Think Of England その13 The Wars of the Roses<前半>
「Jesus Christ!」という男のわめき声がする。それにかぶさって「I got you!! I got you!! Tee Hee Hee!」と《母》の勝ち誇った声が響いてくる。いったい何事であろうか、とパジャマのまま庭に出て行くと、《母》が庭でホースを持って薔薇の垣根の前に仁王立ちになっていた。ジーザス、と怒鳴った男の姿は見えない。意気揚々と《母》が振り向いた。どうやら垣根の向こうを通りがかった隣人にホースで水をかけ、うまくそれがヒットしたらしい。《父》が首を振りながらキッチンから出てきて庭のテーブルに朝食を並べている。
「ねえ、なんで隣の人にホースで水をかけるの?」とトーストをかじりながら聞いてみると、《母》はよくぞ聞いてくれた、といわんばかりに言った。「隣のろくでなしがうちの大事な薔薇の生垣を半分ハゲにしてしまったのよ」
ハゲの生垣というのを見にいってみると、なるほど庭側は母の大好きなピンクの薔薇がたくさん蕾をつけているものの、反対側の隣家につながる小道に面しているところは葉が刈り込まれすぎて枯れ枝だけになっている。後ろからついてきた《母》は目に涙をためて「なんてひどいことをするんだろう、ご覧よ。こんなに刈り込んでしまったらもう葉っぱは出ないって向かいの八百屋も言ってるのよ」
我が家は二軒長屋で隣のキャロルのコテージとくっついているが、その反対側も垣根だけは隣家との共有である。その垣根を、ある日突然、隣人が丸坊主にしてしまったのだ。庭造りに命をかけていて、町のガーデンコンテストで一番をとったこともある《母》は復讐に燃え、暇さえあれば庭でホースをもって待機していて、隣人が通りかかると水をかけて攻撃しているのである。なかなかヒットしないけれど、今朝は見事に命中したそうで《母》はご満悦なのだ。
こんな非常識なことが現実に起こることに呆れていると、《母》はその生垣は我が家の敷地から生えているので彼にそれを刈り込む権利はなく、水をかけられるのは当然の報いなのだという。そして今のところは隣人からの反撃は垣根の向こうからカラフルな言葉をわめき返してくるだけに留まっている。「いつからなの?」と聞いてみると、ここ二週間ばかりだと《父》はうんざりしたように言った。
最近引っ越してきた隣人は名前ではなく、スカム(ろくでなし)と呼ばれている。本当にスカムなのかどうかは分からないけれど、ジョーディアクセントがあり、仕事もしないで失業手当をもらって暮らし、頭は坊主で両腕に刺青があり、でかくて怖そうな人である。よって近所の人たちにはあまり好かれていない。垣根ごしに水をかけるため、《母》の水鉄砲の犠牲になるのはスカムだけとは限らず、うちに御用聞きに来る八百屋さんと肉屋さんと郵便屋さんがとばっちりを受けているけれど、垣根事件に同情して許してくれているのか、それとも《母》が水鉄砲に飽きるまで何を言っても無駄とあきらめているのか、それは分からない。
朝食を終えて後片付けをしていると、向かいの八百屋さんと肉屋さんが連れ立ってやってきた。今日は日曜日で店は休みなので彼らがうちに来るのは珍しいことである。「おお、ゲイシャが来てるな、いつ帰って来たんだ」と肉屋が片目をつぶる。キッチンに座った二人にお茶を淹れながら何しに来たのかと聞いてみると、チラシを見せてくれた。この通りの少し先にできるらしいインディアン・テイクアウェイの店に反対しよう、という呼びかけのチラシである。
「なんで?」
「くさいだろう」
くさい、というのはあんまりな気がしたけれど、確かにインド料理店の近くはカレーの匂いが漂う。都会ならそれもおいしそうな香りということでそれはそれでいいのだが、残念ながらその匂いとわらぶき屋根のコテージが並ぶテンプル・ストリートはどうしても両立しない。前に中華料理のテイクアウェイができたときは、中国では縁起の良い黄色と赤に塗りわけられたレンガの壁を、抗議する店主を押さえつけて総出で白く塗り替えた、という人々である。
近所中で署名活動をして町の役場に提出し、行政指導をしてもらおうというので彼らはうちにやってきたのだった。残っているのは隣のスカムだけである。八百屋と肉屋は自分達が行きたくないので我が家にお鉢を回してきたのだった。
犬たちの予防注射をしに出かけていた《父》と《母》が帰ってきたので、そのチラシと署名の紙を見せると、《母》は目を吊り上げて怒り出した。宿敵であるスカム宅へ行って、その上、署名してくれと頼めというのか、というのである。その怒りの矛先は、まことに不条理なことにうっかりとチラシを受けとり、八百屋と肉屋にお茶まで出したわたしに向けられた。「なんで断らなかったんだろう、この子は。わたしが隣とケンカしてるのは分かってるだろうに、馬鹿だねほんとに。あの薔薇を見せたじゃないの、スカムに口を利くなんてわたしは真っ平ごめんなんだよ。チラシを受けとったのはあんたなんだからね、あんたが行ってきなさい、わかったね」
こうなってしまうと《母》には何を言っても通じない。昔、クジラの話をしていて喧嘩になったことがあったけれど、そのときもなんだかよく分からない理屈で言い負かされた覚えがある。 《父》のほうを向いたけれど、《母》は先手を打って「お父さん、この子が引き受けたんだから、この子に行かせてちょうだい」と言う。わたしはすでにしつけを受ける年齢ではなく、あなたはわたしの本当の親ではなく、そもそもインド料理店ができてもできなくても東京在住のわたしにはあまり関係がない、と言っても無駄であり、下手をすると家から放り出されることをよく知っているので、わたしはチラシと署名の紙をとりあげるととぼとぼと隣に向かった。





























