『本とタバコ』

――私事ながら。ちょうど禁煙を誓ってから二月ほどたった八月のある日のこと、Amazonから新刊書の案内をもらった。“Books v Cigarettes”、妙なタイトルだった。おれの禁煙のこと、どうして分かったのかと、余計な気をまわしたが、見るとby George Orwellとある。あの『動物農場』『パリ・ロンドン放浪記』のオーウェルか? 新刊とは珍しい、未刊のものがあったのか? WEBで探したら“Charles' George Orwell Links”というサイトがあり、原文が読めた。『本とタバコ』、いかにもあの風刺家で皮肉屋のモラリストが書きそうなこと。一九四六年に『トリビューン』誌に掲載とあるが、それから62年たった今でも、イギリスであろうと日本であろうと、「本は安いのに」という本の事情は変わらない。
八月はサンフレア・アカデミーの、今年の三月に始まった「藤岡ゼミ」の最終月。モームの“Louise”や“Summing Up”を読んできたのだが、参加者の北村京子さんのモーム訳に驚いた。「オーウェルがあるよ、卒業記念にオーウェルを訳しておこう」と呼び掛けた。幸い版権がない。翻訳が出来上がった。北村さんにはすでに八年の翻訳歴があるが、文学ものは初めて。それがジョージ・オーウェルだから、ちょうといい、少しオーウェルにのめりこんで、いやサマーセット・モームでもいいのだけど、新鮮な文体を生み出してほしいな。オーウェルやモームを料理できれば、もう怖ものはない。(藤岡記)
何年か前のこと、わたしの友人で、新聞社の主筆を務めている男が、数人の工場労働者と一緒に空襲の見張りをしていた。話をするうち、話題はいつしか彼の新聞のことになった。ほぼ全員がその新聞の読者で、好意的な意見を聞かせてくれたのだが、友人が文芸欄についてどう思うかとたずねると、返ってきたのはこんな答えだった。「あんたまさか、俺たちがあの手の記事を読むなんて思っちゃいないよな。なにかっていうと12シリング6ペンスもする本の話ばっかりだ! 俺たちみたいなのは、本に12シリング6ペンスもかける余裕はないんだよ」。主筆氏の話では、彼らはブラックプールまで一日遊びに行って数ポンド使う分には、少しももったいないと思わないのだそうだ。
本を買うことはもちろん、読むことさえ、庶民には手の届かない贅沢な趣味だという概念が一般に広く浸透しているようなので、ここはひとつ、わたしが及ばずながら詳細な考察を加えてみたい。読書とは、正確にはいくらかかるものなのか。1時間何ペンスという形で費用を算出するのは難しいが、まずは手始めに、わたしの手元にある本をすべて調べ上げ、その価格を合計してみることにした。そこに諸経費を加えれば、過去15年間の書籍関係の出費をかなり正確に割り出せるはずだ。
勘定に入れる本は、わたしがこのフラットにおいている分に限定した。もう1カ所、別の場所にもほぼ同量の本があるので、合計値を2倍した数が総冊数ということになる。校正刷り、破損本、廉価なペーパーバック版、パンフレット、本の形にまとめられていない雑誌類といった雑多な印刷物は考慮に入れない。それから昔使った教科書など、戸棚の奥にしまい込んであったクズ本も数えない。対象にしたのは、わたしが自ら買い求めた本、あるいは自ら買い求めたであろう本、そして手元においておきたい本だけだ。こうした条件にみあう本は全部で442冊あり、その入手経路は以下の通りになる。
| 購入(大半は古本) | 251冊 |
|---|---|
| もらいもの、または図書券で購入 | 33冊 |
| 書評執筆のためにもらった本や献呈本 | 143冊 |
| 借りたまま返却していない本 | 10冊 |
| 人に貸している本 | 5冊 |
| 計 442冊 |
さて、お次は価格の算出だ。購入した本は、できるだけ正規の価格に準拠する。人からもらった本、一時的に借りている本、借りたままもらってしまった本も、正規の価格とした。これはなぜかといえば、本をもらったにせよ、借りたにせよ、盗んだにせよ、その分は結局、相殺されるからだ。わたしは厳密な意味で自分のものではない本を所有しているわけだが、逆にわたしの本をもっている人も大勢いる。
だから、わたしが自分でお金を払っていない本を勘定に入れれば、お金を払ったものの今は手元にない本とのバランスがとれるというわけだ。一方で、書評執筆のためにもらった本や献呈本は、正価の半額とした。この金額は古本で手に入れる場合の推定価格で、もし実際にわたしがこれらの本を購入するのであれば、古本でしか買わなかっただろうと思う。価格の算出では憶測に頼らざるを得ない部分もあったが、合計値はそれほど的はずれではないはずだ。価格を以下に記す。
| 購入 | 36ポンド9シリング |
|---|---|
| もらいもの | 10ポンド10シリング |
| 書評執筆のためにもらった本など | 25ポンド11シリング9ペンス |
| 借りたまま返却していない本 | 4ポンド16シリング9ペンス |
| 人に貸している本 | 3ポンド10シリング |
| 入手先不明 | 2ポンド |
| 計 82ポンド17シリング6ペンス | |
別の場所においてある本も加えたところ、わたしの蔵書数はおよそ900冊、その総額は165ポンド15シリングという結果になった。これが約15年間の累計値だ。いや正確にいえば、子どもの頃からもっている本もあるのでもっと長い期間になるのだが、ここでは15年として計算する。つまり、1年ごとの経費は11ポンド1シリングだ。しかし、読書の総経費を算出するには、これ以外の支出も考慮する必要がある。経費の中でも特に大きいのは新聞と雑誌で、これは年間8ポンドといったところだろう。
