入門翻訳勝ち抜き道場

巻頭エッセイ

1968の年のデトロイト、空港でチャーターバスに乗り込んだら「ミスター・フジオカ?」と呼びかけられた。黒人男性の声だった。運転手の脇にある椅子に大きな男が坐って、視線を宙に、返事を求めている様子だった。ミスター・オーウェル。ぼくの声で、ぼくの現われたのを知ったのだった。前の年、彼の運転で数日デトロイトを走りまわった。その彼が、盲目で現れた。日本人の妻をもつ彼を「日本通」だからと、同僚の黒人ドライバーがアシスタントに推薦したという。Black is beautiful! が叫ばれていた。騎馬巡査が二人組になって物騒な町をパトロールし、見本市会場では、警備員が拳銃をむき出しで腰に差している、それが格別におそろしいものに思えなかったとき、オバマ登場40年前のことだった。月刊誌『工業英語』の巻頭言には、こうした番外がいくつか積み残されている。

藤岡記

 
言葉以前……
藤岡啓介
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舞台の男は道化師(pagliaccio)だ。ひとをわらい、わらわれることで口を糊する。演ずるは寝とられ男(cocu)の役柄だ。知らぬは亭主ばかりなり、そうだ、観客は舞台の白塗りの男をみて、笑いながら、だが、ふと自分の生き様に思いを馳せ、他人ごとではないとほぞを固める。村芝居であっても、大劇場であっても、だから、おどけた扮装(なり)のパリアッチョは、いつの世でも観客を惹きつける

その道化が、芝居ごとではない悲劇に出合ったら…… 猜疑、嫉妬、愛憎、そして哀しみの中で、さあ衣装をつけて舞台へ出ねばならぬ、としたならば。彼はうたうのだ。

Ridi, Pagliaccio, e ognun applaudià!

(笑え、パリアッチョ、さすれば拍手ご喝采!)

それを、不世出のテナー、デル・モナコが涙ながらに絶唱する。世界、どこへいっても、イタリア語のままで歌い通す。だれもが、“ridi, Pagliaccio”と、芝居がはねた後も、唇で、心の中で、口ずさみ、歌わずにはいられない。イタリア歌劇を観るのに、言葉はいらぬだろう、amore(愛、恋人)、vita(生命)、morte(死)、dolce(甘い、優しい)、tutto(すべての)、Viva Dio(ばんざい)といった、ほんの数語が聞きとれれば、さほど厄介な筋立ではないのだから、十分に面白味が分るものだ、そんな風に思って、しかし、それではドラマをみてもほんとうの感銘は受けぬだろうと、半ばあきらめながらモナコを聴いたのだったが、何年経っても、あの“I Pagliacci”の舞台は忘れられない。凛として、張りのある声をだす、彼だけにしかできぬであろう、言葉以前のもののあるのを伝えてくれた。

半世紀も昔のこと、岩佐作太郎(1879~1967)が招かれてシカゴヘ渡った。英文で大演説を用意した。名文句を文の区切りにちりばめた。サンフランシスコで印刷屋をやっていたのだから、扇動文には自信があった。聴衆の喝采が捲き起り、歓声は耳朶をうつ……岩佐は宿で独り興奮した。

岩佐が演壇に立つと、人々は手を拍ち、足をならして迎えた。だが、おもむろに草稿をとりだし、朗々と読み始めると、会場は騒然とし、だれも折角の名文句に拍手をおくらなかった。主催の米人がささやいた。きみの英語は米人に通じない。会場は広いのだ。聴衆の半分は、どうせ聞いてはいない、構わぬから日本語で、日本でやるのと同じようにやってみろ。

日本語でやれば、腹の底から声が出る。身振りは自然に激し、表情は溌剌と、語らんとすることを全身で表現することになる。聴衆熱狂裡のうちに、演説は終った。そして翌日の新聞には、日本のアナーキスト岩佐作太郎の行なった大演説(らしきもの)が、一頁半にわたって掲げられていたという。

人が人を理解することに、言葉はどれほどの力をもっているのだろうか。言葉の力を過大に恃(たの)みとすると、たとえば英語さえできれば、秀れた外交ができ、秀れたマニュアルさえあれば、商品が世界に通用するとする。美辞麗句では人は動かない。言葉以前の「心のひびき」がなければならない。

(JUNE、1977)

2009年7月6日号