Think Of England その11 Home Sweet Home

この夏、久しぶりにデヴォンの家に帰った。新しく知り合った友人の住むリッチモンドの家に一泊してから、グレート・ウェスタン鉄道の列車に乗った。車窓に続く緑の原には、行っても行っても毛刈りされたはげちょろけの羊たちがのんびりと草を食んでいる。夏の日は長い。遠くに見える農家の窓に日光が反射してきらめいている。細い小川がうねうねと野原を横切っていく。100年前も同じ、そしてこれから100年経ってもたぶん変わりそうもない風景である。
エクセターの駅に車で迎えてくれた〈父〉の髪が白くなっていた。3年ぶりだと思っていて指を折って数えてみたらもう4年が経っているのだった。「やれやれ、電話してきたのは土曜日じゃないか。ロンドンに着いたっていうから待ってたんだぞ。いったいどこをうろうろしてたんだね」という〈父〉に新しい友人の話をし、家に泊めてもらったこと、リッチモンドがいかに美しい町かを説明しながら車に乗り込んだ。「仕事はどうだ。順調かね?」「まあまあね」「あっちでも一人暮らしなんだし、お前の仕事はインターネットがあればどこでもできるんだろう」という〈父〉は(だからこっちに住んだらいいじゃないか)とは言わなかった。
途中、夕食のチキンパイと一緒に食べるグリーンピースを買いにウェイトローズに寄った。フルーツの棚に大好きなラズベリーが2for1の値段で売っている。わぁ、これ食べたかったんだ、と言ったら〈父〉が添えて食べるダブルクリームと一緒に買ってくれた。駐車場からは懐かしい町がその向こうに広がる海と一緒に見渡せる。そろそろ長い夏の日にもほんの少しオレンジの色味が加わっていた。左のほうには赤い崖が連なり、もやのかかる銀色の海の向こうはフランスだ。「明日は弁当を持ってビーチに行くか」〈父〉が車を出しながら嬉しそうに言った。
「本当によく帰ってきたわね、まあまあ、疲れたでしょう、お腹は? 列車で何か食べたの? Oi! バスター! ストーム! 吠えるの止めなさい、うるさいよ。この子はバスターII世、死んだバスターにそっくりでしょ? ほら、ダディ、スーツケースを運んでやってくださいな」
庭への扉を開けたとたんふかふかの大波のような〈母〉の胸に飲み込まれてしまった。「また太ったんじゃないの?」「いやだね、そんな口をきいて。反抗期かしらね」「だってほんとじゃん」「ほらほら、いいから中に入りなさい。アツコはまだ新しいキッチンを見てないだろう」
犬二匹が飛び跳ねながら小道を先に立っていく。家は爽やかなミントグリーンに塗り替えられていた。以前と変わらないベルが鳴るドアを押し開けると頭上に空が見える。
「天井を取っ払ってね、屋根にスウェーデン製の天窓を2つつけたのよ、どう?」〈母〉が自慢げに言った。さほど広くないキッチンだが、壁も作り付けの棚もすべて白く塗られているので、天井の高さがこんなに高くなると実に広々として見える。雲が薔薇色に染まって青空を流れていく。「じいさんのくれたお金を使わせてもらってね」とティーバッグをマグに入れ、ポットのお湯を注いでいる。
じいさんは2年前の冬、「Bugger off」という悪態を最後について、世を去った。〈母〉がアイスクリームを食べさせようとしてスプーンで口に運んだとき、入院以来、一言も話さなくなっていたじいさんがたった一言、「うるせえ」と言ったのだ、と〈母〉はつくづく情けなさそうに言った。せめて「もう結構」とかなんとか言いようがあるだろうにねえ。けれど言いたいことを言ったじいさんはそのまま目を閉じ、二度と意識は戻らなかった。
いかにもじいさんらしい最後の言葉にわたしがふき出すと、グリーンピースを茹でていた〈父〉が振り返って「Well said, Barlow. よし、私も最後には言いたいことを言うぞ」と片目をつぶった。「ああら、ミスター・タナー、それじゃ普段、言わないで我慢してることがあるっていうわけ」売られたけんかは絶対に買う〈母〉は直ちに戦闘態勢に入った。もういいじゃん、食べようよ、と言ってわたしは間に入る。
この人たちと知り合ってすでに15年以上がすぎた。リッチモンドの友人が言っていたけれど、外国の言葉を学ぶことは、その文化の中で赤ん坊から生きなおすようなものだという。なるほど、と思えないこともなくて、その計算でいくとわたしはさしずめ15歳だ。この家から学校に通い、リーズで大学に行き、短縮版で成長期をもう一度なぞってきた。このずいぶんと老けた15歳は、ようやく今になって言いたいことが言えるようになり、周りのことが見えてきて、一人歩きがしたくなってきた。これまでは両親の目の届くところしか行けなかったのが、それだけでは足りなくてロンドンに行きたくて仕方がない。
「いろいろ事件があったわよ」と食卓で〈母〉が口を開いた。「ジョジーが結婚したって手紙に書いたでしょ? 結婚したときね、アーサーがあの人の借家を買い取ったのよ。すてきよねえ。そうそう、さっき電話があってレモンケーキを焼いたから持ってくるって。それからバリーの犬が死んだの、話したっけ? ほらあの犬、覚えてるでしょ? 美容室に行くとあんた、いつも吠えられてたじゃないの。あのヨーキーよ。パイどう? ほらもう一切れ食べなさい。そんな棒っきれみたいにやせっぽちでどうするの。だからいつまでも一人なのよ。あんたの結婚式には頑張って日本に行くつもりで貯金してるんだからね。今度こそ幸せになってもらわないと。ねえ、Dad? そうそう、そういえばカーペットを張り替えたんだけど。前はグリーンだったの覚えてる? 今度の色はどう? ソファカバーも全部変えたのよ。いいでしょ? ああ、そうそう、それからね……あんた、これちょっと食べてごらん。昨日作ったんだけどおいしいのよ。ほらスパゲッティは長くて食べにくいでしょ、こっちに寄こしなさい。切ってあげるから」
そういえば〈母〉はいつもパスタを「長くて食べにくいだろう」と言ってはハサミで細かく切ってから出してくれるのだった。そしてそのパスタはいつも茹ですぎでのびていた。取り上げられて、戻ってきた皿には1インチほどの長さに細切れになったミートソーススパゲッティが山盛りになっている。にやっと笑った〈父〉は立っていってデザートのラズベリーを洗いはじめた。15歳で反抗期のわたしはとりとめもなく続く〈母〉のおしゃべりと世話焼きに、(うるせえ)と心の中でつぶやきながら耳を傾ける。





























