入門翻訳勝ち抜き道場

わたしの新訳

本を書くのは靴職人が靴を作るのと同じ ――トロロープと自伝――

バーネット夫人(1849-1924)
アンソニー・トロロープ(1815 - 1882)

アンソニー・トロロープは今でもイギリスでは人気のあるヴィクトリア時代の作家だが、日本ではほとんどその名が知られてない。だがその生き方や、執筆に対する姿勢を知れば、きっと多くの人が驚き、トロロープに興味を持つのではないかと思う。

比較的家柄の良い家庭に生まれながら(1815年、ロンドン)、主に父親の性格と生き方が原因で貧困に陥り、友達も出来ずに自尊心を傷つけられながら過ごした少年時代。郵政省の役人になったもののうだつが上がらず、借金まみれの二十代前半。自ら志願してあまり人の行きたがらないアイルランドに赴任したのがきっかけで、その能力を認められ、結婚して家庭を持ったアイルランド時代。役人として働きながら書き続けた小説は、最初の何作かは認められなかったがあきらめずに書き続け、次第に自分に合った作風を見出して作家としても成功していった。そして、60歳まで働けば手に入る年金をあきらめて52歳で仕事を退職し、その後は作家業や雑誌の編集に専念した。小説だけでも48冊の全集があり、大作家だった。

トロロープが生きた時代にもっとも大衆から愛された作家はディケンズであり、トロロープがもっとも尊敬した作家はサッカレーだった。自伝の中で彼はディケンズの人気を認めながらも、作品の登場人物が現実味に欠ける点を指摘し、若い作家達にディケンズの作風をまねる危険性を警告している。ディケンズとトロロープは父親の金銭問題で少年時代ひどく苦労したという共通点があるものの、その作風や性格には興味深いコントラストが見られる。

トロロープは息子への最後のプレゼントとして、自分の死後開封するようにと言って自伝を贈った。それを出版する時息子のヘンリーは自伝に付された1876年4月30日付けの手紙の内容と、自伝を書き終えた以降の父親の人生を序文に記した。それによると、晩年のトロロープは大好きだった狩猟をあきらめた一方、南アフリカやアイスランドへの旅を楽しみ、1882年には二度アイルランドにも出かけている。この国の悲しい実情に心を痛めていたそうだ。執筆は以前より量を減らしたものの一日分と決めた分量はきっちりとこなした。1882年11月に発作で倒れたとき手がけていた作品は、アイルランドが舞台の『ランドリーガーズ』だった。トロロープが亡くなったのは1882年12月6日である。

「本を書くのは靴職人が靴を作るのと同じだ」とトロロープは言っている。実際トロロープは役人時代も毎朝五時半に起きて、仕事に行く前の三時間を自分が決めたペースで文章を書き続け、一冊仕上げると翌日には次の本を書き始めるという、正に本を書く職人のような生活を病に倒れるまで続けた。自伝の最後に載せられた作品のリストには、その本によって手に入れた金額も細かく記されている。

実に現実的で驚くべき体力と精神的スタミナを持ち、作家と役人の両方を見事にこなしたトロロープ。終始ジェントルマンであることにこだわり、社会的地位を得て自分があこがれていた世界で人気を得たいと願ったトロロープ。自伝ではこのようなトロロープがどんなふうに出来上がっていったかが目の前で展開していく。少しでも多くの人にトロロープと彼の作品に興味を持ってもらえたら嬉しく思う。

2010年5月

桜井則子

付 記:
翻訳にあたって、テキストは
“An Autobiography―Anthony Trollope” (Edited by David Skilton, Penguin Classics, 1996)を用いた。

現在出版されているトロロープの邦訳本:
『電信局の娘 アンソニー・トロロープ短編集Ⅰ』、津久井良充編訳、鷹書房弓プレス、2004年。
『ピラミッドに来た女 アンソニー・トロロープ短編集Ⅱ』、津久井良充・谷田恵司編訳、鷹書房弓プレス、2008年。

全集、他:
The Complete Novels of Anthony Trollope, Series Editor: David Skilton, 48 Volume Set. Pickering & Chatto (Publishers) Ltd, 1992.

Domestic Manners of The Americans, Frances Trollope, Penguin Classics, 1997.(1832年、トロロープの母親Francesがアメリカにわたり果敢に商売に挑んだ記録。ディケンズが絶賛、トロロープ家の経済危機を救った作品でもある。)

2010年6月21日号
(第4巻160号)