1968の年のデトロイト、空港でチャーターバスに乗り込んだら「ミスター・フジオカ?」と呼びかけられた。黒人男性の声だった。運転手の脇にある椅子に大きな男が坐って、視線を宙に、返事を求めている様子だった。ミスター・オーウェル。ぼくの声で、ぼくの現われたのを知ったのだった。前の年、彼の運転で数日デトロイトを走りまわった。その彼が、盲目で現れた。日本人の妻をもつ彼を「日本通」だからと、同僚の黒人ドライバーがアシスタントに推薦したという。Black is beautiful! が叫ばれていた。騎馬巡査が二人組になって物騒な町をパトロールし、見本市会場では、警備員が拳銃をむき出しで腰に差している、それが格別におそろしいものに思えなかったとき、オバマ登場40年前のことだった。月刊誌『工業英語』の巻頭言には、こうした番外がいくつか積み残されている。
藤岡記
手のひらのことを「たなごころ」という。幼ない頃、この和語を知ったとき、すこぶる気に入ってしまった。漢字で、「掌」を当てていることも、同じ頃知った。いまになっても、十分に漢字が使えず、辞書の厄介になっているほどに漢字は不得手なのだが、この字だけは、一度で憶えた。掌中の珠、掌中に入る、掌上に運(めぐら)す、などといった語句も知らぬ頃のことであった。
仔犬や猫をのせたのも、ねだった菓子を握って走ったのも、もみじの木の皮をつるつるに光らせたのも、それに、枕と頬の間にさして楽しい夢や怖い夢を結んだのも、みんな、たなごころだ。手のひらは用を果し、たなごころは、喜怒哀楽の思いを満している。
「た」は「手」、「な」は格助詞の「の」、「ごころ」は「心」であるとは、後になって知った。たなごころ、好きな言葉だ。じっと見つめていると、語りかけてくる。一日の仕事を、過去の全てを、それに明日のことまでも。ものに触れれば、それは生命が通い合うように感じる。文字には表わせても、容易には口にしたくない言葉だ。
手で仕事をする男たちの掌は大きい。Joseph Brown(1810~1876)も、Samuel Darling(1815~?)も、ひとよりは大きな手のひらの持主だった。そして、二人とも、accuracy(精度)を求める狂人だった。時計作りの子に生れたブラウンは、万能フライス盤、研削盤を発明し、Lucian Sharpeという協カ者を得て、心おきなくその才能を機能と精度に傾注して、ついにgraduating machine(目盛機)を創作するに到った。一方、農夫の子に生まれ、製材所で働き、やがて持ちまえの機械心が騒ぎだし、工具に興味を持ち、ついに独創的な目盛機を発明するに到るダーリング。
この両人が、1866年に、激しい市場争いの最中に出合った、という。ダーリングの仕事場をブラウンが訪ねた。ダーリングは、真直に仕上げた二片のエッジをブラウンに示して、精度を見ろといった。ブラウンは両の手で、それぞれにエッジをとりつき合わせてみた。光に向けて見ると、二片のエッジに隙間があって、光線がこぼれてきた。どちらかの一片が、真直ではないのではないか。挑むように目を向けたブラウンに、ダーリングは落着きはらっていた。「エッジは真直だよ」
ダーリングは、毛皮で作った特製の手袋をとりだしてきて、ブラウンに教えた。手の温度差で真直度が狂うのだ、素手ではなく、こうして手袋をはめて確かめるとよい、と。もちろん、ブラウンは理解した。ダーリングの使う手袋は、ダーリングの名人業を伝えるだけでなく、彼の気持をも伝えた。ぬくもり。二人は、以来共同で仕事をするようになる。
この時、ダーリングはさらに、二片のエッジを合わせて、その一端を押さえ、他端に髪毛をはさみ、二片のエッジに隙間がでることも示した。押さえている手元、1インチ1/16まで、はっきりと光がもれてくるのが分ったという。
ダーリングは、異常なほどに自分の使う機械や工具、手順をひとに見せない男だったというが、ブラウンに対してだけは、胸襟を開いたのだろうか。アメリカが生んだ天才のひとりであるブラウンを、そうと認めてのことであったのだろうが、それにしても、二人のmechanical talentが、手袋を通して語り合い、理解し合い、そしてたなごころを合わせて握手したことで、今日でも、プロビデンスのBrown & Sharpe社は世界の精度狂を満足させているわけだ。
(AUGUST 1977)




























