東ドイツ、東ベルリン、そういった呼び名が存在していたとき、ブランデンブルグ門の東側で、東西を隔てるベルリンの壁の空間でカメラを構えていた。突然、自動小銃を手にした兵士たちに取り囲まれ、迷彩のある軍用トラックに乗せられた。観光バスから降りたったばかりのアメリカ人観光客が、この「逮捕」をまぶしそうに見ていた。
「写真をとるな!」という警告だったが、ドイツ語はできない。「東」であることを幸いにロシア語でまくしたてた。我は貴同盟国の客である、パスポートを自慢した。ソ連、ポーランド、チェコのスタンプが並んでいる。士官らしい青年が出てきて、両手を交差させた。「フォト、ニエット」ときこえた。フイルムは没収されなかった。トラックで元の場所に戻された。観光客がちょうと離れるところだった。何人ものアメリカ人が、窓から手を振っていた。1960年代のぼくのささやかな事件だった。
藤岡記
音楽はベートーヴェンがいい。仕事をするときでも、寛ぐ時でも、子守唄ですらも、ベートーヴェンに全てがある。そう信じていながら、街など歩いているとき、口ずさむ歌が“UFO”であったりすると、それまでのべ一トーヴェン熱が一挙にさめてしまい、やはりニューミュージックの流れに浸りきってしまう。
ひと一人の中でもあり得ることなのだから、歴史の中での古いものと新しいものとの確執となると、新しいものが古いものを無慈悲に蹴散らしたり、あるいは古いものが新しいものを長きにわたって逼塞させてしまったり、そこで生れる悲喜劇は、個人のそれの及ぶところではない。といって、歴史にあることだからといっても、必ずしも大事件ばかりではない。いや、大事件、変革に到らなかったという話もある。
いまからみれば、信じられないようなことだが、二百年ほど昔のイングランドに、針を作る職人をうたった、作者不詳の哀れな詩が残されている。
There draws the grinder his laborious breath,
There, coughing at his deadly trade he bends,
Born to die young, he fears no man nor death,
Scorning the future, what he earns he spends
砥石が奴の息の根とめた、もう働かない。
ほれ、仕事は死ぬまで、咳してくたばり、
どうせ若死、だあれも怖かない、死んでもいいよ。
お先まっくら、かせいだだけは使っちまうよ。
この頃、針や釘作りの職人になるのは名誉なことであった(いつの時代でも、なにかの職人になれれば市民権を得ることを意味した)のだが、なぜならば、Society of the Arts or Mysterye of Needle Makers of the City of London(ロンドン市針製造家技術もしくは神技協会)というものものしい協会があり、しかもその会員になるには「神技」を持つ親方会員の目の前で、五百本の針を鍛え上げねばならないという厳しい規則まであったほどなのだが…… 針作りは金にはなるが生命と引きかえの職業であったことが詩の中に書かれている。
なぜ若死かといえば、最終工程の磨き盤が原因で、砥石で削られた鉄粉を吸い込んでしまい、肺をいためるからだ。 pointers’rot(とがらせ工の肺腐り)という異名さえあったほどだった。
あるとき、アブラハム、エリオットという二人のヒューマニストが、これではpointerになり手がいなくなるではないかと考えて、鉄粉を磁石で集める簡単な装置を作ってみた。ところが、なんとしたことだろう。肺を片方なくしているような蒼ざめた男たちは、断乎として、その新しい集塵装置を使おうとしなかった。「仕事が安全になったら、だれが高い工賃をだすものか」
詩人はさらにうたう。
アブラハムもエリオットも、それでも虚しいとは知りながら
胸に浮んだ科学の花開く時をじっと待っている。
奴はもう駄目だ!死に急いでいて
だれにも煩わされない墓場に逃げ込んで
そうさ、三十と二才で……
ずっと昔の話であるのだが、いつの世にでも、分らず屋はいるし、アバラハムもエリオットも、そして詩人もいるようだ。
(JUNE 1978)
(第4巻145号)



























