歴史的なことども――よく耳にする言葉だ。とりわけ、クーベリックが亡命先の英国から祖国に戻ってチェコフィルの指揮棒をとり、スメタナで新体制の幕開けを祝う一九九〇年の「プラハの春」は、人々も街も空も森もモルダウも、何もかもが沸き立っていた。歴史だった。スメタナホールにはハベル大統領がいた。きっと、チャスラフスカもいただろう。この国の人々に、この国のものでない自分が加わっているのが場違いであり恥ずかしくも思えた。帰りの空港に向かう途中、タクシーの運転手がひとつの建物を指差し「やッ、見てくれ!ここが共産党の本部だ。今は、なにかの研究所になっているが……La commedia é finite!(喜劇は終わりぬ)」と叫んで声高に笑った。『道化師』の最後の一節がまだ耳にある。二〇一〇年五月、どうしても「沖縄」を、そして「歴史」を考えたくなった。
藤岡記
成瀬政男博士の仙台工専時代の思い出話の中に、「先輩に笑われる」という下りがある。工作法の講義のとき、黒板に書かれた英語を、おかしいと思いながら、見えたままに、something and forgettingとノートに写したというのだ。講義が進むにつれて、somethingはsmithing(鍛冶)であり、forgettingはforging(鍛造)のことだと判断がつき、さらに、自分の眼鏡の度が合っていないことにも気がついた。寮に戻ったとき同室の先輩にそれをいったら、大笑いした、という話である。smithいう言葉には動詞がなく、したがって-ingのついた形はないので、これは成瀬先生のもうひとつの思い違いで、smithery(鍛冶、鍛冶屋)ではなかったか、と思えるが、それはともかく、工作法の講義に「何かあるもの」「忘れること」が語られるはずがない、ということが、きわめて印象的なことに思える。
(2010年の現在、改めて辞書をみると、動詞のsmithがありました。本稿を書いた1978年以前には英和になかったようです。)
技術の考えにはsomething,sometimes,somewhat,somewhereという概念はない。というよりも、不確定なものを、形にかえ、動作に移すことが技術であるのだから、「何かあるもの」は「定められたもの」になっていなくてはならない。「忘れること」も同様だ。忘れないために技術が開発されている。忘れやすい人間のために、maintenance(保守)のソフトウエアまでが作られている。somethingもforgettingも工業英語にないといえば、きわめて無味な、非人間的な世界になってしまうが、人間そのものは、常に不安定、不確定の中でうごめいているのだから、ことは矛盾している。矛盾があればドラマがある。だから、技術は面白いのだろう。
閑話休題。受験英語の中で、不定詞の項であったか、「目的格補語」を教えるために、どの参考書にもでてくる文例がある。
Byron awoke to find himself famous.
バイロン二十四才のとき著わしたChilde Harold's Pilgrimageの成功を語るエピソードの一文で、ある朝目覚めてみたら有名になっていたとは、ずいぶんロマンチックな話で、目的格補語を学ぶよりも、バイロンにならって巡礼の旅にこそ出るべき、と思い込んだものであったのだが……
このロマンチックな「ある朝」を、成瀬博士は体験している。スイスのマックス・マーグが開発し、その使用権を世界の歯車界に高額で売っていたprofile shifted gears(転位歯車)の転位係数の“秘密”を世界で初めて数学的に解明し、一般式にまで完成、工学博士となる(1931年)、著書『歯車』を工学書のベストセラーズとする(1934年)、豊田喜一郎氏の要請から、民間用国産車の歯車を設計・製作する(1935年)、欧米留学、東北大教授、すでにその業績は高く評価され、歯車の成瀬の名は斯界の名誉であったのだが。
ある朝、新聞を手にしたとき、その名が日本の名誉として遍く伝えられているのを知るのである。ドイツ、フリードリッヒ・ハ一フェンにある世界的歯車工場では、日本の成瀬の理論・公式によって歯車を作っている――ドイツ科学技術の隆盛、日本の学者、特殊鋼の本多光太郎、磁石鋼の三島徳七、そして、歯車の成瀬政男……
ドイツを視察した山下奉文将軍、新京での談話だった。昭和十五年の頃のことという。後年技能教育の必要を主張して、ついに職業訓練大学校の創立にまで運ぶ成瀬博士を支持する輿論が国民的であったのも、この「朝」があってのことだったかも知らない。
(SEPTEMBER 1978)
(第4巻158号)



























