Think Of England その9 My Dear Girls
香港ガールズ@ウェンディの結婚式
先日、香港に行ってきた。中秋の名月のお祭りの時期で、まだまだ真夏の陽気の香港の街のあちこちに、金魚の形をした提灯やピンクと緑の派手な提灯が下げられ、ムーンケーキ、要するに月餅の広告が貼られている。この日、子供たちは火を灯した提灯を持ってそこらを練り歩き、大人はびっくりするほど大きなムーンケーキを贈りあう(らしい)。ムーンケーキの中には月に見立てた黄色い卵の黄身が入っている。
蒸し暑いのが嫌いで、飛行機が大嫌いなわたしがこんな時期に大汗をかき、手に汗まで握って香港に出かけていったのは、のっぴきならない用事があったからである。リーズ時代からの親友、ウェンディの結婚式に呼ばれたのだ。香港人の仲良しは他にジェニファーとフランシス、それにクリスティーンがいるが、クリスティーンは去年の12月にイギリスはマンチェスターにお嫁に行ってしまった。このときもわたしは大騒ぎをして香港に出かけていった。
イギリスに留学したはずが、今も仲良く行き来しているのはみんな香港か台湾の人びとばかりである。中国にも香港にもまったく興味も縁もなかったというのに(いや、第二外国語が中国語だったかも)、リーズが香港(中国)への窓を開いてくれたようなものである。なにしろ、もとダンナもBBC(British Born Chinese)なのだ。まあ、その話はまたいつかすることもあるだろうけれど。
リーズに着いたあと出来た友達はビッグイシュー売りのテッドだけ、という有様で、しかも大学のフラットは、一週間経ってせっかくフラットメートになじんだところで、間違って男子学生用に入っていたことが判明し、今度はunder graduate(学部生)の喧騒と混乱のフラットに入れられてほとほと疲れ果て、ようやくmature studentばかりのフラットにもぐりこむという、身の置きどころが心細い日々を送っていた。新しいフラットメートたちはまだお互いに慣れていないこともあり、廊下に出てもいつもドアが閉まっていてしんとしている。キッチンで会うのでなければ互いの部屋を訪ねあったりもしない。まあ静かでいいのだけれど、これでは毎朝バスの運転手さんに”Ta!(ありがとう)”というだけが唯一の会話になってしまいかねない。せっかくはるばるリーズまで来たというのに……。
そんな中、やっと授業がはじまった。翻訳のコースなので留学生が半数を占めていて、イギリス人学生の一団と、留学生とが教室のこっちとあっちに別れて座っている。留学生の中になじみのあるアジア顔が他にどっさり並んでいる。教授がギリシャ、スペイン、フランス、香港……と国ごとに出席をとっている。”Japan……Oh, there you are” と先生が声をかけたところで香港の学生がこちらを振り向いた。
“Hey, do you know Draemon?”
何か聞き違えたかな、と思った。ドラえもんとは聞こえたけれど、まさかあのドラえもんではあるまい、と思ってあいまいな顔で微笑んでいると、小柄で目のくりくりしたリスみたいなその学生はかばんからハンカチを出して見せてくれた。
ドラえもんとのび太とドラミちゃんとが大口を開けて笑っている。”I’m Christine, I love Draemon!” 先生が黒板に何か書いている隙にその子はこそこそと私の耳にささやいた。一応、修士課程に入ったはずであるが、まるで小学生に戻ったかのような既視感を覚えつつ、ノートの端にドラえもんの絵を描いてみせる。クリスティーンは満面の笑顔になり、お昼を一緒に食べようよ、と誘ってくれた。
ドラえもんはどうやら香港では大変好かれているらしかった。わたしがドラえもんの国からやってきて、ドラえもんの絵が描けることを知った香港の学生たちはにこにことわたしを仲間に迎えいれてくれた。リーズでは必須科目のほかに何単位か自分の好きな科目をとってよく、彼らの多くは日本語を選択していた。「ドラえもんを日本語で読もう!」というのが合言葉である。
シェフィールドと並んで、リーズ大は日本語学科に力を入れている。イギリス人学生も少なくないが、中でも多いのがイギリス生まれの中国人、British Born Chineseたちである。中国人どうしというのは国が違っても連帯意識が強いのだろうか、香港、台湾、本土の学生、それにこのBBCたちが加わり、あっという間に一大コミュニティが出来ていった。
初めて口を利いた日から、クリスティーンとわたしは必ずセットで数えられるようになっていた。どっちかが一人でいると必ずもう一人はどうした、と聞かれるほどだ。当然、クリスティーンもこの中国人コミュニティの一員で、必然的にわたしも勘定に入れられていた。こうしてイギリスに来たのに、そして同じコースには日本人学生だっているのに、なぜか中国人に混じっての学生生活が始まった。
