まっているから気味が悪い気がしたのよ、きっと、と変な顔をして言う。
冗談ではない。私の買った本の持ち主のSusane Manningが首をくくられたか火あぶりになったか知らないが、そこに埋まっているのは非常に困る。おまけにお化けとしてうちに出てこられるのはもっと困る。私は泣き出しそうになった。「その前には出なかったんでしょ?」と言うステフに、涙目でうんうんとうなずくと、彼女は「じゃあその本、返しに行こうよ」と、放課後、一緒に家まで本を取りについてきてくれた。そして、二人で十字路に埋まっている魔女かもしれないスーザンの本を手に例のBLYTON&COに向かった。
「Hi, Love」迎えてくれたのは白髪のおじいさんで、店はこの間よりもずいぶんとさっぱりしている。「アロー」と本を触ることもできない私の代わりに、ステフはカウンターに本を置いておじいさんに話しかけた。おじいさんは可愛らしいフランス語なまりで話すステフに、「フランスのどこから来なすった」と機嫌よく答え、二人はリヨンのなんとかという食べものだかレストランだかについてぺちゃくちゃと話し始めた。
そうしてステフにしゃべるのを任せて、ぼんやりと部屋を見渡した私は妙なことに気がついていた。テレビがない。そして壁の色が違う気がする。それに三日や四日でこんなに品物は減るものだろうか。あの緑青の出た三輪車やら、肩のてかったウェストコートを買った人間がいるなんてとても信じられない。
「Oh God. This is spooky. Stef, can we just go?」
さかんにリヨンの話をしているステフの腕を引っ張った。
BLYTON&COはどう見ても、私が入ったBLYTON&COではなかった。テレビはたまたま修理中なのかもしれないし、今にもばらばらになりそうな三輪車が好きで蒐集している人がいるのかもしれないし、この四日のうちに店内を白から水色に塗り替えたのかもしれないけれど、もし初めからテレビも三輪車もなく、壁が初めから水色だったら、大変なことになる。その上、あの太った店主が実はおじいさんの死んだ息子のお化けだと聞かされるのは真っ平ごめんである。何もなかったことにして今すぐ店から出たい。振り返ってくれないステフの腕をまた引っ張る。だが、うるさそうに振り返ったその顔を見て、私は腰を抜かしそうになった。
皿のように大きなどろんとした黒い目。頬と額が汚れているのはなんだろう。スス? 大きなほくろが口の端にあるのがずいぶん目立つ。そのとき、ばさりと音を立ててカウンターから例の本が落ち、ついに我慢ができなくなった私は、膝ががくがくするのを抑えながら酔っ払いガニのような格好でドアににじり寄り、積んであった何かをひっくり返して二人が呼ぶのもかまわず、店の外に這うようにして出ると、笑う足の許す限りのスピードでよろよろと家に帰った。
今でもステフはその話をして怖がりの私をからかう。あの後、あの店にマン・ユナイテッドのTシャツを着た太った男が入っていくのを見かけたこともあるし、きっとロンドンから買い付けの人がきて、まとめてアンティークを買っていったから店内がさっぱりしていたんだろうし、壁の色が違って見えたのは気のせいよ、と言って馬鹿ねえと笑う。
それでも、あの本を返してから私の部屋にグレイ・レディは出なくなったのだ。少なくとも、前と同じように、年に一度か二度、ひっそりと庭の木の下でリンゴを拾っているか、居間のソファに座っているだけになった。なにやらつま繰るようなしぐさをすることは一度もないらしい。〈母〉にこの話をすると、私の部屋に出たグレイ・レディが本当に黒い目のスーザンになってしまう気がして、恐ろしくて口にしたことがない。だから〈母〉は我が家に、火あぶりになって「アニコム・イル」の十字路に埋まっているSusane Manningかもしれないお化けが出たことを知らない。
そして私は、デヴォンの実家に帰ったときは、何があってもBLYTON&COの前を通らないようにしている。もちろんハニコム・ヒルに登るつもりはさらさらない。






























