入門翻訳勝ち抜き道場

巻頭エッセイ

東ドイツ、東ベルリン、そういった呼び名が存在していたとき、ブランデンブルグ門の東側で、東西を隔てるベルリンの壁の空間でカメラを構えていた。突然、自動小銃を手にした兵士たちに取り囲まれ、迷彩のある軍用トラックに乗せられた。観光バスから降りたったばかりのアメリカ人観光客が、この「逮捕」をまぶしそうに見ていた。

「写真をとるな!」という警告だったが、ドイツ語はできない。「東」であることを幸いにロシア語でまくしたてた。我は貴同盟国の客である、パスポートを自慢した。ソ連、ポーランド、チェコのスタンプが並んでいる。士官らしい青年が出てきて、両手を交差させた。「フォト、ニエット」ときこえた。フイルムは没収されなかった。トラックで元の場所に戻された。観光客がちょうと離れるところだった。何人ものアメリカ人が、窓から手を振っていた。1960年代のぼくのささやかな事件だった。

藤岡記

 
マグデブルグ、いまも昔も……
藤岡啓介
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ドイツはドイツ、なるほど、西も東もごらんになって、そんな風に感じましたか。うまい言葉ですね。多分にspiritualで、われわれ技術の方とは無縁のようですが、実は心の持ち方の方が問題なんですね。お言葉を言い換えれば、ここでは、マグデブルグはマグデブルグ、こうなりますよ。

フラスコに管をつなぎ、いっぱいに水を入れてから逆さにして、その先端を水槽につければ、フラスコの中が真空になる。うまく調節すれば、気圧の変化につれて、フラスコの中に水面が現われたり消えたり、そんな演出ができるでしょう。

ガリレオ、トリチェリ、パスカルといった人たちが、空気に重さがあることを発見し、その意味について思索を重ねていたころ、マグデブルグ市長、Otto von Guericke (一六〇二~一六八六)は、市民のための天気予報機を考案しました。大がかりなフラスコ装置を作り、中に人形を入れ、高気圧で天気の良い時は人形が屋根の上に顔を出し、低気圧のときはひっこめる。謹厳実直な法学先生と思いきや、しゃれた仕掛けを作んなすった、と市民は驚くやら喜ぶやら。もしや魔女ではないかと疑ったものもいたということですがね。

疑うといえば、この頃、ゲーリッケはアリストテレスを疑っていました。英語でいえば“Nature abhors a vacuum.(自然は真空を嫌う)”という命題です。重さがあるということは物質なのだから、空気の詰った容器から空気を抜き出すことができるだろう。そこで水揚げポンブと同じ原理の、空気ポンプを考案しました。一六五〇年のことです。

市民を集めて、“真空”を見せました。ロウソクの火が消える、動物が死ぬ、鈴の音が消える、さらに、二つの銅製半球を作り、ぴたりと合わせてから中の空気を抜く、十六頭の馬にひっぱらせても半球は離れない。「マグデブルグの半球」として名高い公開実験もやりました。

これは、科学史上の面白いエピソード、ではないんですね。当時のマグデブルグは、三十年戦争ですっかり破壊され、三万人もの市民が殺戮されるという惨憺たる有様でした。彼の、熱っぽい科学への情熱が、荒廃した民心を鼓舞しなければならない市長の責任と結びついたんですよ。そうでなければ、現代の宣伝屋も思いつかないような派手なエピソ一ドは生れなかったでしょうから。

うちの工場は、一八九二年に創立された古い工場です。キャプスタン旋盤を作りましてね。技術の先端をいっていました。その後、空軍の傘下に入りまして、ユンケルの主部品を作りましたが、それがたたって、第二次大戦では米軍に徹底的に襲われました。一九四七年に、さて再建というとき、千人いた従業員のうち、集ったのは六名のエンジニアと百人の失業者でした。工場の主要機械は破壊されたり戦勝国にもっていかれたり、図面も灰になっていました。何もかも新しく考え、作り出しましたよ。今思えば、形をもった伝統は断絶しましたが、かえって形のない、“精密”の伝統は生かせたといえるんでしょう。ごらんの通り、東も西もドイツの機械は抜本的に自由に新しく設計されています。“再設計”ではないんですよ。

あのとき、うちが何か創り出していなかったら、街の灯は消えたままも同然でしたね。マグデブルグはマグデブルグです。えゝ、ゲーリッケも、わたしたちも、愛国者ですよ。
(Kombinatsbetrieb Werkzeugmaschinenfabrik Magdeburg, “7. October” Berlinにて)

(MAY 1978)

2010年2月8日号
(第4巻143号)