年に8ポンドあれば、日刊紙2紙、夕刊紙1紙、日曜紙2紙、週刊評論誌1誌、月刊誌1、2誌が購入できる。これで経費は計19ポンド1シリングになったが、総計に到達するには、さらに推測値を加えなければならない。というのも、本にお金を払ったとしても、手元に現物が残らないということがままあるからだ。図書館からの定期購読本や、ペンギンブックスなどの安価な版であれば、買ったままなくすか捨てるかしてしまう場合もある。しかし、上記で算出した数値を元に考えれば、年間6ポンドもあればこうした経費としては十分だと思われる。そんなわけで、わたしの過去15年間の読書経費は、年間25ポンド前後という結論に達した。
年間25ポンドというとたいそうな額に聞こえるが、まずは他のものにかかる費用と比較してみて欲しい。25ポンドを週で割ると9シリング9ペンスで、9シリング9ペンスといえばタバコ83本分(銘柄は「プレイヤーズ」)だ。戦前でさえ、この金額で買えるタバコは200本に満たなかっただろう。今の価格で計算すれば、わたしは本よりもタバコの方にずっと多額のお金を費やしていることになる。
わたしが吸うタバコの量は週に6オンスで、タバコは1オンス半クラウン(2シリング6ペンス)だから、その経費は年間で40ポンド近くにのぼる。同じタバコが1オンス8ペンスだった戦前で考えても、年間で10ポンドも使っていたわけだ。さらにそこへ1パイント分のビール代として1日6ペンスを加えると、タバコとビールで年間20ポンド近く使っていた計算になる。国民の平均値と比べても、それほど法外な数字ではないだろう。1938年、英国民は1人あたり年間約10ポンドを酒とタバコに費やした。
しかし、人口の20パーセントは15歳以下の子どもで、40パーセントは女性なのだから、日常的に酒とタバコをたしなむ人たちが使っていた額は、10ポンドどころではない。1944年には、酒とタバコに対する1人あたりの年間経費は23ポンドを超えた。先ほどと同様に子どもと女性を除外すると、1人あたり40ポンドというのが妥当な数字だろう。年間40ポンドでできることといえば、タバコ「ウッドバイン」を1日1箱買い、黒ビール半パイントを週に6日飲む程度だ。そうたいした額ではない。もちろん、価格は総じて高騰しているし、本も例外ではない。それでも、どうやら読書の経費は、たとえ本を借りずに購入し、かなりの数の雑誌を定期購読したとしても、酒とタバコを合わせた経費を超えることはないといえそうだ。
本の価格と、人がその本にどれだけの価値を認めるかということの関係性を定義するのは難しい。「本」には、小説、詩、教科書、参考文献、社会学の専門書など様々な種類があり、その長さと価格の間に相関関係はない。古本しか購入しない人の場合はなおさらだ。500行の詩に10シリング払うこともあれば、6ペンスの辞書を買って、20年の間に何回か調べ物をするだけのこともある。
幾度も幾度も読み返す本や、心の中に根を下ろし、その人の生き方をすっかり変えてしまう本、拾い読みするだけでいつまでも通読しない本、一気に読み通し、1週間後には忘れてしまう本もある。にもかかわらず金額の面から見れば、どれも同じということがありえるのだ。とはいえ、読書を単純に映画を見に行くのと同じ娯楽として考えれば、その費用を概算することはできる。
たとえば、読む本が小説や“大衆文学”に限られ、その本を毎週購入するとする。本は1冊8シリングで、読むのに4時間かかると考えると、1時間の経費は2シリングということになる。これは、映画館でかなりいい席に座るのと同じくらいの金額だ。もっとおかたい本が好みで、同じく本をすべて購入した場合でも、経費はやはり同程度だろう。本の金額は高くなるが、読むのに時間がかかるからだ。どちらの場合でも、本は読み終わった後も手元に残り、購入した値段の3分の1程度で売ることもできる。古本しか買わないのなら、経費は当然ぐっと抑えられる。1時間にだいたい6ペンスといったところだろう。一方、本を買わずに貸本屋を利用する場合なら、読書の経費は1時間半ペニーほどになり、公共の図書館から借りるのであれば、もはやただ同然だ。
ここまで書いてきて、読書は安価な娯楽だということが十分に証明できたと思う。ラジオを聴くことを別にすれば、おそらく英国一安上がりな娯楽だ。ところで、実際のところ英国民は、本にどれだけのお金を使っているのだろう。その数字はどこかにあるはずなのだが、見つけることはできなかった。ただ、戦前わが国では、再版や教科書を含めて年間1万5000冊の本が刊行されていたことはわかっている。仮にそれぞれの本が1万冊ずつ売れたとすると、教科書まで勘定に入れるのだから多めの見積もりにはなるだろうが、直接的、間接的を含めて平均的な人間が1年間で購入した本の冊数は、たったの3冊だ。3冊では、合計してもせいぜい1ポンドにしかならないだろう。
ここで示した金額は推定値だし、誰かが修正を入れてくれるなら喜んで拝見したい。だがもしわたしの推測がまったくの的はずれでないとすれば、ほぼ100パーセントの識字率を誇り、平均的な男性が、インドの農民が生涯で使うよりも多額のお金をタバコに費やしている国としては、そう自慢できる数字とはいえない。そこで、書籍購入費がこの先も変わらず低迷を続けるならば、せめてこう考えようではないか。この状況は、読書という娯楽が、不道徳な遊びにふけったり、映画やパブに行くことと比べて刺激が少ないことが原因であって、買うにせよ借りるにせよ、本の値段が高すぎるせいではないのだ。


























