入門翻訳勝ち抜き道場

巻頭エッセイ

『猟人日記』——二つの文庫
秋林哲也
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ブブノワさんのリトグラフ作品
ブブノワさんのリトグラフ作品にある
中山省三郎の肖像(1933年)

私をロシア文学に導いてくれたツルゲーネフの『猟人日記』は、岩波文庫の上・中・下3冊、中山省三郎訳です。いまは同じ文庫の上・下2冊で佐々木彰訳になっています。

明治時代に二葉亭四迷の翻訳で日本に紹介され、国木田独歩や藤村らに読まれて日本近代文学に影響を与えたとされるツルゲーネフの作品は、ずいぶん古いもののように感じられるかもしれませんが、けっしてそんなことはないと私は思います。これらの作品に流れているヒューマニズムと叙情性は文学の根源だし、対立する問題から目をそらさない姿勢は、作家的誠実の現れです。

いま『カラマーゾフの兄弟』が新しい訳によってベストセラーとなり、話題を呼んでいますが、ドストエフスキーの処女作『貧しき人々』と『猟人日記』は、ほぼ同時期に発表されています。

中山省三郎訳『猟人日記』は1933年(昭和8年)に第一書房から出版されて、のち1940年に岩波文庫に移ったと思われます。第2次世界大戦が始まったばかり、また太平洋戦争開戦前夜です。このような時期に外国文学、特にロシア文学などを翻訳出版することは容易なことではなかったでしょう。翻訳者や外国文学研究者にとっては冬の時代です。

こんなことを知っていますか? 昭和15年3月に内務省の通達があり、不敬にあたる芸名や外国風のカタカナ芸名は改名すべし、というのです。藤原釜足という俳優は、藤原鎌足に対して不敬だということで、藤原鶏太と改名させられました。なんでカマがニワトリになったんでしょうね。ディック・ミネという歌手は三根耕一に。たばこも例外ではありません。ゴールデンバットは「金鵄」(きんし=神武天皇の弓の先に止まって勝利に導いたというトンビ)、チェリーは「桜」に変えられました。英語は敵国語だとして排除したのです。

『猟人日記』

その頃アメリカでは、大学生のドナルド・キーンさんが、海軍語学校で日本語の特訓を始めたところでした。

中山省三郎が『猟人日記』の翻訳を進めるにあたっては、きっとワルワーラ・ブブノワさんのお世話になったはずです。ブブノワさんのリトグラフ作品に中山省三郎の肖像があり、その制作は1933年になっています。第一書房から『猟人日記』を翻訳出版した、まさにその年です。

中山訳の文庫『猟人日記』は当然、旧漢字で旧カナ遣い、紙もずいぶん変色してしまっています。が、私はやはりこの古い文庫で読むのが好きです。新しい訳の文庫と比較検討して評価したわけではありません。中山省三郎が数冊の詩集をもつ詩人であったことも関係があるのかもしれません。

それはちょうど曲の演奏の受容とも似ています。ショパンの夜想曲ならアルゲリッチよりもアシュケナージがいい、シューマンの「交響的練習曲」はゲルバーではなくポリーニが好きだ——という「こだわり」に近いと思います。これはどうしようもないことです。「冬の旅」はF=ディースカウでなく、G・ヒュッシュのSPで聴く、という人もいるのですから。