入門翻訳勝ち抜き道場

巻頭エッセイ

バベルの塔
秋林哲也
[ profile ]

——さて全地は同じ言語を持ち、同じ言葉を話していた。人々は東の方から移って、シナルの地に住みついた。……「さあ、我々は一つの町を建て、頂きが天に達する塔を造り、我々の名を有名にしよう、全地の面(おもて)に散らされるといけないから」。

ヤハウェが天から降りて来られ、町と塔とを御覧になった。「御覧、彼らはみな同じ言語をもった一つの民である。その最初の仕事がこのあり様だ、今に彼らの企てる何事も不可能なことはなくなるであろう。……彼らの言葉を混乱させ、互いに通じないようににしよう」……彼らは全地の面に散らされ、町を建てることを放棄した。それ故その町の名を乱(バベル)と呼ぶのである。(岩波文庫『創世記』の部分引用)

冒頭から引用で恐縮ですが、このところは読むたびに、私にある種の感慨を呼び起こします。人間がさまざまな土地に散らばって多様な生活をし、数多くの言語を話すようになったことを、『旧約』は上のように説明しています。石の代わりにレンガを焼き、粘土の代わりに瀝青を用いて天にまで達する塔を造ろうと企てたことに対し、ヤハウェは罰として共通の言語を取り上げてしまった——

バベルの塔
(小学館『日本大百科全書』より)

P・ブリューゲルが、造りかけの巨大な「バベルの塔」の絵を描いていますが、そこに点在する人間のなんと小さいことでしょう。

それからどれほどの年月がたったことか。人間は戦争をしたり国を造ったりしたが、塔はどこかの地に置き去りにされているようです。しかし言葉の混乱に対しては、すこしずつ修復の作業を始めました。「翻訳」という仕事をする人たちが現れたのです。ブリューゲルの絵の塔の上に小さく小さく見える人影は、この翻訳をする人たちの姿かもしれません。

塔の背景には、はるかな地平が描かれています。低い山や丘も連なっていて、右手には川も流れている。路も見えるし家々も並んでいる。それらの手前中央にどっかと描かれた「バベルの塔」は、よく見るとなんだか少し傾いでいるように見えませんか。もしこのまま、塔が上の方へと伸びていったら、「ピサの斜塔」のように曲がってしまい、とても天まで達するのはむつかしそうです。

そう考えると、人間が「翻訳」ということで「バベルの塔」の修復を始めた、などという言い方は、すこし安易なものの言い様にも思えます。

私自身は、この塔を離れて眺めているだけの人間の一人にすぎませんが、編集という仕事を通して、多くの専門家とお付き合いをしてきました。

「バベルの塔」の修復は困難なことかもしれませんが、小さな一個のレンガは、どんなに小さいレンガであっても、天に向かっての一歩であることにはちがいない。しかし——と私は考えます。塔が完成することはないのではなかろうか。完成しない塔のために、色とりどりのレンガを積む作業そのものに意味があるのではないだろうか。「翻訳」という仕事は終わりのない仕事で、つねに上へ上へと向かっている作業ではないだろうかと。

そしてまた、「翻訳」という仕事と向き合うときは、人間への大いなる関心と信頼が、必ずその前提としてあるはずだし、それがなければ作業は成り立たない、と思うのです。