入門翻訳勝ち抜き道場

巻頭エッセイ

ブブノワさんの思い出 (2)
秋林哲也
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日本に来てまもない頃、ブブノワさんはインドの詩人タゴールの来日記念の講演を聞いたことがありました。東洋人として初めてノーベル文学賞を受賞したこの詩人は、日本を三回訪れていますが、このときは東京女子大学での講演でした。

タゴールは——ブブノワさんによると、白いターバンにゆるやかなヒダの多いインドの衣服を着て、やわらかなやさしい声の英語で話をしました。

と、黒い背広の日本人通訳が立って、タゴールの言葉を翻訳しはじめます。「まず、何回か、しわがれたせきをして、最初の一語を言いました」。タゴールの「流れる音楽のような言葉が」どうしてこんなに緊張した、おどしつけるような調子に訳されてしまうのか、ブブノワさんは奇異に思いました。

日本の男たちは、どうしてこんなに重苦しい話し方をするのか。それに比して日本の女たちの話は「微笑みとやさしさをたたえた鳥の囀りに似ていました」——ブブノワさんはそう書いています。

が、これは単に男と女の日本語の印象を比べているのではなく、日本の女性がいつも微笑みをたたえた囀りで自分を卑下してばかりいないで、「頭をもっと高く上げなさい。男たちの話し方をもっと変えさせなさい。話し方をもっと音楽的にさせなさい」と呼びかけてもいるのです。

これは戦前のことで、まだ日本語に慣れていない頃の出来事ですが、男と女の言葉や口調、話し方の違いを敏感にとらえ、このように論評しています。

戦後60年もすぎ、ブブノワさんが日本を離れてから50年近くになりますが、その間日本人の言葉がどう変ったか、男と女の言葉の関係がどう変化したか、考えさせられることの多い問題です。

早稲田大学や東京外語、日ソ学院などで、ブブノワさんはよくプーシキンの詩を朗唱しました。静かな声と美しい発音で詩が読まれると、聞く人はそれを音楽を聞くように受け入れました。

私は今でも彼女の夢見るようは眼差しと表情、掌や指のこまやかな動きを思い出します。特に「プーシキン」と発音するときには、唇を丸くつきだしてとてもうれしそうに、また誇りをこめて言っているように感じたものです。むかし、彼女の母方の家系の領地をしばしば訪れたロシアの国民詩人への思いと、オペラ歌手を目指したほどの母親から受けついだ音感からでしょうか、プーシキンの詩の朗唱は多くの人に感銘を与えずにおかないものでした。

藤岡啓介さんも教室で、このようにしてブブノワさんがプーシキンやチュッチェフの詩を朗読するのを聴いた一人です。今から五十年も前のことです。同じ頃同じ教室で、後藤明生、五木寛之、宮原昭夫、三木卓・・・・・・といった人たちも、その柔らかな声に耳を傾けたはずです。ただし、学校を休んでいなければ——という条件つきであることは、いうまでもありません。

(本文中の引用は「ブブノワさんという人」コジェーヴニコワ・三浦みどり訳・群像社刊より)


プーシキンは十二歳のときリツエイ(学習院)に入り、多くの詩を書き、ロシア詩壇に新星現わる、と注目されたのですが、この写真はソビエト時代の学校教科書に載っていたもの。日本で当時ロシア語を勉強していた若者にお馴染みの挿絵です。WEB検索で出てきました。『ツアールスコエ・セローでのプーシキン』と題するもので、当時の大詩人ジェルジャーヴィンの前で朗読したというエピソードを、イリヤ・レーピンが描いたものです。秋林さんの文章を読み、自分がブブノワさんの晩年の生徒の一人であったこと、先生がプーシキンやチュッチェフの詩を朗読しながら教室を歩かれていたことが懐かしく思い出されます。ロシア語の響きのなんと美しいものか——秋林さんの文章を邪魔してしまいましたが、つい懐かしく。タゴールの挿絵でも入れようか、と探していたのですが、どうしてもプーシキン、となりました。藤岡記。