1968の年のデトロイト、空港でチャーターバスに乗り込んだら「ミスター・フジオカ?」と呼びかけられた。黒人男性の声だった。運転手の脇にある椅子に大きな男が坐って、視線を宙に、返事を求めている様子だった。ミスター・オーウェル。ぼくの声で、ぼくの現われたのを知ったのだった。前の年、彼の運転で数日デトロイトを走りまわった。その彼が、盲目で現れた。日本人の妻をもつ彼を「日本通」だからと、同僚の黒人ドライバーがアシスタントに推薦したという。Black is beautiful! が叫ばれていた。騎馬巡査が二人組になって物騒な町をパトロールし、見本市会場では、警備員が拳銃をむき出しで腰に差している、それが格別におそろしいものに思えなかったとき、オバマ登場40年前のことだった。月刊誌『工業英語』の巻頭言には、こうした番外がいくつか積み残されている。
藤岡記
人前を憚らず、衣服についたシラミをひねりつぶす、ただこれだけのことだったら、どこにでもある(?)ことで、傍若無人を意味する捫蝨(もんしつ)なる言葉は生れてはこなかっただろう。五胡の時代の王猛(325~375)がまだ市井にあって官に登用される前のこと、北伐に赴く桓温と語り合ったとき、シラミを捫(ひねりつぶ)しながらさり気なく話をし、その間に温に帝位簒奪の野望ありと見抜いたという故事があるのだ。
漱石の苦沙弥先生が陽の当る廊下で、鼻毛を抜いては、苗木を植えるように1本1本板の上に立てたのは、猫の前であって、人の前ではなかった。もしかしたら“植鼻毛”などという言葉が生れていたかも知れないが……だれにも、気づかずにやってしまうクセ、あるいは、ひそかに楽しむクセがある。なくて七癖。英語の諺でいえば、Every man has his fault. あるいはEvery man has his delight.というそうだ。
『福翁自伝』に、翁の母のシラミとりの奇談がある。自分の身についたシラミではなく、近所にいた女乞食を自宅に呼び入れて、たすき掛けの出で立ちで、乞食のシラミとりを始めるというのだ。少年諭吉を加勢に呼んで、シラミをとっては庭石の上におき、それを身構え待機している息子が小石でもってコツリと潰すというのだ。これが、福翁の母のdelightであったらしい。猫や犬のノミをとる女親の想い出を持つ人は案外に多いのだが、乞食のシラミまでとるほどにコッタ話は、これが唯一のものではなかろうか。
だから、というわけではないが、福沢諭吉(1834~1901)にも、奇談がある。緒方洪庵の塾で蘭学を学んでいた頃のことである。あるとき、熱病をわずらったときのこと、塾にいては迷惑だからと、以前厄介になっていた兄の屋敷に引移った。熱の高い間は坐蒲団かなにかを括って括枕(くくりまくら)としていたが、恢復してくると、普通の枕で寝てみたくなった。そこで家人に枕を頼んだのだが、どこにも自分の枕は見当らなかった。何ヶ月か暮していた屋敷に、枕がないとは不思議なことだったのだが、やがて、思い当った。「これまで枕をして寝たことはなかった」のだ。
その頃、蘭学を学ぶに懸命で、いつも、昼夜の別なく書を読んでいて、疲れてくると、机の上に突臥して眠るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るか、ついぞ蒲団を敷いて夜具を掛け、枕を当てて眠ったことがなかった、というのだ。この頃の人たちの青春時代には、似たような凄じい篤学の話がいくつもある。睡くなってコックリするのを防ぐため天井から糸をたらして自分の髷を結んだという新井白石の逸話や、和蘭字書ヅーフハルマの写本を二通り作ったという勝麟太郎……。
哲学者であり、数学者であり、平和主義者であり、しかも百才に近くまで生きたBertrand Russell(1872~1970)の『自伝』の冒頭に、三つの情熱が自分の人生を左右したとして、それらはThe longing for love, The search for knowledge, And unbearable pity for the suffering of mankind【この質問に答える】※この質問は締め切りましたであった、といっている。
福沢諭吉の「枕がなかった」という奇談も、ラッセル卿のいう「知を求めること」の情熱であったのだろう。その情熱の桁が常人と違うところで、諭吉は“福翁”となり、ただの大酒飲の語学者に止まらなかった。
(FEBRUARY 1977)
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