入門翻訳勝ち抜き道場

巻頭エッセイ

ブブノワさんの思い出 (4)
秋林哲也
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ゴーゴリの『外套』
ゴーゴリの『外套』、翻訳=平井肇  挿絵=ワルワラ・ブブノワ、 昭和11年10月20日版画荘

ブブノワさんを最後に訪ねた日、私は1冊の本を持参していました。ゴーゴリの『外套』、翻訳=平井肇 挿絵=ワルワラ・ブブノワ、昭和11年10月20日版画荘、と記されてあり、私の生まれた年に発行された本です。神田神保町の古本屋で見つけました。

ブブノワさんはなつかしそうにその本を手にとってページをめくり、「この本は戦災で失くしてしまって、私は持っていないんですよ」と言っていました。そして本にサインしてくれました。クレスティヤーノチカに対するお礼と、秋林サンがよい人生を送りますように、という別れの言葉でした。

そのサインは当時は読めたはずですが、今では彼女の美しい筆記体はもう読めなくなっています。スフミの住所を書いたのもきれいな書体です。ドストエフスキーの『貧しき人々』の中に「鎖をつないだような書体」という言葉があったと思いますが、まさにそのようなロシア語の綴りです。

『外套』の中には14枚のリトグラフによる挿絵が入っていて、大事な外套を奪られてしまう主人公アカーキイ・アカーキェヴィッチが、哀れさにユーモアをまぶされて描かれており、画家ブブノワさんのゴーゴリへの視点がよくわかるものです。(挿入画をご覧ください)

ついこの間、飯田橋駅から歩いても近いあの富士見町の大きな洋館を近くを通ったついでに探してみましたが、あたり一帯はすっかり変わってしまい、見当もつきませんでした。築80年にもなろうかという建物は、きっと取り壊されたことでしょう。チェホフの『中二階のある家』の有名な最後の1行「ミシュス、君はいまどこにいるのだ?」といった心境で九段下へ下りてきました。

洋館は、妹の小野アンナさんの元の夫・小野俊一氏の家でした。ブブノワさんたちは敗戦まぎわに外国人として軽井沢へ強制疎開(隔離?)させられ、帰ってきたら元の住居あとは焼野原になっていたのです。『外套』もその時に焼失したのでしょう。小野俊一氏はアンナさんと離婚後、再婚してその洋館に住んでいたのですが、困っていた先妻のアンナさんとブブノワさんに部屋を提供したのです。


ブブノワ先生の自画像

私の友人の翻訳家・宮下嶺夫さんは、昭和28年頃この洋館の一室に住んでいました。お父さんの宮下義信氏が小野俊一氏と同じ生物学者仲間で、その関係で宮下さんは上京した大学生として置いてもらったのです。やはり大きな建物だったからでしょう。

宮下さんは英語・スペイン語の翻訳書がたくさんある人で、アンナさんの部屋のヴァイオリンがよく聞こえたそうです。ラロの「スペイン交響曲」など聞いた覚えがあると言っていました。「あの古い洋館、いま思うと夢のようです」と書いてきてくれましたが、私にとっても同じで、2人で同じ夢を共有しているようなものです。

あの大きな洋館から前橋汀子や潮田益子といったヴァイオリニストがレニングラードへ、それから世界へと巣立っていったのです。