ドラえもんの国の出身、というのは大変な威力を発揮したものの、それだけでは友情を維持することは難しい。何しろ広東語は一言も分からない。それがあることをきっかけに、リーズの翻訳学科・日本語学科合同中国人コミュニティでのわたしの地位はゆるぎない(?)ものになっていく。
それは”Japan Night”という日本語学科主催の催しだった。要するに日本語学科の学生が作る日本食をみんなで食べよう、というものだが、学内の誰もが参加できるため食べに来るのは相当な人数になる。150人以上が来ることを見越して会場も押さえられていた。こういう行事で力を発揮するのが、チームワーク抜群の中国人コミュニティである。BBCの一人、キャサリン・チンの家にみんなで集まり、作戦会議が開かれた。クリスティーンの横でクリスプスをパリパリ食べながら、ぼんやりと広東語で繰り広げられる論争を聞き流していると、誰かが”Atsuko, you’ll be in charge!”と指差した。そうだそうだ、ここには日本人がいるじゃないか、こいつにやらせてしまおうという機運が高まり、イヤダという間もなくわたしは誰かがバイト先のフィッシュアンドチップス店からがめてきたらしい白い上っ張りを着せられ、巻き寿司の中身にするカンピョウを煮ることになってしまった。
よく状況が飲み込めていなかったけれど、気がついたときにはカンピョウを煮るだけではなく、わたしは本番の日に大量の散らし寿司を作り、150人分のてんぷらを揚げ、肉じゃがとお好み焼きを作ることに決まっていた。香港ガールズに引きずられるように学内の炊事場のようなところに拉致されていき、有無をいわさず大鍋の前に立たされる。もう観念するしかない。料理はほとんどしたことがない、とはとても言い出せず、頭の中で必死に日本の母の作っていた肉じゃがの作り方をさらってみる。
「どんどん指示してね、シェフ! あたしたち手伝うわ!」
と目をきらきらさせている香港娘たちにジャガイモの皮を剥かせ、ニンジンを切らせ、自分は大量の牛肉を細切れにして巨大鍋で炒める。スシめしがバットに入って運び込まれてくると、カンピョウ、海老その他の材料を混ぜ込み、どんどん持ってこられるお皿に盛り付け、薄焼き卵を千切りにして上に散らす。海老とグリーンピースを飾って、料理は会場に運ばれていく。
何しろ言葉がイマイチ不自由な「シェフ」と助手たちなので、ときどき入れるものが倍だったり、半分だったりすることはあったけれど、誰も大火傷することも指をつめることもなく、料理はどんどんできていった。ジャガイモが揚がるたびにつまんで食べてしまう香港ガールズをしかりつけながら、お好み焼きを30枚焼き、顔を真っ赤にしてふうふう言っているところに、「シェフの挨拶タイム」がやってきた。もうここまでやってしまったら、最後までやるしかないでしょう。
大皿にピーマンやらニンジンやらナスやら白身魚やらのてんぷらを盛り上げて、よれよれになった上っ張りを引っ張り、ぞろぞろと子分を従えてわたしは会場に入っていった。スポットライトまで当てられ、にっこりと笑ってお辞儀をし、拍手に応える。気分は三ツ星レストランのシェフである。翻訳なんて地味なことやってないで、こういう華々しい職業についておけばよかった……と思った瞬間だった。ただし、次の日に交換留学生の大阪の男の子が「おおきに、おいしかったよ。あれ東京風なん? ずいぶん色黒の肉じゃがだったねえ」と言っていたけれど、まあ、それはそれである。
このおかげで、いまだに香港の友人達はわたしが料理上手だと信じ込んでいる。そしてあのときに手伝ってくれた女の子たちは、今でも香港に行くと集まってくれるし、それぞれ日本に遊びに来てくれる。忙しくて連絡が滞っても、誰かがどっちかの国に行くというと、あっという間に連絡網が回る。ジェニファーはもしお嫁に行けなかったら、うちに来てわたしと暮らすんだそうである。この間結婚したウェンディも、旦那さんとうまくいかなくなったらうちに家出してくる、と言っていた。まあ、わたしはきっとずっとここにいるけれど、できればみんなにちゃんと幸せになってもらいたい。
たった1年間を共に過ごしただけなのに、わたしたちはたぶん一生続く友達になった。国が違っても、文化が違っても、言葉が違っても、こんなに仲良くなることができる。リーズは暗くて寒くて怖い街だったけれど、でも本当にかけがえのない宝物を与えてくれた。あの1年間は、たぶん普通に暮らした1年間の数倍の濃さがあったと思う。暗くて寒くて怖いリーズを、わたしたちは今も大好きである。






















