1968の年のデトロイト、空港でチャーターバスに乗り込んだら「ミスター・フジオカ?」と呼びかけられた。黒人男性の声だった。運転手の脇にある椅子に大きな男が坐って、視線を宙に、返事を求めている様子だった。ミスター・オーウェル。ぼくの声で、ぼくの現われたのを知ったのだった。前の年、彼の運転で数日デトロイトを走りまわった。その彼が、盲目で現れた。日本人の妻をもつ彼を「日本通」だからと、同僚の黒人ドライバーがアシスタントに推薦したという。Black is beautiful! が叫ばれていた。騎馬巡査が二人組になって物騒な町をパトロールし、見本市会場では、警備員が拳銃をむき出しで腰に差している、それが格別におそろしいものに思えなかったとき、オバマ登場40年前のことだった。月刊誌『工業英語』の巻頭言には、こうした番外がいくつか積み残されている。
藤岡記
バーグマン、ボワイエの演ずる『ガス灯』のクライマックスで、ちらちらと揺れ動き、影をつくり、先細りになって部屋の空気を緊迫したものに変え、美女を狂気へと追い込むガス灯の描写があった。だれかが、同じ屋敷の中で、同じ管につながる灯口に火をつけたのだから――だが、観客にも、バーグマンにも、その種や仕掛けは分らない。事実を幻覚と思いこませる恐怖の心理劇、これは映画の、ドラマ仕立ての故なのだろうか。
入口の扉を手さぐりで開け、すぐ左手にあるオレンジ色をしたパイロットランプのついたボタンを押すと、電灯が点り、階段を照らす。上に登って踊り場で次のスイッチを押す時には、もうタイマーが働いていて、下の電灯は自動的に消える。45秒。消し忘れて、人のいない場所を照らしたままにしておくような不経済はしない。西独のアパートで知った魔法のスイッチだった。借りている部屋に入るには、食堂を通らなければいけない。薄暗い広い部屋を、勝手知ったつもりで進んでいくと、目の前にぼッと、白い顔が浮き上る。どきりとしてたじろくと、それは家主の女主人だった。暗くても、なにもすることがなければ、光はいらない。これも、ドイツ的なのか、と驚いた。恐怖劇ならぬ、驚嘆の寸劇だった。
電灯に使う電気の消費は、ローソクや灯油やガスと違って、刻々の消費、燃焼が目に見えない。浪費と節約も、刻々の変化は目にみえない。目に見えないものを見据えるのが、文明の魂(こころ)である。こう思うのは、ガス灯の名残りがあるヨーロッパの石畳を歩く者が等しく受ける感銘であるのかも知れない。
ガス灯の世紀十九世紀をつくったスコットランドのWilliam Murdock(1754~1839)が、かねてからの研究であった石炭ガスを街灯に使うことを提唱したのは、一七九二年の頃だったとされているが、当時、世人はガスの利用も、街灯の必要も、考えたことはなかった。
時の文豪スコットが、それをきいて手きびしく揶揄(やゆ)したという逸話まで残っているが、当代錚々たる科学者も、同様だったらしい。たとえば、プリーストリー、ワット、ダーウィンたちの社交クラブにLunar Societyという名称があるが、この「太陰会」とは、会合の帰り、夜道を安全に帰れるようにと、満月の日に集(つど)ったことから名付けられたという。
もし、マードックに先駆けて、真剣に街灯にとり組んだ男がいたとすれば、それは多分Antoine Laurent Lavoisier(1743~1794)であろう。「質量保存の法則」を発見して、近代科学の父とも呼ばれるラヴォアジェであるが、二十三歳のとき、「パリの街をもっとも良い状態で照明すること」について、研究論文を科学アカデミーに提出し、金賞を得ている。(一七六六年四月九日と伝えられている)。この研究のために、自分の視覚を一定の条件下に保たせる必要から暗室を作り、実験のためのランプを前にして、六週間というもの、寝食を忘れるほどに没頭した結果だ。パリの街灯はナボレオンの時代まで実現しなかったが、科学の灯にさらに輝きを与え、教育の平等、普及をもっとも急進的に叫んで人類を励ましたラヴォアジェだったが、不幸にもその死は“暗”に終わった。
舞台はコンコルド広場、ロベスピエールの演出するギロチン恐怖劇で、首を落された。徴税長官の娘を妻としているという、それだけの理由で。そして逮捕に当った男の、「共和国はsavant(学者・科学者)を必要としない!!」という台詞が残って。歴史をドラマとしてみれば、これも納得のいくことなのだろうが……。
(DECEMBER 1977)




























