1968の年のデトロイト、空港でチャーターバスに乗り込んだら「ミスター・フジオカ?」と呼びかけられた。黒人男性の声だった。運転手の脇にある椅子に大きな男が坐って、視線を宙に、返事を求めている様子だった。ミスター・オーウェル。ぼくの声で、ぼくの現われたのを知ったのだった。前の年、彼の運転で数日デトロイトを走りまわった。その彼が、盲目で現れた。日本人の妻をもつ彼を「日本通」だからと、同僚の黒人ドライバーがアシスタントに推薦したという。Black is beautiful! が叫ばれていた。騎馬巡査が二人組になって物騒な町をパトロールし、見本市会場では、警備員が拳銃をむき出しで腰に差している、それが格別におそろしいものに思えなかったとき、オバマ登場40年前のことだった。月刊誌『工業英語』の巻頭言には、こうした番外がいくつか積み残されている。
藤岡記
花見をしても、酒がないともうひとつ興がのらない。「酒なくばなんのおのれが桜かな」、いやさ、「酒に十の徳あり」というではないか、百薬の長、延命長寿、万人和合、独居の友、寒気に衣、推参に便……。昔の人はうまいこというではないか。飲んで悪いものなら、だれだって飲みはしない、といって、十の徳のうちひとつでもあれば、そりゃあ、飲んでいいってことだよ。
ロベスピエールは、王侯貴族を断頭台に送りこみ、“人民”の面前で“革命”の名においてギロチンにかけ「威嚇なくしては徳は力をもち得ない」と豪語していたのだが、そもそもは、平和主義者であり教師であった男なのだ、美女マリ・アントワネットの首が首桶にぽとんと落ちこむのを見るのは、耐えられなかったと思うのだが。
さて、こんなことを思うのは、ロベスピエールならぬ凡夫であり、“革命”の大義を個人的な心情で理解しようとする不心得と自戒していたのだが、歴吏家のJ.M.トムソンによると、ギョッタン博士の新しい首切り機の性能が、きわめて迅速・無痛に見えたので、口ベスピエールも平然としていられたのではないか、とある。
たしかに、Dr. Guillotin(1738~1814)が、革命時、医師から憲法制定議会に選ばれ、求められて死刑の執行法について提案したというのだから、旧制度の支配者たちをどのように処刑するか、“平民”たちは大いに悩んだもののようである。
――刃物が垂直に上下するようにみぞを設けた門型の柱を組み、その刃には十分の重みをつけ、執行者の操作によって瞬時に落下するようにする。落下部に、横たわった被処刑者の頸部をあてがう。切断された頭部は、直下にある桶に落とし、肢体は、処刑台の側部に用意された棺桶に収納する……。
この断首法は、フランス革命時よりももっと昔に、ヨーロッパでは広く行なわれていたものだが、制度化はされていなかった。ギョッタン博士が考えた「いつも同一の方法がとられ、それも機械で行なうことのできるもの」は、古い文献にある、スコットランドではmaiden(乙女)と呼ばれていた、迅速・無痛さを“特長”とする断首法だった。
ところが、この提案が議会で発表されると、あまりにスマートでない“機械化”であることで、議会哄笑のうちに、せっかくのアイデアも採用されなかったという。1789年のことであった。だが、フランスには皮一枚を残して刎(は)る浅右衛門のような据物斬りの名人はいない。三年後には処刑のコスト高から、議会はやむなく外科医Louisに命じて、ギロチンの製作・実験を行なわせた。1792年4月25日、強盗Pelletierが、“最初”の名誉に浴した。機械は、したがってLouisetteあるいはLa Petite Louisonと呼ばれたのだが議会を湧かせたギョッタン博士の印象の方が強かった。三日後には新聞紙上で改名されて、以来今日まで、Guillotineで使われている。「ギロチン」という日本語になったのは、いつのことか詳かでないが、日本国語大辞典によると、文学作品では、切腹し、介錯までしてもらった三島由起夫の『仮面の告白』が最初であるという。
(NOVEMBER 1977)



























