1968の年のデトロイト、空港でチャーターバスに乗り込んだら「ミスター・フジオカ?」と呼びかけられた。黒人男性の声だった。運転手の脇にある椅子に大きな男が坐って、視線を宙に、返事を求めている様子だった。ミスター・オーウェル。ぼくの声で、ぼくの現われたのを知ったのだった。前の年、彼の運転で数日デトロイトを走りまわった。その彼が、盲目で現れた。日本人の妻をもつ彼を「日本通」だからと、同僚の黒人ドライバーがアシスタントに推薦したという。Black is beautiful! が叫ばれていた。騎馬巡査が二人組になって物騒な町をパトロールし、見本市会場では、警備員が拳銃をむき出しで腰に差している、それが格別におそろしいものに思えなかったとき、オバマ登場40年前のことだった。月刊誌『工業英語』の巻頭言には、こうした番外がいくつか積み残されている。
藤岡記
たとえば、どうだろう。アメリカ合衆国の誕生する前の、英国の植民地であったボストンで、英国王に忠実たらんと励んだ男がいた。独立戦争で英国が敗れたとき、その男は売国奴になってしまうのだろうか。宮廷で栄達をとげると、王がhomosexualだからと陰口をたたかれる。年上の金持の未亡人と結婚する。生涯、二度結婚して、二度とも杜会的地位のある大金持の未亡人が相手だった。その男は、野心家なのだろうか。
歴史家のギボンと旅を共にしてドーバーを渡ったことがある。ギボンは、Mr. Secretary-Colonel-Admiral-Philosopherと、長い名称をつけて彼のことを記した。ミュンヘンにいた十二年間は、軍事大臣、警察大臣の要職にあって、ババリア選挙王についで権カを持っていた。六万人の人口の都市に二万六千人の乞食がいた。軍隊を使い、乞食狩りをやった。一夜のうちに、ミュンヘン中の乞食を“産業の家”に収容し、衣食を与え、軍務という職も与えた。ロンドン、パリの学会で、つぎつぎに熱理論に関する研究発表を行なった。研究の副産物として、近代的な台所のレンジや、平底のナベや、ドリップ式のコーヒー・ポットが生れた。衣服をつけると、なぜ暖かいかを、理論的に説明したのも、世界で最初だった。
毀誉褒貶(きよほうへん)はなはだしき人物といえば、それなりの人格が思い浮んでくるのだが、赤毛で白晢の貴公子然とした(実は農民の出身だが)Benjamin Thompson(1753~1814)は、たしかに、そのような人物であったようだ。運というものは、だれにでも一度や二度はめぐってくるものだ。ただ、それを確実に知ることはできないし、また知っても、自分の能力が及ばなかったら、その運を逃すことになる――東洋の易の発想の根本に、そのような運命観があるが、トムソンの場合、能カに恵まれすぎたのか、あるいは運が一度二度でなく、あまりにも多くめぐってきたのか、若いうちから、人生を変えることしばしばだったようだ。
十四歳年上の未亡人と結婚した(トムソン十九歳)のは、女性の父親に見込まれて、是非にということだったという。その関係から、ボストンのお偉方に近づくことができたが、American cause(アメリカ独立主義)を弾圧する側に立ってしまう。才があるので役に立つ。火薬の扱い(重量測定)や海上の信号システムを考え出したり、大砲の製作技術に新機軸をもたらして、政治家だけではなく、軍事技術の専門家にもなってしまう。
合衆国が成立したときは、もうボストンにはいなかった。焼打ちを避けて、単身ロンドンに飛んでいたのだった。植民地アメリカに裏切られた英王ジョージ三世は、その植民地を裏切って逃げてきた男が気に入ってしまう。ミュンヘンをスバイするよういい含めて、ババリア王に近づけたり、貴族の称を与えた。トムソンは、Count Rumford(ラムフォード伯爵)となる。ラムフォードとは、アメリカに置いてきた妻の領地だった。
学者、発明家、政治家での高い評価、裏腹に市民としての資質を問う冷たい眼。歴史のフラスコは、時には、トムプソンのような化物を生みだすらしい。(二度目の結婚がguillotineに消えた天才ラボアジェの未亡人だったことも、トムソンらしい選択として伝えられている。)
面白いことに、ハーバート大学には、特別教授職としてRumford Professorshipが設けられている。二度と見(まみ)えることのなかった妻の領地の名で、永遠に、逃れた故郷に記されることになったわけだ。銘すべし、とでもいうのだろう。
(OCTOBER 1977)

資料では“Count Rumford”の方が探しやすい。面白い挿絵があるが、これはもうトンプソンが成功し、著名な風刺画家のギルレーが取材して描いたもの。【次のキャプションを訳す】
Thompson, as Count Rumford, visited in 1795, and gave a thousand pounds to the Royal Society, as equal sum to the American Academy of Arts and Science. Later, he founded the Royal Institution. Gillray’s caricature of Rumford shows him standing prudently at the right of Sir Humphry Davy during a demonstration of laughing gas.



























