入門翻訳勝ち抜き道場

巻頭エッセイ

1968の年のデトロイト、空港でチャーターバスに乗り込んだら「ミスター・フジオカ?」と呼びかけられた。黒人男性の声だった。運転手の脇にある椅子に大きな男が坐って、視線を宙に、返事を求めている様子だった。ミスター・オーウェル。ぼくの声で、ぼくの現われたのを知ったのだった。前の年、彼の運転で数日デトロイトを走りまわった。その彼が、盲目で現れた。日本人の妻をもつ彼を「日本通」だからと、同僚の黒人ドライバーがアシスタントに推薦したという。Black is beautiful! が叫ばれていた。騎馬巡査が二人組になって物騒な町をパトロールし、見本市会場では、警備員が拳銃をむき出しで腰に差している、それが格別におそろしいものに思えなかったとき、オバマ登場40年前のことだった。月刊誌『工業英語』の巻頭言には、こうした番外がいくつか積み残されている。

藤岡記

 
カルーソーをラジオにのせた……
藤岡啓介
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恋をしている時は、なにをしていても苦にならないものだ。だから、夏休みに“King’s Handbook of the United States”なんてぐにもつかない本を売って歩いて四十ドルも蓄えを作った。もっとも、それだけ稼ぎ蓄えるには、人並みに腹一杯飯を食ってはだめだった。腹をすかせながら資金を作り、“彼女”と逢う瀬を重ねたのだったが、この初恋は長くは続かなかった。エール大学で、かの有名なJ.Willard Gibbs博士のもとで学ぶ秀才なのだが、“ugliest and freshest man of his class”の投票があると、いつも首位をとる“男前”だった。男には人気があっても、若い女には、ugliestよりもmost handsomeの方がよかったのだろう。

それからしばらくして、また恋をした。今度は、いみじくも、“What Can A Woman Do?”という本を売り歩いた。自分は読まなかったのだろう。また失恋した。しかし、このときは、本の行商だけでなく、たまたま開かれた博覧会(1893年)の会場で、chair pusherの仕事もやった。貴人や婦人、老人を坐らせた車椅子を押しながら、広い会場を案内するのだが、見ものは何か? と問われると、何度見ても見あきない「機械館」へと誘っていった。そして、いつも考えていた。次の大博覧会の時には、この椅子押しボーイの名が、会場のタワーの上に、うやうやしく掲げられるのだ、と。そうとは露知らない人々の椅子を押して歩くことは、だから、至極愉快なことでもあった。

十六歳のとき、Lee de Forest(1873~1961)は、人生の設計をしていた。自分は発明家になる。そこにこそ、自分の偉大な才能があるのだと。だが、何度も恋に破れて、その数は伝説的であったといわれるように、ド・フォーレの発明が成功するまでにも、数えきれぬほどの失敗と苦難と、係争とがあったという。工一ル大学にいる頃、地下トロリー車システムで“Scientific American”誌の五万ドル懸賞に応募しようとしたことなど、可愛らしいエピソードにあげられよう。もし当選したら、一割の五千ドルを神にささげると誓ったのがいけなかった。少なすぎたのだろう、結果は、自分が何ひとつ独創性を持たないことに気づいただけだった。

博士号をとって就職した先が電話のWestern Electric社だった。独創性にこだわって、電話よりも無線導信の研究に凝ってしまって、追い出されてしまった。マルコニーのシステムには弱点がある、そう確信して、模索したのだったが。

十六歳のとき、発明家を夢見たときは、ヒラメキ、偶然のきっかけから大発明がされるものと思っていたのだが、大人になって、人生の全てを賭けて問題に取り組んでみると、僥倖はないことが分った。ひとつひとつ問題を追いつめていく……。エジソン、フェッセンデン、フレミング、彼らの発明があって、ド・フォーレの3極真空管“Audion”は生れた。白熱ガス(ガスの炎が電気を通すのは1900年に分っていた)にヘルツ波をひろい、増幅し、あるいは発振させる秘密があるに違いないという確信を抱き、さまざまな実験を展開し、3極目に当るグリッドを加えるという熱電管デバイスの発明に到達したのだった。1907年のことである。

ニュー・ヨーク、メトロポリタン歌劇場で歌う世紀のテナー、エンリコ・カルーソーの声をラジオとして流したのが実用化デモンストレーションの記録として残っている。一九一〇年であった。

晩年のド・フォーレは、特許争いも、借金も、すべて片づけて、美しい妻女と倖せな日々を過した、という。彼の結婚は一九三〇年の頃であったというから、もう六十に近かった。何度目の恋で得た妻であったのか、その記録はない。

(DECEMBER 1976)

2009年3月16日号