入門翻訳勝ち抜き道場

古典新訳

冷ややかに見下ろす話

小川高義
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5月からの連載中に、上から見下ろすような視点で考えると、英語を読むヒントになることがあるという話をしました。あれから自分でも気になっているので、また似たような話をします。どこから見るか、その見方によって、解答が違ってくるのですね。とくに小説の翻訳では、人物を客観的に見るのか、その人物の心の中から見るのか、という差を意識せざるを得ません。

まず簡単な例で言いますと、She felt cold のような場合。この動詞を学校で習ったときには、意味を分類して考えなかったでしょうか。①彼女自身が「冷たい(寒い)」と感じた、②彼女にさわったら「冷たい」と感じた、というように。もちろん①では感覚の主体は彼女にあります。②では、誰か知りませんが、さわった人の感覚が問題になります。いわば彼女の内部から語るか、外部から語るか、という差になるのですが、こんなことは、いまさら言うまでもなく、基本文法として知れ渡っているでしょう。

それに加えて、この場面を上から(あるいは、距離を置いて客観的に、と言ってもよいのですが)眺めたとしたらどうでしょうか。感覚の主体が彼女にあろうと、さわっている人にあろうと、離れて見ている観察者にとっては、ただ feel cold という事実が発生しているだけのことです。ともかく、ある文を解釈するのに、主語の立場(目の位置)から考えることだけが正しいのではない。そういう警戒心を持つべきですね。

どこから見るかという問題は、翻訳には常につきまといますが、たとえば小説によくある「誰それが~をした」に副詞がついている、というタイプの、一見どうということはなさそうな文が、意外に訳せないものなのです。F. Scott Fitzgerald の "The Sensible Thing" という短篇からの例で、"There's no use going on," she said miserably.

恋人である男女が、まだ交際を続けるべきかどうか、ロマンスと打算の入り交じった議論をしていますが、はたして彼女自身が miserable なのか、それとも彼女を見ての判断か。ひょっとすると見かけはどうあれ内心は違うのか。

もう一つ、同じ作家の "Absolution" から、ある司祭がルドルフという少年に助言をするところで、The priest waved his hand vaguely.

この司祭、よくわからない人でして、自身の哲学を夢中でしゃべっているのですが、手の振り方まで vague です。さて、曖昧なのは司祭なのか、ルドルフから見て曖昧なのか、語り手が曖昧だと評価したのか。また、振った意図が曖昧なのか、手の動きが弱いのか。

なまじ副詞があるだけに、作家に謎をかけられたような気がします。楽譜で言えば演奏記号のようなものですね。Allegro やら forte やらと書いてあっても、どういう速さ、強さにしたらよいか、演奏家が判断するしかないでしょう。だからこそ演奏家の腕前や趣味が問われるのですが。

こういうところは(いや、こういうところも、ですね)いくつかの選択肢から一つを採用するというよりは、どうにか情景を思い描いて、そのままそっくり日本語で書き上げる要領がよろしい。もとが簡潔ですから、へんに凝った訳にもできません。うまくいったときほど、あっさりした仕上がりになると思います。たとえば "said responsively" を「言ってやった」と書いておけばよい、というような場合に、訳者は一人で悦に入るのです。

また、たまに便利な方法が使えることもあります。その一例が "The Rich Boy" に出てくるバーテンの発言で、"Now where was that, Mr. Hunter?" Nick concentrated doubtfully.

ある昔の話をされて、とっさに思い出せないのだが、なんとか相槌を打たなくては、という困った立場にあるバーテンですが、doubtful の意味合いをセリフに混ぜてしまえば、それ以上訳さなくてもよいでしょう。副詞を芝居のト書きとして、それらしいセリフを言わせます。いまのところ私の原稿では――

「さあて、そんなこともありましたかねえ」 ニックは考え込む。