「すべての翻訳は誤訳である」とか「翻訳はすべて暫定である」というようなことを、著名な2人の翻訳家が対談で述べていました。2人とも実績のある専門家ですから、そのまま受け取るわけにはいきませんが、翻訳という仕事のむつかしさと、その仕事への謙遜の言葉であろう、と私は読みました。
藤岡啓介さんも「翻訳は苦行僧のよう」と書かれています。なぜこんな苦労をともなう仕事から離れられないか——やはり面白いから、魅力があるから、「得られる成果は無上のもの」ということがあるからでしょう。外国語の試験でいつも100点をとっていた人たちが、永久に100点をとれない仕事に没頭し、そこから離れられない。私のようなよそ者にはすこし不思議にも見えることです。
ある作品を原文で読んで、感動する、心うたれる、これを「自分の」日本語にして誰かに伝えたい、という衝動が翻訳という仕事の根本にあるのだと思います。人間として自然な「運動神経」でしょう。
もう一つは、原作の「言葉」に対する愛情と、その原作を生んだ文化への敬意ということもあるだろうと思います。フランス語を学ぶ、中国語を勉強する、その最初の選択をする動機は、作者やその国、風土へのあこがれがあったからにちがいありません。

ツルゲーネフ作、中山省三郎訳 『猟人日記』(上)岩波文庫より 1939、40年(昭和14、15年)刊、3分冊
ドナルド・キーンさんは、太平洋戦争のさいの敵国情報を解読する手段として、日本語を学ぶことになったのだそうですが、それを通して日本文学・日本文化にのめりこんでしまい、生涯にわたって日本文化の研究をすることになりました。キーンさんがコロンビア大学で教えていた頃、彼の学生たちのテキストとして『日本古典文学大系』のなん冊かを送り続けたことがありました。
「私が日本語を話すと“日本語がお上手ですね”とよく言われるんですよ」と彼は不満そうでした。『日本文学史』の著者でもある人に、日本語がお上手ですね、というのは失礼にあたることでしょう。キーンさんの場合は、例外的なケースですが、ふつうはまず一冊の本とか、人間や文化との出会いが最初の動機だろうと思います。
友人の一人に、どうしてドイツ語を選んだのか尋ねると、「だってシューベルトのリートを聴くと、どうしてもドイツ語をもっと知りたくなるじゃない」と即座に答えました。シェイクスピアを観て、読んで英語を、という人も少なくないでしょう。
私の場合も一つのパターンですが、ツルゲーネフを読んだからでした。中学生時代に芥川を読んで枕元におくほどだったのですが、高校生になったばかりの時、風呂の火を焚きながら(昔はこんな仕事もありました)、なにか読む物はないかな、と兄の本棚からたまたまとり出した3冊の岩波文庫が、中山省三郎訳『猟人日記』でした。けっして高校生の興味をひくような題名ではないのですが、最初の数ページからひきこまれてしまったのです。
それがのちに日ソ学院に通うことになり、ブブノワさんとおつき合いをすることにつながっていきました。




























